2020年9月24日木曜日

彼岸花

 ネガティブな感情がふつふつと湧いてくる日々を過ごしている。



  • まず、第一にこのGoogleブロガーのフォーマットがリニューアルされてものすごく使いにくい。写真のサイズを変えたり、写真下にキャプションをつける手間が大変になった。
  • なんでこんな生活になってしまったんだ?出かけるところと言えばスーパーだけ。ヒロだって公園にさえ行けなくてかわいそうだし、家族で集まるのもままならない。先週数ヶ月ぶりに家族全員が集合したがハグさえできない。

数ヶ月ぶりに長男夫婦が来て家族全員が集まった
ビールで乾杯しながら食事の時以外は全員マスク

  • 死ぬまでにヨーロッパ旅行もしたいのに今はどこにも行けない。
  • 地球温暖化がどんどん進み、カリフォルニアは以前の一夏暑い日は2日ぐらい、という状態から、猛暑が続くようになり火事が頻発し外にも出られない日々が続く。

火事の煙で空気が悪い時、マスクをつけて短時間裏庭で遊ぶヒロ

  • 義家族が集まる時、なんでいつもいつも私一人が食事作り担当なんだ?
安くすませようと思ってコロッケを大量に作った


いや、文句を言い始めるともう終わりがないほど次々と不満が出てくる。


不満を持ちながらも、今の楽しみは食べることだけなので、コロナ太りし始めて『食べる=太る』という体質に変化してしまったようだ。



とまた不満が出る。



が、ふと今日が母の命日であることを思い出した。




母は目が見えず下半身不随で右手がかろうじて動くだけだったのに、いつもいつもニコニコしていて、文句一つ言わない前向きな人だったじゃないか、と。



私は少なくとも健康で、どこにでも行けるしテレビを見ることもできる。



不満を持つ理由なんてなんにもないじゃないか。



母のことを思い出しながら、なんでもっともっと日本に長く滞在して母のそばにいてあげなかったのだろう、と後悔の涙が出る。




そんな今朝姉からメールが来た。



今年も咲きました、と毎年実家の庭に一輪だけ咲く彼岸花の写真が添付されている。



なぜかこの一輪の彼岸花が母の命日、あるいはその前後1日ずつの3日間のうちどこかで毎年必ず咲く。



添付されていたのは姉がiPhoneで撮ったとわかる小さな写真だった。




が、それをここに載せようと思い拡大してびっくりした。




母だ!

笑ってる!

2020年9月11日金曜日

還暦(かなり)過ぎた女が食べるもの

朝目が覚めた時、体がだるいとまず『コロナか!!』と思う。

そして、次は『コロナ後遺症か!!』と思う。

日本からアメリカに帰国して3週間が過ぎた。

その間空気が悪過ぎてほとんど外に出ることができていない。

何しろ9月10日現在、カリフォルニアは去年に比べても火事の件数は2650件、焼けた面積は2000%の増加だそうだ。

昨日は朝目が覚めた時シャッターの隙間から入ってくる朝日が衝撃的なオレンジ色だった!

ついに我が家も火に包まれたか!とびっくりした。

この写真ではわかりにくいが、火事!と思った

山がすぐそばまで迫っているのは怖い


このオレンジ色現象は何が原因なのか、カリフォルニアのばあさんブログにわかりやすく説明してあるので、読んでみてください。

世紀末という言葉が浮かんだ

天窓から入ってくる光がオレンジ色で怖かった

玄関から表を見たところ

早く雨が降ってほしいが、11月ぐらいまでは雨は降らない。

空気が良くなっても今度は冬になるのでコロナが猛威をふるうと思うともっと外出できない。

新型コロナに関してはどんどん新しい事実が確認され、最近のニュースでは後遺症が87.3%の感染者に残ると言われている。

私自身後遺症は現時点では何も感じていないが、目に見えないところで何かが起きているのかもしれないと思うと怖くなる。

だから考えないことにしている。


嗅覚障害が残る人も多いらしい。

私が何も臭わないと感じ始めた時、柑橘類や香水の匂いさえ全くわからないのに不安を感じた。

もしこのまま一生障害が残ったら・・・

QOLつまり生活の質はかなり下がってしまうだろう。

だからネットで調べまくって、これが良さそうと思うリハビリを始めた。

このリハビリについてはこのサイトに詳しく出ている嗅覚刺激療法を参考にした。


この4つの中で私は樹脂に反応することがリハビリを始めた初日にわかり、翌日には木から樹皮をはいで嗅いでみると嗅覚が戻った。

1時間後には嗅覚がまたなくなったが、このトレーニングは続けた。

3日目には一日中全く何も臭わなくなってしまったが、4日目にまた樹脂に反応した。

それも庭にある植栽の一つ、その新芽に反応することがわかり、それからは新芽を探しては、それを爪でガリガリとこすり必死で匂いを嗅いでいたのだった。

私が反応した植木はこれ


5日目以降嗅覚は完全に戻ったのだが、これは自分でリハビリをしたことで戻ったのかどうかはわからない。

が、なんらかの助けにはなったのではないか、と思っている。

さて、眼瞼下垂手術は来年の春受けたいと思っている。現在の病名・病状の予後について、という用紙をA先生からいただいたので、それを少しまとめたいと思う。

まず現在の状態。『瞼の皮膚および筋肉の機能の低下により、瞼が重い、夕方になると瞼が開かないなどの症状を呈する状態です。物が見えづらいだけでなく、歯を食いしばって瞼を開けているので咀嚼筋の疲れ、痛み、歯が浮く、顎関節の症状が怒ったり、肩こり、交感神経の緊張なども起こると言われています。』だそうだ。これらの症状は全て現在の私に起きている。特に顎関節が時々ロックしてしまい、ガクンと音がすることもよくあるのが、一番困っている症状だ。

治療内容だが、『眼瞼の挙上機能を獲得させます。垂れ下がっている皮膚・筋肉・腱膜などの組織を切除・修復し、挙上しやすくする手術を行います』ということだ。

その効果は『手術により、見える範囲が広がり、明るくなったと感じられる方が多いです。』ということ。

手術後1週間で抜糸、1ヶ月で腫れが少し残った状態、すっかり腫れがなくなるまでには3ヶ月上かかる場合もあります、ということ。つまりコロナの状況がどう変化していくのか予測がつかないが、予定通り来年の春に手術が受けられると仮定して、来年の今頃私の目も良くなっているといいのだが。

そして、それまでにコロナ太りで増えた体重が少しは減るといいのだが。こちらに帰ってきて久しぶりに履いたジーンズがきつい。

とにかく日本で食べまくった美味しいものが原因なのはわかっている。

例えばこの写真は京都から東京に戻る時の新幹線内で食べたお弁当。『太秦の料亭のお弁当』なんてラベルを見ると、食べてみたくて仕方なくなり買ったのだが・・・

こういうお弁当ってワクワクしませんか


普通、還暦過ぎた女性でもこれぐらいは食べますよね?

が、私の場合それではすまない。大好きな寿司おにぎり(結構デカいの3つ)もやっぱり食べたい。となるとそれも買ってしまうのだ。


これも普通ですよね?

2020年9月2日水曜日

眼瞼下垂診察@京都 2/2 達成感

さて、KクリニックのK先生はとても感じ良かった。


アレルギー専門医なので、待合室は小さな子供たちでいっぱい。このところ気になっていた頭皮の痒みを診察してもらったら、乾燥しています、ということ。


とにかく、カリフォルニアの日差しの 下、帽子もかぶらずに庭仕事をしたり、歩いたりしている。


乾燥によってバリア機能が壊れて痒みが出るそうだ。


K先生とはアメリカの話題で会話が弾み、とてもいい印象を受けた。




そして、月1でKクリニックで眼瞼下垂診察をしてくださるA先生の診察になった。


自己紹介をしてから診察を始めるA先生には最初の5秒で好感を持った。


とても感じ良い。


A先生の診断は浜松のM先生の診断とは違った。




結論から言うと私の眼瞼挙筋は緩んでいない、が、眼瞼下垂手術が必要である。


眼瞼挙筋というのはA先生のサイトによればこういうものだ。



眼瞼挙筋という筋肉が、瞼のキワにある瞼板を持ち上げることで、まぶたを持ち上げていますが、この眼瞼挙筋と瞼板を繋いでいるのが挙筋腱膜とミュラー筋という組織です。
腱膜性眼瞼下垂ではこの挙筋腱膜とミュラー筋にゆるみが生じ、眼瞼挙筋の力をうまく瞼板に伝えられないことで起きてしまう眼瞼下垂です。




私はA先生に『私の眼筋切れていませんか』と聞いた。が、先生によると『眼瞼挙筋が切れていれば目がそこまで開いていませんよ、XX(私)さんの目はちゃんと開いています』とおっしゃる。


でも、目は開けにくいし眼精疲労は激しいし肩こりもあるんですけど(それは眼瞼下垂の症状)と訴えるとA先生はもう一度私の顔を正面から数秒見つめ、『やっぱり目はしっかり開いています、眼瞼挙筋は切れていませんよ。』と繰り返された。


上記の先生のサイトによれば挙筋は切れるのではなく緩むのだろうが、先生は私が何度も『切れる』という言葉を使ったので、『切れていませんよ』とおっしゃったのだろう。



確かに眼瞼挙筋の緩んだ人の症例を見ると目はほんの少ししか開いていない。




私の瞼の状態は上眼瞼皮膚弛緩症という症状で、これも眼瞼下垂症の一つの症状らしい。


これは余った皮膚を切除することで、瞼を持ち上げようと努力しなくてすむようになり、眼精疲労、肩こりなどの症状が緩和されるらしい。


つまり眼瞼挙筋にさわることもなく瞼の皮膚だけを切ることになる。


この場合眉毛の下や、重瞼ラインのところで皮膚を切除する(図の下:眉の下の皮膚を切除するので、私の場合重瞼ラインに変化はない)。



眼筋が緩んでいると瞼の二重の線で(一重の人は二重を作成する予定部で)挙筋腱膜の部分を切る(下図上:左側の赤い線部分で切る)。


この方法で手術すると二重部分の形が微妙に変わる可能性があるように私には思える。


そしてつまり、この手術の方法では一重瞼は二重瞼になる。

先生のサイトからお借りしました



A先生はクリップを使って私の瞼を抑えて説明してくださる。


私の場合、だから眉下で切ってもいいし、重瞼ラインで切ってもいい。


だが、私は目を大きくしたいわけではなく、たるんだ皮膚部分を切除することで、目を開けようと瞼に力を入れる努力をしなくていいだけの状態にしたい。


今は特に右瞼がたるみ過ぎて、眼科で検査する時は自分の手で瞼を引き上げて、先生の補助をしないといけないほどだ。


眼精疲労は右目が特にひどいと感じる。




先生に私は言った。


もう年齢も年齢ですし、瞼に傷ができてもあまり気になりません。眉の下で切ってください。


先生は私の顔を見つめながら、ではそうしましょうと微笑まれる。


そしてその後アメリカの話に話題が移って行った。


なにしろ、カリフォルニアから日本に来て2週間の自己隔離をしているのだ。


その話はK先生もA先生も大変興味を持たれたようで、話が弾む。


ちなみにK先生が、私もA先生に瞼の手術をしてもらったんですよ、とおっしゃる。




次の患者さんがお待ちです、と看護師さんが声をかけるまでA先生との話は続いた。


よし、この先生は信頼できる、と先生に来年の手術をお願いした。


今回は一旦アメリカに帰らねばならない。


が、来年必ず手術のために帰ってきます、と約束した。




浜松のM先生に言われた、瞼がちゃんと閉じていないことで酸素が脳に行き渡っていない、それがひいてはアルツハイマー病の原因となるかもしれない、ということは一旦忘れることにする。


そのM先生独自の意見はもしかすると数年後に常識になるのかもしれないし、ならないかもしれない。




診察後京都駅まで地下鉄で移動し、息子たちが必要としている戸籍謄本を発行してもらいに行くことにした。

京都駅から歩いてすぐの区役所



昔と違って今の役所の方々は実に感じ良い。


謄本をもらって猛暑の中京都駅に行く。




達成感がワシワシと湧いてくる。


ついでに歩数を1万歩にするために京都駅の階段を登ることにした。

京都駅外階段はこの部分でかなりの段数
いい先生方に出会い、戸籍謄本もあっという間に発行してもらい、
達成感ついでこの階段もトップまで登ることができた!

もちろん頭の中でワンワン鳴っていたのは
『ロッキーのテーマ』