2022年2月25日金曜日

日本入国後の新たな緩和措置

米国在住のみなさま〜


遂に来ましたよ!


日本入国後の待機なし、というニュース(2月24日発表)。



3月1日から日本入国の際、ワクチン接種3回目を終了した有効な証明書があれば、自宅待機は必要なくなる(今後の国内外の感染状況等により、急遽変更になる可能性あり)。


待機0日でっせ。0日。


詳しくは厚生労働省のこのサイトをご参考に。



私の日本行き準備も着々と進んでいる。


日本で毎日検査するためのコレクションも着々と進んでいる
ただいま11個


2022年2月23日水曜日

日本を発つ日の動線(2022年3月編)

3月1日午前0時以降、日本の水際措置が以下のように変わる(措置は流動的なので、各自ご確認お願いします)。


オミクロン株指定国(つまり米国のように、オミクロン株感染がまだ拡大している国からの入国する場合でも、コロナワクチン3回目の追加接種を終えている者は、日本到着当日から自宅待機ができるようになる。

3回目のワクチン未接種の場合は上の表の規制が適用される
(IACE旅行代理店のニュースレターより)



そして、日本到着時の検査後24時間以内なら、自宅などに移動する際公共交通機関による移動が可能になる。


自宅待機は入国日の翌日から数えて7日間だが、待機3日目の検査で陰性が確認されれば、その後の自宅待機は必要なくなる。
3回目のワクチン接種がすんでいれば上記の規制が適用される


入国時にはこれらのアプリをスマホにインストールしておくことが必要。


また質問票誓約の提出も忘れないようにしないといけない。



さて、この水際措置に対応するための費用はいかほどか。



自分自身が2020年と2021年に、日本に往復した際のコロナ規制による必要経費を思い出してみよう。



2020年8月は、成田空港から検疫所指定の宿泊所である、東横インにシャトルバスで移動し、3食付きの隔離生活を送った。


日本入国のための陰性証明書はまだ必要なかった頃だ。


4日目の朝らくらくタクシー(ハイヤー)で銀座にあるホテルに移動。3万円。


その後3週間半東京と京都でホテル生活をしたが、ホテル代は格安だった。



2021年5月は、まず飛行機搭乗前72時間以内にPCR検査を受け、陰性が確認されないと搭乗できなかった。検査と証明書で$95。


成田空港からホテルまでの移動には京成スカイライナー帰国者専用車両+ホテルまでのタクシーを利用し、2万円。


ホテルで2週間隔離生活。


その後京都と東京に滞在したあと、アメリカに帰国する際に必要だった陰性証明を取るのが1万6千円。


つまり2通の陰性証明と成田空港からホテル(新橋)までの交通費で4万8千円ほど。



来週の日本行きでは、まず搭乗前72時間以内に受けるPCR検査費用が$185(前回の倍)。


成田空港から東京に予約してあるホテルまでの交通費は、京成スカイライナーとタクシー代を入れて7千円ほど?


自宅(ホテル)待機後3日目に受ける検査費用3千円(木下グループの診療所)ほど(で受けたい)。


アメリカ帰国の際は、搭乗1日前の検査と陰性証明が必要で、1万5千円(神田北口診療所)。


つまり、4万5千円ほど、という計算になる。


2020年8月 30000円。

2021年5月 48000円。

2022年3月 45000円。


コロナ検査キットを4箱(8回分)持って行き、
2日に一度は検査する予定



以前はこういう手間と費用がかからなかったが、その分ホテル代が安くて嬉しい。


京都でも普段は一泊2万円から3万円する烏丸三条にあるホテルが、3月は4000円台である。


東京のホテルは迷うところ。


なにしろ滞在の途中でホテルを移動するのは面倒なので、最初から池袋に泊まるか、あるいは銀座・大手町・新橋・四谷に泊まるか、などなど候補地は多い。


アメリカ帰国日は、池袋から丸ノ内線で東京駅に行き、そこからは1300円の空港バスという案も良さげだ。



とにかく最終日は池袋駅と東京駅に立ち寄ってから空港に移動することになる。


ということで、動線を描いてみる。


色まで塗る?

2022年2月19日土曜日

健康寿命

リフォームしたマスターバスルーム、何かがおかしい、と悩んでいたのだが、その何かがわかった。


横長の鏡の上につけた2つの照明だ!




ブロンズ色がダメなのかと思って、シルバーの照明に変えたが何かが違う。


やっと気がついた。


これではバランスがおかしい!


このバランスでは、照明は鏡の両横にあるべきなのだ。


ブルーテープを貼った所に、電源を新たに配線してもらい
スコンスと呼ばれる照明をつけるべきなのでは?


4月から次男の家のリフォームを始める予定のジャックさんに、「ちょこっとうちに寄ってくれんかのう」と聞いて電気工事をしてもらおうと思っている。


わざわざ鏡の上につけてもらった2つの電源(工事前は1つ)をつぶして、新たに工事し直してもらうなんて、と思ったが、もう残りの人生20年しかないかもしれないのだ。


平均寿命まで20年ちょっと?


もしかすると、健康寿命は10年くらいしか残っていないかもしれない。


工事費と、使えなくなる2つの照明はもったいないが、この際目をつぶろう。



2016年発表の健康寿命統計


この家に住めるのはもしかしたら、あと5年かもしれない。


いや、1年かもしれない。


明日、心臓発作とか脳梗塞とか起こして、人生が180度ひっくり返るかもしれない。



したいことはしておこう。


2月17日0時付で日本水際対策措置が少し変更され、カリフォルニア州からの入国者隔離期間も6日から3日になった。


3月になれば下図(日経新聞より)の通り緩和される。


アメリカからの入国者は検疫所が確保している施設で3日間の隔離、
4日目の朝再検査を受け陰性なら隔離終了となる(流動的)



私も3月になったら日本に行こう。



そしてできれば今年、一度も行ったことのないヨーロッパに行きたい。


長男とサキに、コロナが収まったら一緒にどう?と誘われたが、それも楽しそうだ。


が、私はサキ母Mよさんと二人だけで一緒に行くのもありかな、と考えたりする(まだ誘っていないが)。


ヒロやアキをとてもかわいがってくれるMよさん


幸いにも長男義母Mよさんも、次男義母マリアンも私とは全く違うところも多いが、とても明るくて気が合う。


二人共離婚しているが、現役のキャリアウーマン(死語?)で自立している。



Mよさんは私より5、6歳年上で、ラッキーなことに日本から来た方なので日本語で会話できる。



何よりもお金に関してとても太っ腹で、しかもクリーンな方だ。



ヨーロッパを一緒に旅するにはピッタリの相棒かもしれない。



いずれ、姉とも行きたいし、息子たちとも行きたい。


残り時間が少ないかもしれないのだから、なんだか焦る。



長年つけているスケジュール表/日記も、記入しているとあっという間に1年が終わる。


一日が終わると、セルを塗りつぶす。

2年前にコロナ罹患した頃の記録


そうだ、健康寿命まであと10年と想定して、予定表を作っておけば一日一日を大事にしようと思うだろうか。


いくらなんでも悲観的過ぎる?

2022年2月17日木曜日

昭和28年

一番好きな作家は誰か、と聞かれたら「沢木耕太郎」と答える。


その沢木耕太郎のエッセイ「246」を読んでいたら、こんなフレーズがあった。


「全ては失われるためにあるというという平凡な真理をあらためて思い起こしていた。時の流れは急なのだ。そんなことに不意に気づかされる。」


これは、沢木耕太郎のお嬢さんが3歳の頃、沢木氏が父親として持った感情だが、ものすごく心に残る言葉だ。


そうだなあ、と失われるものを考える。


親を失う。


その頃には自分は、肌のハリも、数本の歯も失っているかもしれない。



いや、その前にもっともっと色々なものを失っている。



以下の写真は昭和28年に福音館から発行された略画小事典だが、父が生前好んで見ていたものだ。


昭和20年代の風景がほのぼのとしていて、なんとも癒やされる。






子供の頃、小学校から帰宅すると、ランドセルを家の中に投げ入れてすぐ遊びに行った。


洞窟を探検する、トンボの目を回して捕まえる、お姫様誘拐ごっこ、などなど遊びに夢中だったあの頃。


なんとまあ、一切の屈託がなかった時代だったのか、と懐かしく思い出す。




家族は小さな家で睦まじく暮らし、子どもたちもiPadやテレビゲームではなく、おままごとや縄跳びで遊んでいた。



自分のことを思い出しても、テニスに明け暮れた中学時代、永遠に続くかと思った不遇な(親が一緒にいない、背が高い、太っていた)高校時代、思えば18歳までが一番長かったと思う。


アキに鼻水が出たことで、ヒロも託児所に行けないことになり、
12月から1月は3週間自宅待機になった二人(託児所費用は免除にならない)



その後の人生はあっという間に過ぎた。


特に過去10年は速かった。


平均寿命まで生きたとしても、あと20年ちょっと。


急流に押し流されていると感じる。


過去10年の速度と次の20年の速度が同じぐらいかもしれない。


最近は朝起きた時、指がパシパシするし、腰がボキボキするし、頭がモヤモヤする(この表現で、状態を理解していただけるのは、60代以上の方でしょうか・・・)。


そして、最近よく思う。


残りの人生、友人や家族と幸せな時間だけを共有したい。


相手のいいところを頭の中で膨らませ、彼らを思いやり、自分が正しいと思うことを無駄に主張しない。



便利なものに囲まれ過ぎて、人と人との会話やふれあいが減ってしまった今、物欲も本当になくなってしまった。



冷蔵庫も、洗濯機も、テレビもなかった昭和28年。


家事の量も現代とは比べ物にならないほど多かっただろうが、近所の人たちとの会話もずっと多かったのだろうなと思う。


自分自身のことを思い出しても、昭和30年代、近所の小さな駄菓子屋に行けばピンクの小さなクジが店頭にぶら下がり、それを一枚取ってその場で舐めたりしていたものだ。


スカ、が出ればそれまで、アタリが出ればロッテコーヒーガム(一番好きだった)などをもらっていた。


コロナでソーシャルディスタンスを取らないといけない今では考えられないほどの光景だが、なんとも温かい時代だったと思う。



シュールな時代でもあった

2022年2月15日火曜日

高輪にある老人ホーム

2月10日、日本での新たな水際対策措置が発表された。


入国後の検疫所が確保する隔離施設での待機期間が、全米の4州からの帰国者以外は3日間になり、その後自分で手配したホテルか自宅で4日間、計7日間の隔離になった。


4日間指定隔離施設での隔離対象になる4州は、カリフォルニア州、イリノイ州、ニューヨーク州、フロリダ州で、この4州からの入国者は隔離施設で6日間待機+1日の自宅(ホテル)待機する。


3月になると、入国規制が段階的に緩和されるというニュースもあるが、どういう形で緩和されるかはまだわからない。


おそらく、ビジネス関係者や留学生、技能実習生などの入国が認められるようになるのだろう。


私は3月初めの成田行きフライトを予約しているが、政府指定の宿泊施設での隔離期間が3日間にならない限り、日本行きは保留にしたいと思っている。


フライトの前72時間以内にはやはりPCR検査を受けねばならないし、ベイエリアだとこの検査機関が良さそうだが、検査費用は$185かかる。


とにかく、一日も早く京都ですませたい用事があり、日本に行くことができても、今回は2週間で帰国しようと思う。



さて、話は変わり、オードリー・ヘップバーンの人生を描いたドキュメンタリーを見て、人生観が変わるほど考えさせられた。


ヘップバーンの女優としての人生のことはここでは話題にしなくとも、知的で美しく、多くの名作を遺した女優であることは周知の通り。


十代の時は、戦争のためにプリマドンナになる夢を諦め、結婚後は不実な夫たちのために苦労したが、晩年のヘップバーンは知性あふれた美しい女性だ。



ティファニーで朝食を、の頃のオードリー・ヘップバーンはまるで女神のように輝いている。


こんなに美しい人だったのか、と目を見張ったが、晩年のヘップバーンの神々しいほどの満ち足りた表情の美しさに、心を奪われてしまった。


ユニセフの大使として、食料や医療の限られた過酷な環境にいる子どもたちを助けていたヘップバーンの表情は、なんとも生き生きとしてい(リンクはユニセフのサイト)。


それは自分のライフワークを見つけたからだと思う。


開発途上国に住む、枝のようにやせ細った子供たちを抱くヘップバーンの映像を見て、涙が止まらなかった。


それは私が毎日のように接している、おもちゃと食べ物に囲まれた4歳と1歳の孫たちと無意識のうちに比べてしまったからだ。


アメリカでは定期的に(多くは隔週)色々な慈善事業団体にお金を寄付する人が多く、私たち家族もそれは当たり前のことだと思うし、そうしている。


が、そこには心がこもっていなかったことをしみじみと感じる。



例えば、普段の生活で人を助けることに、全く躊躇はない。


カフェにいる時車椅子に乗った人、その車椅子を押す人がお店に入ろうとするのを見ると、走って行ってドアを開けて支えることに何の戸惑いもない。


街角に立つホームレスの人々には現金を渡す。


お店でパン1つ買っても、こうしたライフライン支えてくれる人たちに、心から感謝をこめてチップを置く。



アメリカの多くの人々にとって(勿論日本を含めて他の国々の人々にとっても)、これは当たり前のことで、誰かがそうする姿を当たり前のように日々見る。


こうした行為には心がこもっているが、引き落としになっている寄付金には自分が全く心をこめていなかった、と改めて思わされた。




が、自分一人の微力ではたった一人の子供も助けてあげられない、もっともっと多くの子たちを助けたいと考えているうちに、ある輸出ビジネスを思いついたのだ。


ここしばらく、そればかり調べていた。


日本でコンタクトする方の見当もつけた。


そのビジネスで得た利益は、全て困窮する子供たちを助ける慈善事業団体に寄付する。


その方も私と同年代で、子供たちへの慈善のためなら労を惜しまないだろう。


が、本当に寄付できるほどの利益に結びつくのだろうか。



色々と調べてみると、なんと(というか当然?)このビジネスはもうすでに存在していることがわかった。


しかも関税などの諸費用がかかるせいか、日本ではかなりの高額(アメリカで$19のものが日本では7400円)で売りに出ていることがわかった。


私の手に負えるビジネスではなさそうだ。


では、やはり自分が納得できる慈善事業団体を見つけて、そこに寄付するか。


アメリカの慈善事業団体に寄付したお金は、幹部のプライベートジェットやボーナスに殆どが使われる、などと言う人もいるが100%そうだとは思えない。


いくらなんでも、殆どは慈善のために使われているとは思うが、やはり具体的にどういう活動状況なのか調べてみたい。



では幹部の利益のためにばかり寄付金が使われているとは思えない、正直そうな日本の慈善事業団体に寄付するとしたら、どこがいいのだろうか。


やはり子どもたちを助けるユニセフ?



そうだ、日本に行った時、ユニセフに実際足を運び、どんな活動をしているのか、そしてどういう形でサポートできるのか、を自分の目で確かめてこよう。


日本ユニセフはどこにあるのだろう。



調べてみた。


なんと高輪にある。




シロガネーゼと呼ばれるリッチなセレブが住む、あの白金・高輪地域?


なぜ慈善事業団体がここに?


いや、お金持ちの地域に置くことでより多額の寄付が集まるから?


何度も訪れた泉岳寺のそば
そういえばあの地域には高級車が多かった


よし、次回の東京滞在の折に、行ってみよう。


近辺の地図を見ているうちに、近所にはアリア高輪という介護付き老人ホームもあることがわかった。


そうか、老人ホームとはいえ、こんな便利な地域にあれば、ちょっとカフェに行ってきます、なんて出かけることもできるしいいかも、と思ったりする。


父が3年半過ごしたホームも、こんな地域にあったら訪ねる私や姉も息抜きのできる場所が多かったのかなあ、とも思う。


介護付きホームってことは、つまり入居する本人はカフェに行くという状態にないかもしれないが、まだ出かけたりする元気もあるうちに入居するのもあり?などと希望を持って考える。


ここもついでに訪問しておく?


入居金がいらない、月額支払型というプランもあるらしい。


20㎡あれば充分だな、と思い料金プランの下方にスクロール。


オーマイガッ!!