めんつゆとすだち入り。
すだちは何もかもをおいしくするようだ。
父の洋服は昨日食べ物のシミなどでグチャグチャに汚れていた。
今日もそのままだ。
夜着替えてないのか、あるいは朝同じものを着るのか。
パジャマに着替えさせながら、昔の話をする。
父は「母親に叱られたことがない、母は穏やかで冷めたような人だった」などと話す。
そして、『人に歴史あり』などと言う。
なのに「野菜の名前を思い出せるだけ思い出す」というクイズには答えられない。
ホームを出る直前に、受付に座っているI君とすれ違ったので、あ〜、お久しぶりですとお互いににこやかに挨拶した。
ホームには30歳前後の職員が多いのだが、このI君は圧倒的な存在感を放っている。
何故ならハンサムなだけでなく、性格の明るさ、優しさ、思いやりが全体ににじみ出ているからだ。
父に幻覚症状が出て大通りまで歩いて行ってしまった時も、このI君は自分の体を張って父を車から守ってくれた。
去年長男が来た時も、日本語を話せない長男と『ナイスミーチュー』なんて言いながら、意思の疎通を図ろうとしていたI君。
ホームでは本当にありがたい存在だ。
今ならこうして顔だけでなく性格もちゃんと見て、その人全体を評価する。
若い頃は顔のみに集中して男の子を見ていた。
とにかく昔から大沢たかお系というか、あっさりした一重の目の顔が好きだった。
中学2年の時の初恋の相手石田君も、ハンサムではなかったがまああっさり系の顔だった。
この子とは学級委員を一緒にしたことで、仲良くなり交換日記などしたが、当時の遠足前に撮ったクラス写真を見ると笑える。
石田君は私の3分の2ぐらいしかないのだ。
なにしろ私は中2の時点で165㌢あり、背が低いかわいい女の子たちがうらやましくて仕方なかった。
小学6年生の時には160㌢を超えていたのだ。
そして、そのことをとても恥ずかしく思い、いつも背を丸めていた。
このクラス写真は皆遠足用の運動着を着ているのだが、私はどう見ても引率教師にしか見えない。
顔も老けているように見える。
隣に座っている松本さんなんか私の半分だし、顔もあどけなくて私とは親子のようだ。
石田君は母親を求めていたのだろうか。
次に男の子と付き合ったのは高校2年生の時。
西田君は、今から考えるとちょっと中田英寿に似ている。
丸顔の中田英寿というか。
いやいや、初恋は中2の時ではなかった。
思い出した。
小学4年生の時に転校してしまった藤原君だ。
しかし、藤原君はあっさり系ではなく、甘い顔立ちで目のパッチリした、背の高いハンサムな子だった。
クラスで一番背の高い男の子なので、同じく一番背の高い女の子の私といつもペアを組まされていた。
そして教室での席もいつも隣同士。席替えのたびに「おっ、また一緒〜」と言い合ったものだ。
だから一番の仲良しの藤原君が転校すると聞いた時は本当に悲しかった。
藤原君は最終日、『記念に』と鉛筆をくれた。
消しゴムのついてないトンボの深緑の鉛筆。
お返しに何をあげようか、と迷っていたら藤原君が私の顔を見ながら言った。
『髪の毛を一本くれる?』
私は自分の長い髪を一本抜いて、藤原君にあげた。
藤原君はちり紙(その頃ティッシュという呼び名はなかった)に包んでランドセルに入れた。
今考えると何だかちょっと色気のある行為ではないか。
もちろんその時はそう思わなかったが・・・
髪の毛をあげた記憶と共に、きれいな顔の藤原君のつぶらな瞳はいまだに覚えている。
何年もたってからその事を思い出し、母に聞いたことがある。
藤原君を覚えてる?
なんと母は覚えていた!
そして言った。
『あらあ〜(母の言葉はいつも、あらあ〜、か、ま〜で始まる)、覚えてるわよ〜。