2021年2月17日水曜日

コロナ感染から1年経って思うこと

カウンセラーのH先生に提案された『今日から・・・をしてください。』は、全くできていない。


カウンセリングを受けた2月3日(水曜日)の夕方から、悩んでいたことが少しだけ好転したからだ。


そしてその5日後の月曜日、偶然話したBさんが私と全く同じ悩みを持っていることがわかった。その人のことは33年知っているが、ユーモアのセンス、家族に対する愛情、周囲の人たちへの思いやり、全てを尊敬している。


この人と電話で話しているうちに、私には話してもいいと思ったのかBさんは最近一番悩んでいることを打ち明けてくれた。『わかるわあ』と私が言うと、勢いづいたBさんは、20分間自分の悩みを話し続けた。



翌日火曜日も電話でまた彼女の悩みを聞いた時、実は私にも同じ悩みがあって・・・と告白した。Bさんもやっと自分の気持ちを吐き出してもいい、と思ったようで悩みの元となる状況の詳細を話してくれた。それも全て私と同じ状況で驚いた。


尊敬していたBさんが私と同じ悩みを持っているのなら、全て自分が悪いと思わなくてもいいのかもしれない。そう思いながら木曜日のカウンセリングを待っていた。



が、その後、詳細は省くがコロナ感染?と不安になる出来事が起きた。そして精神的なものだったのだろう、具合が悪くなり始め、やっぱりコロナ感染したのか!!と怯えた。



その翌々日にはカウンセリングを控えている。ギリギリでキャンセルするのは悪いので、早めにキャンセルし、1週間延期することにした。




とにかく去年のコロナ感染を思い出すと、もう一度感染するのが怖くて仕方ない。


周りの人たちは医療従事者か65歳以上なので次々とワクチンを接種しているが、私は18歳から64歳までの大枠に入るので接種は6月あたり?と予想している。


それまでは日本にも行かない方がいいのかもしれない。





去年2月の感染はどこで起きたのかもう一度考えてみた。


2月中旬から下旬にかけて感染したとしたら、考えられる状況としては・・・


2月15日ランチにメキシカンを食べに行く
一緒に行った2人は感染せず

ランチのあとタピオカミルクティーのお店に行き
90%がアジア人の行列に15分ぐらい並んだ
友人2人はその後コロナ症状なし

2月19日友人とモールに行き、夕食をレストランで食べたが、
その後友人はコロナ症状なし

2月21日早朝、目の激痛を訴えるマリーを連れて救急に行く



空咳が出始めたのが2月25日ぐらいだったので、やはり感染は救急病院で起きたのではないかと思う。

そこからの経緯はここに書いたので、興味ある方は読んでいただきたいが、本格的にひどくなったのはその6日後の3月1日。救急病院で肺のレントゲンを撮り、一番苦しかった日だった。嗅覚を失った(あまりに苦しかったので嗅覚のことは認識できていない)のもこの日。微かな甘味や塩分を感じることができたので、味覚は残っていたのかもしれない。


以前書いた部分も多い記事だが、思い出した新事実を補足しておくことにする。


まず3月2日には完全に声が出なくなった。これは翌日から少しずつ戻り始めた。


3月4日、嗅覚が全くなくなっていることに気がつき、かかりつけ医に連絡。この時点ではまだコロナと嗅覚障害は関連づけられておらず、コロナではないと言われる。

ネットで調べてみると、免疫力を高めるには発酵食品がいいということで、納豆を1日1度食べ始めるがまるで味がない。





3月5日、頭痛があったのが普段服用するMotrin(イブプロフェン)は、感染源がコロナウイルスだった場合、得体の知れないウイルスなので危険かもと怖くなり、安全性が確実なTylenol(アセトアミノフェン)を飲む。頭痛はすぐ治った。


3月6日、嗅覚刺激療法を始める。ベッド脇に庭に咲いていた花、レモン、シナモン、植木の葉っぱを置いて1日に何度も何度も匂いを嗅ぐ。そして次男に亜鉛の錠剤を買って来て、と頼む。がTrader Joe'sにはカルシウム・マグネシウム・亜鉛混合サプリしかなかったので、それをこの日から飲み始める。


食べることが何よりも大好きなのに、
嗅覚がないのは辛かった


この日結膜炎症状が始まる。

そして夕方、樹液から一瞬だけだったが、ほんの微かな香りを感じる。



3月7日午前、葉っぱの柔らかなところを爪で剥がし、樹液を擦り出すようにしていたら、突然匂いがした。1時間後にはまた何も匂わなくなった。

この日、あまり好きではないうどんならまだ食べられることがわかり、微かな希望を見出す。




8日は一日中嗅覚なし。


9日は朝から夕方まで嗅覚が戻る。


3月10日、嗅覚は完全復活したが、朝から一日中ひどい咳がぶり返す。

この頃食べることができたもう一つのものは杏仁豆腐
食感を楽しめた


3月11日。前日の咳のせいか体のあちこちに痛みを感じ、心臓に微かな痛みあり。この頃コロナの後遺症や血栓のことはまだ何もニュースになっていない。

が、この日突然症状が全て完治したように感じた。


つまり、感染が2月21日とすると、完治の3月11日まで(症状の上で)20日かかっている。


しかし、1年前を振り返ってみて、思い出すのは食べ物に関連したことばかり。


そして完治した途端、3月11日はこんなに食べている。ベーグルなんぞ1日に2度も!

まずは、根本的に卑しいのを治さないとね

2021年2月6日土曜日

カウンセリング セッション1- 2 古い記憶

コロナ禍の中、カウンセリングはリモートで行われた。


スクリーンの中のH先生は無色の部屋に座り、洋服はシンプルで鋭角的なラインの黒いもの。


部屋、先生の洋服。何もかもが無機質な印象と言えるかもしれない。


先生の短いがふんわりとセットされた髪と、柔和な表情だけが穏やかなラインを描いている。


カウンセラーとして先生が持つ守秘義務についての説明のあと、私は今悩んでいることを話した。



先生は私が話している間、ほとんど口を挟まない。



何が今私を悩ませているのか。私は話し続けた。


親からは無条件に愛されたという記憶しかなく、介護は辛かったがそれも終わり(ここで涙が出た)、少し前までは悩みもストレスもなく、全て順調と感じていた。


そして、私は自己肯定感がとても強い人間だと思っていた。



なのに、今は不安ばかりがある。


去年長男が私の旧姓に改姓した事実に夫の兄と母親が激怒し、私と絶縁状態になったこと。


去年起きた人間関係に関する辛い出来事は他にもいくつかあり、それがきっかけで自分に自信がなくなった。私は知らない間に、人に対して支配的な態度をとっていたのだろうか。


今はどの友人ともいい関係を築いていると思っているが、いずれ自分は全ての人に拒否されて、たった一人になってしまうのだろうか。いや、そこまでのことはないとしても、それに近いことは起きるかもしれない。



先生は相槌を打ちながら優しい目で私を見つめてくれている。


私はカウンセリングの時間いっぱい一人でしゃべった。


私の話が終わった時、先生から優しいトーンで質問と提案があった。



あなたは何かの出来事を深く掘り下げて分析するようですが、そのことは普段からどこかに書いているのですか。


そう、書いている。私はなんでも記録するのが大好きなのだ。7歳の時から日記をつけているし、感情の動きもエクセルでチャートにして記録している。毎年手帳を買いアナログ的な記録もする。


このブログを始めたのも、父の認知症の記録を取りたかったからだ(このことは先生には伝えなかった)。



あなたが得意とする、分析して自分を見つめることで、本当の感情が出づらくなっているんですね。


え?ここで驚いた。自分は感情のままに行動する人間だと思っていた。だから、昔から女友達にもボーイフレンドにも夫にも、自分の気持ちをぶつけてきたではないか。ティーンエイジャーの息子たちにもよく怒っていたのに?


この時点でとりあえず、今の自分の姿への認識が180度変わった。



だから今日から・・・をしてください。


と、ここで、ある提案が先生からあった。この手法については、私も患者としての守秘義務とまでは言わないまでもマナーだと思うので、ここには書かない。


が、最後に先生に言われたのは、今日このセッションが終わった後、色々な思いが出てくるでしょう。そしてそれは当たり前のことです、いうこと。



まさにそうだった。


寝るまで色々な記憶が蘇り、それを自分の中で分析し続けた。


そういえば高校生の時Wちゃんと私の性格のことで喧嘩したな。あの時のWちゃんの指摘は正しかったのかもしれない。私は自分が正しいと思っていたけど、それは父から受け継いだ頑固さから来たものだったのだろうか。


父は血縁の親戚には優しいが、非血縁者には厳しかった。私もそうなのではないか。


私は完全に心を許した相手に、求め過ぎる傾向があるのではなかろうか。そして、求め過ぎて受け入れられなかった時、今度はその人に理不尽な怒りを感じるのだろうか。



翌朝は目が覚めた途端に、長年忘れていた記憶が二つ蘇ってきたことに驚いた。


幼稚園の入園式の日に、母と登録テーブルに行った。事務手続きをしている職員さんが私に優しく言う。自分の名札を取ってください、と。


名札はテーブルの上に何枚も置いてある。ひらがな5文字の自分の名前はもちろんもう読めていた。なのに、私は混乱した。この札に自分の名前が書いてあるが、これをすぐ取りあげてもいいのだろうか。そこには何か他の意味が隠されているのではなかろうか。今から思うとそんな感情だったのだと思う。名札を取り上げることができなかった。


自分の名札を認識するのが無理なのだろう、と思った職員は『じゃあ、お母様が取ってあげてください。』と母に向かって言った。


夜母が、家族に言った。今日本当に恥ずかしかったのよう。この子ったら自分の名札が取れないの。



もう一つの記憶も、ずっと思い出したこともなかったものだが、カウンセリングで分析という言葉が何度も出たのでそこから呼び起こされたものなのかもしれない。


小学6年生の時、全校一斉テストが実施された。


テストは簡単だったが、特に最後のページは、どの問題も一瞬で答えがわかってしまった。そのページには積み木でできた立体がいくつも並べてある。(隠れているものも含めて)積み木がいくつ使われているのか答えなさい、という問題だった。現在は小学校受験問題に使われるらしい、空間認識能力を調べる問題なのだろう。なんで周りの子たちは皆延々と時間をかけているのだろう、と不安を感じたのを覚えている。


今は空間認識能力は完全に衰えていて、積み木を見ても数えるのに時間がかかる。そして、しょっちゅう物にぶつかる。


が、なぜその二つの記憶が突然鮮明に呼び起こされたのか不思議だった。



出来上がったブリ大根
一瞬で大根の数が認識できた(ウソ)

2021年2月4日木曜日

カウンセリング 1-1 自分自身のイメージ

もう更新はないだろうと半ば諦めてブログをチェックしたけど、最新の投稿を読んでみたら・・・

あれでは皆心配するぜよ、というLINEがイギリス在住の友人Yりさんから入った。

美味しいものを食べたいと思わない、って・・・お菓子はパクパク食べてるのんだから、あれじゃインチキでしょ!ということ。


持つべきものは友だ。


心配してくれた友人から次々メッセージが入って、それだけでも自分がどれだけ幸せか、そしてコロナ禍で大変な思いをしている人が多いのに、なんて贅沢なことを言ってるんだと恥ずかしくなる。


が、カリフォルニアばあさんこと、チビリッツさんから来たメッセージに救われた。


XXXさんのがぜいたくな悩みなんて、全くそんな事はないですよ。


悩む条件は何もないです。


その人の頭の中のケミカルバランスと思います。どんなきっかけでも起こりえます。



そうか。悩む条件なんてないんだ。私も悩んでいいんだ。


先週の火曜日あたりからどうも何もする気力がわかない、と思い始め、体に影響が出始め、木金土は怖くなるほど体調が悪かった。


そこで鬱を経験したS子さんと、カリフォルニアばあさんの娘さんが通われたカウンセラーに連絡したのだった。


S子さんからのメッセージにはこう書いてあった。ご本人の承諾を得て、S子さんの体験記を、少し加筆してここで紹介させていただくことにした。



2015年の夏頃に、###(ベイエリアの地域名)にある一軒家のテナントを追い出し(これも###の裁判所に行って裁判したので時間や費用がかかりました)、それからその家のリモデルを始めました。 


息子が**(市)を出て###に住みたい、そして娘も自分はいつか###に帰りたいから家を売らないで欲しいという希望がありまして、リモデルを始めたわけです。

約三か月の期間中、片道2時間の運転距離を毎週往復し、宿泊地がないのでホテル、友人宅、友人のゲストハウスなどを転々とし、 大工さん、電気屋さん、Home Depot(DIYショップ)の連中など、数カ所との交渉や管理など 一人でやりこなし、数度は身動きができなくなるほど疲労困憊してしまったのです。

台所が使えないので外食ばかり。最後は不眠が続きました。 

最終的にリモデルに予算の倍かかってしまったのは、シングルマザーとしては痛い出費でもありましたが、兎に角三か月で何とか内装は終わり(台所はできませんでした)、ホッとしたら今度は歯の調子がおかしくなりました。 

原因がわからず、4-5人の医者に行き、最後はPeriodontist(歯科系疾患専門医)で結論が出ました。 結局抜歯することになり、それも無事済みました。 




ところがです。 



忘れもしません、11月4日、2015年。 


朝起床した時、変な体調だったのです。 

ちょっと普段とは違うのです。


午後散歩に行きましたら続ける元気がなく1.5マイルで帰り横になりました。 


それから体調は悪化するばかり・・・ 


体が動きません。


不眠、食欲不振、寝たり起きたりの生活。

完全に介護が必要になってしまったのです。

 

何とか3人の方を雇い 食事を用意してもらいました。 それも普通の食事ができなく病人のような淡白なものだけしか食べられません。

友人が医者の送り迎えをやってくれました。

友人がお見舞いに来てくれましたが、ただベッドかソファに横になってぐったりしているだけの私はもぬけの殻みたいでした。

元気だったころの私を知っている人達はびっくりして、言葉もかけられなかったはずです。 



主治医に行き色々な検査を2か月かけてやっていただきました。 

結論としてどこも悪いところが見つからない、ということで精神科医を勧められました。 

そして主治医の紹介で、精神科医とカウンセラーに2016年の一月から会いだしました。 

これらは保険が効かなく、食事係の支払いなどで月に1000ドル以上の出費は大きな負担でした。 


精神科医はacute stress(極度ストレス)と判断し、薬を服用すれば2か月で必ず回復に向かうと言ってくれたのです。 

半信半疑でしたが本当に6週間である程度直っているのがわかり、2か月後には教会に行ける元気が出たのです。 これは自分にとっても奇跡としか言えません。 子供たちは自分の母親の変わり果てた姿を理解できず、戸惑ったはずですし、まず信じられなかったはずです。 この時は子供たちは助けになりませんでした。


以上がS子さんの鬱になった時から治癒した時までの話だ。



鬱状態がどんなものか知識のなかった私はこれを読んでびっくりした。


そしてありがたいことに私を心配し、電話をかけてきてくださったS子さんの話を詳しく聞いて、もっとびっくりした。


カウンセラーN先生に会うにもオフィスまで車も運転できなかったS子さんだったが、そのS子さんの元にN先生は通って来てくれ、ベッドサイドでカウンセリングを受けたということ。


そして、私にS子さんがおっしゃる。


お願いだから、今のうちにカウンセリングを受けて。今のうちに対処し始めて、と。


S子さんの体験記を読んでやっと、鬱状態というのは気分が重いなあ、と悩んでいる状態ではなく、体が全く動かなくなるほどの状態、知人が来てもそちらを見ることもできないような状態なのだと理解した。


ということは、私もひどい状態になるのを待つのではなく、今から対処するべきなのだろうと悟った。実際私も先週木金土は普通の食事が喉を通らなかった。(お菓子は食べた。)



遂に先週、カウンセラーに連絡した。


そして今日1回目のカウンセリングセッションがあった。


カウンセラーのH先生(N先生と相談してH先生の方が私には合うと判断した)が話したのは5分足らず。私が話したのは50分。



なのに、自分自身のイメージが180度ひっくり返った。


今晩はブリ大根作ります

2021年2月1日月曜日

コロナ鬱?

 今年はブログの更新をもっと頻繁にするぞ〜、と思っていたのにもう2月になってしまいました。


みなさま、お元気でしょうか。


私はどうも今年に入って少しずつ鬱状態になりつつあるようで、以下の症状があります。


  • 朝起きると口の中で舌が膨張している感じ。
  • 頭の中に水が溜まったような感じで、何かを考えるということができない。
  • 手足が痺れたような感覚が一日中あり、夜中や朝トイレに行く時フラフラする。
  • 突発的に涙が出る。
  • 美味しいものを食べたいという気持ちが全くなくなった。
  • 明日の朝目が覚めなくてもいい、という気持ちになっている。

といったもの。


でも、10月末から始めた19分エクササイズはちゃんとやっております。


明日からカウンセラーと話すことにしたので、そのご報告をするまでしばらくお待ちください。コメント欄も閉じさせていただきます。申し訳ありません。

エクササイズ10分 脈拍数122 スックと立つ
(影は足も実際よりずっと細く見えるので力が出る?)

エクササイズ15分 まだ大丈夫

エクササイズ18分 ヘタレ