2022年1月31日月曜日

最後の瞬間、あなたは誰といたいですか

Netflixの契約があり、家族アカウントで共有できるから無料で映画とか見られるよ、と長男に言われたのが数年前。


とはいえ、BSプレミアムのようなチャンネルがあれば、見たい番組はいくらでもありそうだが、アメリカで私が見たいと思う番組はほとんどないので、使うこともなかった。


そんな中、先週初めて2つの番組を見た。


何にでもすぐ影響される私は、それ以来その2つの番組のことばかり考えている。


一つはオードリー・ヘップバーンの人生に関してのドキュメンタリー。


これについては次回詳しく書きたいと思う。



さて、もう一つの番組。


これはDon't Look Upという、レナルドディカプリオ主演の映画だ。


ここからはネタバレになるので、結末を知りたくない人はここでサヨウナラ(^_^)/~



結論から言えば、というよりも結論だけを言うと、これは地球にエベレスト山ほどのサイズの彗星が衝突し、地球が滅ぶという話だ。


科学者であるレナルドディカプリオと、教え子の院生が発見するのであるが、この重大ニュースをメリル・ストリープ演じる大統領に伝えようとしても、自分の利益になることしか頭にない大統領(まるでどこかの国の前大統領のような)は、取り合おうともしない。


映画自体はコミカルなタッチでできていて、深刻なテーマも楽しんで見ることができる。


が、この映画を見た日から、最後の時間は誰とどう過ごしたいか、と考えるようになった。


このことが頭から離れない。


映画の中では、レナルドディカプリオは家族、そして教え子と教え子の友人と最後の時間を過ごす。


スーパーで調達してきた食べ物を食卓に並べて、お店で買ったパイでも悪くないよね、このコーヒーの味も・・・と、カジュアルトークの最中、最後の瞬間を迎える。


彼らにとって愛する人間と一緒にいられることだけが大事なのであり、当然ながら食べ物の味なんかどうでも良い。


そうだろうな。


最後の瞬間は体温のある者に触れていたいだろうな、と痛いほど感じる映画だった。


それは、家族、恋人、友人、ペット、など誰であろうが自分が一番大事と思う人間/生き物だろう。

今年のお正月は長男の家で、おせち料理やお雑煮で始まった


そして、それ以外に大切なものというのは何なんだろう。


その時あなたが100億円持っていても意味はない。


美しい家で、美しい絵画や家具に囲まれ、高級なリネンに包まれていても、それらは何も意味を持たないだろう。



歳を重ねていくと、朝起きた時体のあちこちはパシパシしているし、目や耳の不具合は出てくるし、で若い時のように活動できなくなってくる。


私のような年齢だと、6ヶ月後に人類が滅びると言われようが、仕方ないと諦められるだろうと思う。


もちろん、アキのような年齢の子供(只今ぬいぐるみ大)を
持つ世代はまた違う感じ方をするだろう


若い時は、お金がもっとあればxxができるのに、子供たちにxxを買ってあげられるのに、と思っていたが、そういう欲望もここ数年はなくなっていた。


昨日はオリーブの木を裏庭に植えた
(by 夫とヒロ)


バスルームをリフォームしていた渦中は、一つ一つの出来上がりに気持ちが揺さぶられたが、終わってみればもうどうでも良い。


夜中にベッドからそう遠くないところにトイレがある、それだけで充分だ。



最後の瞬間まで、人(家族や友人たち)を愛し、人から愛される毎日を過ごしたい。



そう思いながらも、最後の家族の集まりで、皆が最後に食べるものは何だろう、などと考えたりもする。


それはなんであろうと一緒にいられることにだけ感謝し、食べるものなんてなんでもいいのだろう。

ま、その時ピーツのピーチベリースコーンがあってもいいけどね

2022年1月22日土曜日

息子たちに言ってはいけない言葉

最近、死んだ両親のことをよく思い出すようになった。


息子たちにとって京都の祖父母のイメージは、祖父はとにかく冗談ばかり言うおもしろい人、祖母は何を言うにしても、「あらぁ〜」か「まぁ〜」から始めるいつもニコニコした明るい人というポジティブなものだったらしい。


母は薬害により38歳で失明、下半身不随、そして60歳を過ぎる頃から脳梗塞を起こし始め、どんどん身体機能が衰えていき、舌や唇も動かしにくくなったので、後年は息だけで「あらぁ」「まあ」と言っていた。


それぐらいしか言えなくなってしまったのだ。



私がアメリカに行ってしまったあと、50代の両親は本当に寂しがっていたと、姉からあとで聞いた。


インターネットもなく、手紙を書いても両親の元に届くまで1週間かかり、電話料金も本当に高かったあの頃。


最初の3ヶ月はホームシックにかかって頻繁に両親に手紙も書いていたが、そのうちアメリカの生活が楽しくなり両親のことはあまり考えなくなった。


両親はどれだけ私のことを心配しただろうか、と思うと今になって申し訳ないことをしたなあ、と思ったりする。


なにしろ父は、私が明治天皇陵に行って階段を上がってくる、と言うだけで心配して、「転ぶなよ。」「気をつけなさいよ。」と言って私を苛つかせていたものだ。


先月ネットで話題になった写真家「まり」さんが撮った
心の折れる明治天皇陵階段の写真をお借りしました


子供を持つと楽しみは増えるが、ストレスも激増する。


長男(35歳)とサキ(34歳)は子供を持たない、と決めているわけではないが、持つという決断もできないそうだ。


子供のいない夫婦はいつまでも仲がいいとよく言われるのも、統計上間違ってはいないらしいし、次男一家を見ていると、長男夫婦に子どもがいないのもいいかなと思う。



なにしろコロナ禍の中の子育ては本当に大変だ。


孫たちの通う託児所も、透明ではない鼻水が出ていたら、本人とその兄弟は託児所に行けない、という規則になり、クリスマス休暇も合わせると、風邪をひいた孫たちは過去1ヶ月のうち3週間休んだ。

4歳のヒロは親を消耗させる活動的な子供
1歳のアキは比較的穏やか


次男一家は初秋にヨセミテにキャンプに行ったが、その後次男だけが11月にデスバレー旅行をしたり、マリーだけが旅行する、ということもあった。


それはいいと思う。


夫婦がお互いに、自分だけの時間を楽しむ、ということを👌と感じることができるなら、それでいい。



このあと、3月に次男は天の川を見に、またデスバレー国立公園に行くらしい。


4月にはマリーがマリー姉と二人でハワイに行くそうだ。


が、その後5月には一家揃ってヨセミテ国立公園に行くということ。



次男が車で旅行するのはいいが、行き先がデスバレーと聞くととても心配になる。


11月に行った時は親友Aと一緒だったが、今度はぜひ一人で行きたいという次男。

岩の上に立つ次男と、トラックの前に座る親友A
(ドローンで撮影)


危ないからやめてほしい、と言いたかったが大人の息子にそんなことを言ってはいけない、と自分を抑える。


でも、「自分の子供が18歳になって、デスバレーに一人で行きたいって言ったら心配で行ってほしくないでしょ?」と言うと、次男は頷く。


じゃあ、あなたもやめたら?と言いたいが我慢する。



子供のすることに干渉してはいけない。



「心配だなあ」


「やめたら?」


「気をつけなさいよ」


などなどは禁句だ。


自分の不安を子どもに伝えてはいけない。


父のそういうところがどんなに私を苛つかせたか。


もう息子たちは大人なのだ。



他には人っ子一人いない、11月のデスバレーを砂煙を上げながら走る息子のトラックの動画(ドローンで撮影)を見て思った。





今後、息子たちに言ってもいいのは「あらぁ」「まあ」だけなのかも

2022年1月13日木曜日

東尋坊の写真

シャワードアのパーツがやっと届き、ジャックさんとジーノさんによって取り付けられ、3つのバスルームのリフォームはこれで終了した。




実際取り付けられてみると、これは失敗だったなと思ったが、もうこれ以上何も考えないことにする。


人は目標を達成して幸せになれるのではなく、目標に向かうことで幸せになれる、という心理学の言葉を聞いたことがあるが、わかるような気がするなと思った。


そもそも自分の目標は何かと聞かれると、はっきり返事できない。


とにかく、日々穏やかに生活するだけで、精一杯。

今日の夕焼けはすばらしかった


いや、とりあえずコロナ感染状況が落ち着き、以前のような世界が戻ってくればいいと思うが、今はまだ静観するしかなさそうだ。


早く入国規制が緩和され、日本に行きたいとも思うが、それは目標ではない。


ここからの写真は、イギリスから日本に先週入国し、日本政府指定のホテルで現在隔離中の友人Yりさんが、提供されたお弁当である(今日が隔離6日目)。


どんなお弁当か見たい、と言った私に、「ありがたくいただいています」と写真を送ってくれた。









4日目の朝初めてパンが提供された






6日目の朝2度目のパン食

しつこいまでの写真のオンパレード
わたくし、お弁当大好きなもので・・・


明日が隔離最終日のYりさんは、その後ご家族の介護とまではいかないが、お世話をする日々が始まる。


Yりさんと話しているうちに、私も両親のことをよく考えるようになった。



母は幸せだったのだろうか。


父は幸せだったのだろうか。


娘たち二人が最期までそばにいてくれた両親は、幸せだったと思いたい。


死の前日までおどけていた父を思い出し、父の死は穏やかなものだったと思うが、どんな別れ方をしても、後悔は残るものだ。



完成したバスルームに、写真を撮るのが趣味だった父の写真を入れた額をかけたかった。


手持ちのブロンズ色のフレームに収まる、白黒の写真。


が、カラー写真ばかりで、白黒のがない。



ふと思い出した。


父が好きだった写真。


それは、京都から東尋坊までオートバイで行った時、父が撮った写真だ。


母の介護に明け暮れる父に、東尋坊まで1泊旅行してきたら?とある日姉が勧めたのだった。


まだまだ母の介護も過酷ではなかった頃のことだ。


お風呂に入りながら、両親に思いを馳せるのにちょうどいい写真だな、と思いフレームに入れた。




父の思い入れがあったこの東尋坊の写真は、もっと横長なのだが、手持ちのフレームに入り切らない。


フレームぐらい新しく買って、写真を完全な状態で入れればいいのに、そこが怠け者の私。


右端はちょこっと5㌢(暗く見える部分)ほど折らせてもらうことにした。



許せ、父

2022年1月3日月曜日

最後の一葉?

2年前の今頃はこんな日々が来るとは誰も夢にも思っていなかったのに、なんと世界が大きく変わってしまったことか。


コロナがインフルエンザのような風土病になるまで、もう少しの辛抱だと期待して、新年を始めたい。



リフォームは95%が完了し、あとはシャワードアのパーツと、壁埋め込みヒーターが届き、その2つをインストールしてもらって終了、というところ。


とりあえず、ビフォー&アフターの写真を載せることができる日が来た。


まず、2階のバスルーム。


これは子どもたちが使うバスルーム、という設定で作られたものなので、現代的なあっさりしたバスルームをイメージしてデザインした。


洗面台は何も問題ない状態だったので、少しアップデートするために、茶色のキャビネットを濃紺に塗り替えた。


そして、鏡、照明、タオルラックなどの小物を新しくし、リノリウムというビニール床をタイルに替えた。


洗面室、ビフォー。





洗面室、アフター。




この洗面室付随のトイレとシャワーは、トイレをTOTOに替え(KOHLERなどに比べて少し細身)、シャワーはバスタブのついていないwalk in showerに替えた。



トイレとシャワー室ビフォー。

壊れたトイレを撤去済み


シャワー内にはベンチをつける予定だったが、

最終的にはベンチなしに変更



トイレとシャワー室、アフター。






次は、一番デザインで悩んだマスターバスルームビフォー。



リフォーム中にiPhone 13に替え、広角レンズが使えるようになったので、写真の範囲がかなり異なるが、こんな感じ。






シャワードアは2つのパーツが入っていなかったので、それが届いてから改めてインストールしてもらうことになるので、現時点の写真。

アフター。



ビフォー2。



アフター2。




シャワー室のタイルは30㌢ x 60㌢の大きなものを使う予定だった。


が、アメリカの物流輸入の玄関口である、ロサンジェルス港とロングビーチ港(物流の4割がここで受け取られる)が、長い間停滞してしまっていたので、好みのものが全く間に合わず、急遽他のタイルを探すことになった。


が、好みのタイルが全く見つからない。


なので、方向を180度変え、タイルはやめて、磨かれていない大理石に変更した。


ところが、小さな大理石はヒビが入りやすい上、大きな面積に少しずつ貼っていくのが難しく、思いの外大変な作業となった。



ビフォー3。



アフター3。




バスタブはもう少しシンプルなデザインを考えていたのに、注文する時になってこのデザインを選び、少し後悔している。



リフォームを始める前、マスターバスルームのイメージはこれだった。




が、実際はこうなった。




最初のイメージでは、水栓などは全て黒を使うつもりだったが、結局Brushed Nickelという鈍いニッケルフィニッシュにして、アクセントとしてブロンズ色の照明とシャワードア(まだインストールされていない)を使った。


そして、鏡は2枚にするつもりだったのが、Restoration Hardware Outletで見つけたZincつまり、亜鉛の横長のものが気に入ったので、どうしてもこれを使いたく、変更。


が、照明は失敗だと思う。


鏡の上部にある大きな照明ではなく、もっとシンプルで小さなスコンスと呼ばれる照明(街路灯のような形)を、鏡の両脇につけるべきだったと後悔している。


なにしろ、素人の悲しさ、全部がインストールされるまでは、全体像が見えないのだ。



次は1階玄関脇の客用バスルーム、ビフォー。


ヒロのおもちゃであふれていた古いバスルーム



イメージはこれ



客用なので、トイレは汚れがつきにくい、TOTOのトルネード洗浄のものにした。


アメリカではTOTOもかなり人気があり、今は多くのお店にも置いてある。



アフター。


壁の色は薄いブルーグレーにする予定


このバスルームは、最初タブの上にガラスの扉をつける予定だったが、最終的にはもう少しソフトな印象にしたくなり、カーテンを吊るすことにした。


買ったのは、上の写真のシャワーカーテン




カーテンについたタッセルは、あまりに長いので3㌢切り、裾についているタッセルは全部取ってしまった。



このバスルームは予想図とほぼ同じだが、違うのは蘭の花。


10月にリフォームが始まった頃、もらったものだが、きれいなピンクの花が新しくなったバスルームに合うだろう、と期待していた。


が、バスルームが完成したのは12月23日。


12月になって突然、<ボトンボトン>と落ち始めた

完成時にきれいな色を添えてくれるはずだった蘭が一輪ずつ落ち始め、あああああ〜〜と思っていたら・・・



完成直前にスコンと落ちた
最後の一輪