2020年3月29日日曜日

私は隠れ新型コロナウィルス患者だったのだろうか 2/2

歯医者さんが私の歯の治療をする時、助手にいつも言う。

「ほら、彼女(私のこと)を見てごらん。注射針が歯茎に刺さっても頰の筋肉がピクリとも動かない。」と。心の中でつぶやく。『当たり前でしょ。日本人だもん。日本人はいちいち騒ぎませんよ。』と。

日本人は我慢強いのだ。日本人は偉いのだ。

が、アメリカではそれが仇になることもある。我慢することで大した苦しさではない、と思われたりするのだ。

一日中出る咳があまりに辛くて、これはただの風邪による咳ではない、これは死につながる咳ではなかろうか。肺の中は菌に侵されていて、その菌を四六時中空気に排出していて、家の中は菌だらけではなかろうか。肺の奥底から出る咳、数分おきにタンが出てこれは尋常ではない、と感じ続けていた。

でも、かかりつけ医との電話では普通の風邪、咳はそんなもの、と言われ続ける。そんなはずない、と思い続けながらも何もできない。レントゲンでは肺炎の症状はなかったんだし、咳止めの薬を飲むしかない、と言われる。

現在このあたりの病院の患者は半数がコロナ患者だそうだ


実際コロナウィルスに感染しても、何もできることはない。ただ休むだけだ。が、頭の中にはなんども危険信号が灯った。コンコンという咳ではなく、ゴンゴンという濁音の咳。喉を引っ掻くように咳き込むから、喉も赤くなってきた。喉を麻痺させる塗り薬を処方される。喉は麻痺しないが舌先が麻痺する。一度使ってすぐやめた。対症療法しかないのだ。胸も痛む。

この6日目が最悪の日だったのだが、ここで私が踏ん張れたのは元々の免疫力があったせいかもしれない。でも私だってもう殆ど高齢者だから、危なかったのかもしれない。この日、最悪のポイントに達し、その最悪ポイントから4時間後ぐらいに突然悪化してventilatorつまり人工呼吸器が必要になっていたかもしれない、とMささんに言われた。Mささんのご主人は高名なお医者さんで、コロナウィルス有識者でもある。Mささん自身もコロナウィルス解説者としてCNNに出られそうなほど精通している。そのMささんに、次にかかったら危ないかもしれないから気をつけた方がいいわよ、と言われた。ビビる。

Mささんご主人によると、コロナウィルスは強力なウィルスで、一度かかったら免疫ができるかどうかはまだわかっていない、変異を重ねていく可能性もある、だから私がまたコロナ感染する可能性はあるかもしれない、ということだ。マジ、ビビる。

それを聞いて、シリコンバレーはロックダウン中だし、家事は少しさぼってもいいか、と思うようになった。なにしろ病気の間も夕食の支度をしなかったのはたった3日ぐらいで、あとは毎朝掃除機をかけ、猫の世話をし、午後2時になると夕食の下準備をする。夕方6時に家族がご飯を食べられるように、と午後5時には重い体をひきずるようにして階下のキッチンに毎日降りて行ったのだった。

騒がない私だから、家族は私の苦しさを把握してなかったのだと思う。もっとさぼってもいいのだ。もう年寄りなのだ。

だから昨日Mささんと話したあと、私はサボることにした。引っ越しの荷物が片付いていないのももう気にしないことにした。

Shelter in placeの規則を調べて引っ越しはできることを確認したあと、
先週末サンフランシスコのマンションの荷物を夫と次男がトラックで運んだ


が、家事はサボることにしたが、庭の雑草は気になる。

雑草を抜きながら、両親ともにもう生きていないことを悲しく思いながらも安堵する。特に父がまだ生きていたら、と考える。アルツハイマー病で特養で暮らしていた父は、毎日会いに行って安心させてあげないと、不安になり私や姉に電話をしてくる人だった。そんな父にこういう状況の中会いに行くわけにはいかなかっただろう。そう思うと、今家族が施設にいる人たちはどんな思いを抱えているだろう、と同情する。親が心配だから会いに行きたい。でも、それは叶わない。その大事な親がコロナに感染し、呼吸困難に陥る。ICUに入り死に近づく。それでも会いに行けない。想像を絶する苦しみだと思う。

これから日本は、アメリカは、世界はどうなるのだろう。暗い暗い気持ちになる。暗い気持ちで雑草を抜いていてふと気がついた。

雑草と思い無心に抜いたこれ・・・


さっきから雑草と思って抜いていたのは、もしかしてカリフォルニア州のstate flowerであるポピー・・・道に咲いている花を抜くのは違法と言われている、あのカリフォルニアポピー・・・では?

私は隠れ犯罪者でもあるようだ

2020年3月28日土曜日

私は隠れ新型コロナウィルス患者だったのだろうか 1/2

私はやはりコロナウィルス、COVID-19に感染していたのだと思う。

テレワークで夫、次男、マリーは24時間家にいるし、ヒロも託児所が閉鎖されたのでこれまたずっと家にいる。この4人は私が咳で苦しんでいた間も全く健康そのものだったから、まさか私が感染力の強いコロナにかかっているとは思いもしなかった。

具合が悪い時もついつい育児を手伝ってしまったが、
家族4人は全く何の症状もなかった


が、やはり嗅覚と味覚がなくなったことで、今はコロナだったと確信している。

だから、一患者として記録を残しておきたいと思う。ここからは不快な表現も出てくるので、食事中の方はお気をつけください。

強い症状が出た日を1日目として書く。それまでにも空咳は出ていたと思うが、いつからだったのかはっきり記憶していない。

この9日前、目に傷ができて痛いと泣き叫ぶマリーを救急に連れて行ったが、その日私には咳や風邪の症状が何もなかったのだけは覚えている。

もうコロナが流行り始めていたのでマスクをしたかったが、
つけた途端待合室の患者にジロリと見られ、はずした


1日目:咳とともに黄色いタンが出る。この日まで何日空咳が続いていたのか思い出せないが(3日ぐらいだと思う)、病院の24時間ホットラインに電話して相談した。水分を摂ること、蜂蜜を入れたお茶を飲むこと、などなど、つまり専門的なアドバイスはなかったが、やけに明るい年配看護師さんと話していると元気が出た。

2日目:1日目と同じ症状だが、緑色のタンが出始める。

3日目:咳と緑色のタン。胸が苦しいので救急に行く。過去2週間以内に渡航したか、感染が確認されていた人とコンタクトがあったかを聞かれる。どちらも否定。熱はなし。息苦しさなし。胸部レントゲンはクリア。咳止めと吸入薬を処方され、お昼から服用する。

4日目:前日と同じ症状が続く。食欲はあったのでラーメンを食べようと思い作ったが、あまりに味がなく捨てる。塩分と辛味は感じるので、味覚がないことにこの時点では気がついていないが、この日から嗅覚と味覚はもうなくなっていたらしい。夜鶏ひき肉とレンコンでキンピラを作るが、味付け失敗したかな?と思った。

5日目:咳とタンは変わらず、泣きたいほど苦しい。夕食後二階の寝室で休みながら咳止め薬を飲み、吸入する。1時間後ぐらいに動悸がし始め脈を測ると108になっている。身体中がドキンドキンと脈打っているのを感じ、これは危ないかも、と急いで身辺整理をする。が、どんどん気分が悪くなり、階下にいる次男を呼び、血圧計を持ってきてもらう。その時点で血圧は140/100。普段は100/60ぐらい。脈は115。パニクりながらもオンラインで原因を調べると、吸入薬の副作用とわかる。

6日目:咳は相変わらずノンストップで出る。ひっきりなしに緑色のタンに悩まされ、この日やっと味覚と嗅覚がなくなっていることに気がつく。かかりつけ医に電話して、咳があまりに苦しい、吸入薬は副作用があるのでやめたが、この咳の苦しさをやわらげる薬が何かないか、と泣きたいような気持ちで聞く。かかりつけ医の診断では、風邪による咳は3週間ほど続くし、吸入薬はどれも同じ成分なのであなたが副作用があると思うなら、他の種類は処方できない。とにかく水分を摂ること、シャワーを浴びることで咳は緩和する、と言われる。味覚・嗅覚は風邪が原因で一時的になくなることはよくある、という結論。

7日目:前日は本当につらかったのに夜はよく眠れていたらしく、早朝気持ちよく目が覚める。タンはそれまでより柔らかい状態になる。が、頭痛があり数年間痛み止めとして使っていたMotrin(イブプロフェン)を飲もうとしたが、何故か危険を感じてTylenol(アセトアミノフェン)を飲むことにした。これが正しい判断だったことをあとで知る。咳はこの日少し楽になったと感じる。

8日目:咳とタンはまだ続いている。嗅覚を戻すトレーニングを始める。夕方裏庭に出た時、樹液からほんのかすかな匂いを感じる。

周囲の山が青々とし始めた頃だったが、ひたすら家にこもっていた


9日目:前夜は少し咳が楽だったのに、朝起きたあとまた咳がひどくなる。嗅覚のトレーニングで樹液に一番反応することがわかり、葉っぱを爪でこすりながらなんども匂いをかいでいるうちに、突然嗅覚が戻った。それが朝10時半。11時半にランチを食べようとしたが、もう味がないことに気がつき、あ〜、1時間前に何か食べればよかった、とがっかりする。普段はうどんがあまり好きではないのに、嗅覚がなくても天ぷらうどんなら食べられることがわかる。このまま一生嗅覚も味覚もなくても、天ぷらうどんで生きていける?と少し希望が出る。タンはまた硬くなってきた。

10日目:一日中嗅覚が戻らない。トレーニングをしながら焦るがダメ。

11日目:咳が少し楽になり、朝から気分が良い。I'm back!という感じ。エネルギーを感じる。そしてお昼前突然生活の臭いを感じる。嗅覚が戻った!とわかり、前回のように1時間後に嗅覚がまたなくなる前に何か食べねば!とサンドイッチを作って食べる。夕方また嗅覚がなくなる。

12日目:朝からまた咳がひどい。嗅覚と味覚はこの日起きた時香水を指につけてみてしばらく匂いを嗅いでいると戻った。その時以来嗅覚・味覚ともに完全復活。咳がつらいのでまたかかりつけ医と電話で話すが、とにかく今は焦らずに風邪が治るのを待ちなさい、と言われる。昼間ここまで辛かったのに、夜突然咳が楽になる。

13日目:完全に回復したのを感じる。が、毎日24時間ひどい咳が続いたためか、体のあちこちが痛む。心臓もかすかに痛いような気がするが、それが胸骨の痛みなのか心臓なのかはっきりとはわからない。でも痛いのは左側だけ。

あとから考えると5日目と6日目が一番ひどい状態だったのだと思うし、多分この2日間が重症化するかどうかの分かれ目だったような気がする。

友人が差し入れてくれた玄米むすび
私の強みは『どんな時でも食欲旺盛』であること、と改めて確認したのだった

続く・・・

2020年3月17日火曜日

あと2時間でベイエリアがロックダウン(都市封鎖)される

ベイエリアのLockdownが始まる。3月17日午前0時。この時から地域は厳重な封鎖状態になるわけだ。

必要最小限のお店(スーパー、薬屋さん)と病院、銀行など、つまり生活するのに必要な場所以外は全て明日から閉まる。不必要とみなされる外出はできない。

テレワークが始まり、託児所も閉鎖され、我が家はヒロを含む5人が24時間一軒の家でわさわさ生活することになる。

託児所も学校も職場も全て閉まる


ということは役所も閉まってしまうので、サンフランシスコのマンションの契約も延期になった。3月30日に契約書を交わし支払いがある予定だったので、来月からは家のローンもマンション管理費も必要なくなった、と喜んでいたのに。Lockdownは4月7日まで。その後つつがなく最終契約ができるのだろうか。心配だ。

今週末は引っ越しトラックを借りて家具を全てサンフランシスコからサンノゼに移す予定だったが、これもキャンセルになった。生きるために必要ではないレンタカーの営業所も閉まってしまうからだ。

その上今日は私の歯根が割れてしまった。インプラントにしないといけない。それも3本。なのに、歯医者さんも明日から閉まってしまう。だから、割れた歯で過ごさないといけなくなったが、炎症が起きないように抗生物質を電話で処方してもらい服用することになった。

やっとひどい風邪から回復し始めて、抗生物質も使わずによくぞ乗り切った、と自分をほめていたのに、あっけなく歯のために抗生物質を使うことになってしまいがっかりしている。

味覚・嗅覚も戻った。3月1日に感覚がなくなってリハビリを始めたのが3月6日。(わかりやすくするために、日付は少し変えてあります。)

ベッド脇にも茎を置いて一日何度も嗅いでいた


7日の午前10時半に突然樹液の香りがわかるようになり、戻った戻ったと喜んでいたら30分後にまたなくなってしまった。

毎朝夕裏庭に出て新芽部分を取って樹液を嗅いでいたら、ある瞬間フッと香りが漂った


その2日後、9日の朝また感覚が戻ったと思ったら、夜何も臭わなくなった。最終的に完全に戻ったのは10日の早朝。それからは問題なく嗅覚も味覚もある。

名前はわからないが、反応したのはこの植木


空気の匂いがわかり、食べ物が美味しく感じられる幸せを忘れないようにしよう、と思ったのもつかの間。

幸せを感じる間もないほど早食いしとります

2020年3月10日火曜日

電報

実際ここまでひどい風邪をひいたのは10年ぶりかそれ以上前が最後だったと思う。年末のインフルエンザなんてこれに比べたらなんでもない。熱が出て2日間辛かっただけ。今回の咳風邪はひどかった。熱がないだけまだよかったのかもしれないが、ちょっと動いたら咳がひどくなるので、10日間ほぼ寝たきり生活。

食欲はあまり落ちなかったので、ほとんどの日は3食かかさず食べるどころか間食さえもしっかりしていた。とにかく何よりも食べるのが好きなマリーに見つからないように、デザートなどどうしても私が食べたいものは冷蔵庫の奥に隠したりして、しっかり食べた(しかしそれでも隠しておいたものが食べられていた時は泣きそうになったが)。

とはいえ、後半は味覚/嗅覚障害で何も味がなかったのだが、病気が原因で体力がもっとなくなるのはいやなので、ずっと食べ続けてはいた。

実は今でもまだ座っているだけで、胸が苦しくなるのでもう少し回復してから味覚/嗅覚障害について書くことにして、今日のブログは次の3つのポイントだけを、写真を交えながら(景色写真は同じマンションのサラさんのをお借りしました)電報形式でお伝えしたい。


マンション キノウ ウレタ


ミカク/キュウカク トレーニング マイニチ シテル

味覚がなくても、茅の舎のだしで作ったお味噌汁だけはホッとする味が感じられた。しかし大事な大事なこのだし、もうあまり残ってない。


ヨメニ クワスナ

2020年3月7日土曜日

生姜

40年以上前のこと、母が入院していた部屋に来た女性が、『目が見えないのは大変だろうけど、私みたいに何も味がわからないのはもっと辛いよ。』と言ったそうだ。夜、母が私に『そうよねえ。食べる楽しみがない方が辛いわよねえ。』と同情していた。

どっちの方がより辛いのかわからないが、味覚障害の女性は母を慰めたかったのだろうし、38歳で薬害により失明した母は世の中には自分よりも辛い状態の人がいるのだ、と自分に言い聞かせたかったのだろう。

が、同じことが自分の身に起きるとは思ってもみなかった。

夕方6時過ぎで今はこんな感じ
今週末からサマータイムになるのが待ちきれない


一昨日3月4日水曜日、自分が味覚を失っていることに気がつき、昨日はそればかりか嗅覚も完全に失っていることに気がついた。これに関してはこれから詳しく書こうと思う。

アメリカでは耳鼻科がその辺中にあるわけではなく(眼科なども)、耳鼻科医なんてすぐには会えない。普通は自分のかかりつけ医である内科医の診察を受けたあと、専門医に会う紹介状をもらい診察を数ヶ月待つ、というシステムだ。だから耳鼻咽喉の症状が何か出ても、すぐ耳鼻咽喉科医に会えない。

20年ほど前乳がんの疑いあり、より詳しい検査をしてください、と言われた時も3ヶ月待ちだった。乳がんはなかったから良かったものの、日本ではありえないだろう。

日本にいればすぐ耳鼻科に行き診察してもらえるだろう、と思うと、アメリカの入国制限などの措置を色々考えてもすぐ日本に行くべき?と迷っている。嗅覚障害や音響障害は、発症後2〜3週間以内にステロイド治療を始めると治癒率が上がるとも言うではないか。かかりつけ医診察→紹介状→予約→耳鼻咽喉科医診察と数ヶ月待つ余裕はないのでは?

行くか?

とりあえずかかりつけ医にメールを書いて(3月9日まで休暇中だそう)、オンラインで調べた嗅覚刺激療法を始める。花、樹脂、スパイス、果実の4種を1日2回10秒ずつ嗅ぐという療法。

ミントの葉もラベンダーの花も何も匂わない


生姜みたいに強い香りのものがあるともっといいかも、と思って、仕事帰りの夫にWhole Foodsに寄ってもらう。お店で生姜を見つけた夫から"big or small?"とテキストメッセージが来た。

まあ、大きな欠片があればお料理にも使えるし、とbigを頼む。


BIG