2020年7月26日日曜日

The City Bakery

PCR検査を受けた7月15日から10日がたった。

結果。

まだ出ていない。

もし私が陽性だったらウイルスをあちこちでブンブン飛ばしているかもしれない。いや、どこに行くにもマスクはしている。が、100%大丈夫なんてことはない。

縫い物ができないので、Macy'sでマスクを15枚買った


別に症状があるわけじゃなく、PCR検査を受けませんか?というお誘いメールが市から来たので、受けてみたのだ。

最初は家からほとんど出なかった私も、最近はスーパーにも行くようになったし、託児所に通うヒロとも会う。戸外で会うようにしているが、それでもヒロから感染する可能性がないとも言えない。


コロナの抗体は半減期およそ73日という研究結果もある。コロナにかかっても軽症ですんだ人の抗体は急激に減少する、などという話を読むと怖い。が、今のところ自分では健康だと感じるし、コロナ後遺症もあるとは思えない。

なのに、毎朝とても不安な気持ちで目が覚める。日本にも今年中に行かねばならない用事があるが、移動するのは怖い。それでも秋冬はコロナが猛威を振るっているかもしれないから、日本に行くとしたら今しかない。が、怖い。日本でコロナに感染したら入院するのだろうか。いや、サンノゼは感染者が毎日激増している。日本の方が安全なのではないだろうか。一日中頭の中で不安がグルグル回っている。

京都に行くにしても関空行きの便がないのだから、成田に飛んで2週間自己隔離したあと京都に新幹線で移動しないといけない。新幹線は危なくないのか?飛行機だって怖い。が、飛行機は病院と同じように空気が上から下に向けて循環されているので、新幹線よりはリスクが低いような気もする。

心配性の私の頭の中には次から次にオンラインで読んだコロナに関してのニュースが浮かび、具合まで悪くなってしまう。こんな時自分の過剰に心配する性格がいやになる。コロナのニュースばかり読んでいるから、ここまで不安になるのだ。ヤフーニュースをクリックすると、コロナ関係のニュースばかりが出てくる。私がコロナに関しての記事ばかり読んでいるので、ヤフーも学習してしまったようだ。脳を入れ替えたい。

そんな時東京の友人から送られてきたメール。私が東京で行きたいのはThe City Bakeryというパン屋さんだ、と書いたメールへの返事に写真がくっついていた。吉祥寺に来たので行ってみました〜、と書いてある。

日本、行くか?

友人からの写真が私の脳をクリックしてしまった。

『不安』はパンによって『欲望』へと上書き保存された


2020年7月17日金曜日

コロナ抗体検査結果

抗体はなかった!



途端に怖くなった。今後またコロナ感染する可能性はやはりあるわけで、その場合再感染ということで症状は軽いのか、あるいは前回に比べてもっと重いのか。

感染しないようにしなければならない。サンタクララカウンティー(サンタクララ郡)も含めてカリフォルニアの感染者数は増えている。

前回はどこで感染したのだろうか、と遡って考えてみた。

コロナの最初の症状が出た日ははっきりと覚えていないが、2月の下旬だったはずだ。

最初に何かがおかしいと感じたのは、朝起きた時まぶた(腫れていた)、
目の下、鼻の下などの粘膜付近と頰が赤くなっていた2月25日

一番ひどかったのが、救急病院に行った3月1日から3日まで。3月2日に嗅覚を失い、6日には庭で葉っぱから出る葉腋の香りがほんのわずか感じられ、7日の朝1時間嗅覚が戻り、8日は嗅覚完全になし、9日の朝戻ったものの夕方からまた失う。完全に嗅覚回復したのは10日の午後。6日には結膜炎症状まで(目が少し赤くなったが結膜炎とは思っていなかった)出ている。

感染したのはおそらく2月中旬から下旬にかけてだろう。

私は父に似てメモる人なので、その頃の『お出かけ』をチェックしてみると、まず2月13日に美容院に行っている。が、13日に感染して12日後まで症状が出なかったとは考えにくい。次の外出は15日。友人2人とメキシカンを食べてその後タピオカドリンクのお店に行ったが、お客さんはほとんどアジア人。この日は私が注文し、できた食べ物や飲み物を取りに行き、支払いの時レジの人と話した。だから、他の2人は感染せず私が感染した?いやいや、2人を私の車に乗せて20分以上は運転している。車の3密状態で感染しないとは考えにくい。

だから、やはりこの日でもなかったような気がする。

次の外出は19日、Valley Fairというモールで他の友人とカフェに行き、1時間ほどモールを歩き別れた。が、これでもないような気がする。

そして21日にマリーを救急病院に連れて行った。自分でも痛みに対する耐性がとても低い、というマリーは目の痛みで泣き叫んでいた。何度も何度もお医者さんに早く会えないか受付で聞いてくれ、お医者さんがまだ来ないかその辺をチェックしてくれ、と頼まれて私は病院内をウロウロした。

救急病院の待合室

この時コロナはもう流行し始めていたので、私はマスクをしたのだが、途端に待合室の人たちからジロッと見られはずす。感染はこの日だったのかもしれない。症状はこの4、5日後に出始めた。

今はどこでもマスク、マスク、マスク


ということは、

感染から、顔粘膜付近が赤くなり咳の症状が出た日(最初の症状)まで早くて4日
最初の症状が出た日から救急病院に行き肺のレントゲン(肺炎はなかった)を撮るまで4日(感染後8日?)
最初の症状が出た日から嗅覚を失うまで5日(感染後9日?)
最初の症状が出た日から呼吸が苦しくなった夕方まで(吸入薬の副作用?)6日(感染後10日?)
最初の症状が出て結膜炎まで9日(感染後13日?)
最初の症状が出た日から100%嗅覚回復まで13日(感染後17日?)
最初の症状が出た日から完全に回復したと感じるまで17日(感染後21日?)

ということになる。

実は昨日、抗体検査結果が出る前にPCR検査も受けた。結果が出るまでには2−7日かかるらしい。

検査場には検査を待つ車の列もほぼなかった

検査場のすぐそばが墓地って・・・


これで陽性と出たら・・・と考えると本当に怖くなる。コロナに感染して辛い思いをしたのに、獲得していたであろう抗体がなくなるなんて、踏んだり蹴ったりではないか。とぼやきながらも日本の美味しいもの写真を見てしまう。

実はコロナ太りでこの4ヶ月の間に2キロ増えた。

英語で私の今の状態を表す言葉
パーフェクトストーム

2020年7月15日水曜日

コロナ抗体

どうもこのところコロナに対する恐怖感が薄れてきて困っている。

コロナに関するニュースがまだ少なかった2月に感染した(はず)せいか、その後は抗体もできたし大丈夫、という気持ちがあるのだと思う。



が、抗体は数週間から数ヶ月でなくなる、というニュースがどんどん入ってくる。感染3ヶ月後COVID-19中和抗体が高レベルで持続されている患者は、調査対象の患者90人のうち16.7%にとどまったというのもその一つ。

その上最近の研究では、後遺症として身体中に血栓ができる、脳に障害が残る、などなど怖い事実ばかりがクローズアップされて、楽観的なニュースは何もない。そもそも抗体がなくなるということは、ワクチンだって一度受ければ大丈夫どころか、毎年受けても効果がない可能性だって出てきたわけだろうと思う。つまり集団免疫も無理?

アメリカではワクチンができても接種しないと言う人は人口の3分の1だそうだ。ということはどちらにしても集団免疫はできそうもない。

変異したコロナは今までの6倍もの感染力がある、というニュースも今朝読んだところだし、とにかく自分は高齢である、ということを肝に銘じて気をつけないといけない、と思う。思うのだが、やはり抗体が・・・という油断がある。

夫は時々職場に行くが、帰宅したあと着替えている様子がない。靴もはいたまま家の中に入ってくる。(現在のイライラ原因No. 1!)




次男一家の家のリフォームを手伝っている
これは書斎ビフォー
書斎アフター


ドアノブを交換ビフォー

アフター



だから、今日の午後抗体検査を受けることにした。COVID-19 IgG検査だ。コロナ感染後4ヶ月が経過した。果たして抗体はまだあるのだろうか。

どうか抗体がまだありますように。「とーちゃん、かーちゃん、よろしく」と両親の写真に向かって話しかける。

こんな時だけチチカカ頼み

2020年7月3日金曜日

ブルー or グリーン

アメリカで生活する、ということは配達日に物が届かない、届いても壊れている、壊れていると連絡してもらちがあかない、やっと返金しますという答えをもらっても返金されない、電話、電話、電話、という生活に慣れなければならない、ということだ。



病院だってそうだ。


友人は検査日に大変な思いをして数時間かけて準備をして検査に臨んだのに、検査キットが残っていないと判明、数ヶ月後にまた準備してきてください、と言われたとか。


こんなことは日常茶飯事。




次男とマリーが注文した冷蔵庫もそうだった。


インテリアに自分なりのこだわりがある次男がほしい、と決めた冷蔵庫。


奥行きが62センチ、高さが2㍍ちょっと、という特別なサイズはThermadorという会社が作るだけ。


マリーも一目で気に入ったので注文。


私はその金額に驚いて、え〜、そんなに高いものが必要なんだ・・・と言ったことで次男はムッとする。


このキッチンは数年後にリフォームする予定だし、その時のために今これを買っておくの、ということ。




そうか、30歳になった息子に自分の意見を押し付けてはいけないのか、とわかり口をつぐむことにした。


が、そこで夫が『冷蔵庫の取り付け費用($450)なんか払う必要はない、自分がするから』と口出し。


配達された冷蔵庫はキッチンまで運び込んでもらうという条件($100)で注文することになった。




ところがこの冷蔵庫を運んできた配達員は「配達するだけ、と聞いています。」と譲らない。


キッチンに運び込んでもらうために$100払っています、と言っても無駄。


結局ガレージに置いて行かれた。




それから仲介のお店に電話して交渉すること3日間。その間冷蔵庫なし。

3日後には無事運び込まれたが、とにかくいい年をした子供のすることに口出しすべきではないなと思い知らされた。

ガレージ→裏庭→ファミリールーム経由で運び込まれた冷蔵庫

インストレーション(by 夫と次男)は午後中かかった

無事おさまった冷蔵庫




が、そのくせ長男と違って何事も私や夫に相談してくる次男。インテリアに関しては私に、その他全般に関しては夫に相談する。

ポップコーンシーリングという40年ほど前まで流行っていた天井のブツブツ。


これは寝室4部屋のうち2部屋だけがまだ取り除かれてなかった。


そのブツブツを取り払い、その後左官屋さんに来てもらい仕上げ(石膏塗装)てもらう。


ついでにヒロの部屋となる方はブルーにペンキを塗ってもらったのだが、もう1部屋(仕事部屋になる予定)の方はどうしますか?と聞かれた次男とマリー。


左官屋さんの工事費は日割りで$500。


仕事部屋の方はあとペンキを塗るだけになっているが、そのペンキ塗りだけでも2日かかる。

                                                                結局次男とマリーが選んだのは1番上の2色


そこでまたケチな私と夫が口を出す。


私たちが手伝うからもう断りなさい。




そしてまた、どっぷりと疲れることに踏み込んでしまう私たちなのだった。




しかし、ブルーの方はわかる。


いつもSFのマンションで使っていたブルーグレーが最高の色、今後もずっとこの色を使いたい、と次男はいつも言っていたのだから。

グレーに近いブルー

いや、別に文句はないのだが、グリーンという新色に戸惑う。それも仕事部屋にパウダーグリーン?(と母親はうるさい・・・)






が、今朝ペンキを塗っている私たちに差し入れをしてくれた、マリーの作ったマリー一番お気に入りの飲み物。









そうか。納得。



抹茶ラテ色だったのね