2023年12月24日日曜日

次男家族の引っ越し

早いもので、一昨日日本から帰国した。

朝焼けがきれいだった


最初の1週間は具合が悪く、その後は歩き回ったが、遠出もせず、京都市内と東京をウロウロするだけで3週間半の旅は終わった。

毎日姉とアプと御所を散歩した


が、美味しいものはたっぷり食べて来た。


下の写真は、東京のけいさんに案内していただいて行った、赤坂見附のレストラン。


数年ぶりに食べたオニオングラタンスープにとろけた


パンも魚のメインディッシュも美味


今回は日比谷公園が気に入り、朝に昼に夜に、と何度も通った。

美しいイチョウの絨毯


今月通い続けた日比谷公園


R子さんと食べた西京焼き定食も今回のハイライトの一つ


さて、私が日本に行く前に色々なことが起きた。


まず、次男が引っ越すことを決め、家を売ることにした。


裏庭には、これから植える予定の花や木々がポットに入ったまま置かれていたのに。


11月20日、市場には売家の少ない今、売りに出した途端3家族が競り合い、希望価格より高く売れた。


リフォームがすんだばかりだったのに・・・


地価の上昇を寿ぐ隣人たち(実際、隣人たちからそう言われたそうだ)が、お別れパーティを開いてくれた。


そしてある州にある家を買った。


引っ越しの準備は2週間で強行された。

ドデカイトラックが、荷物を入れる箱PODを2つ運んで来た

この箱2つでは荷物の半分も運べず(最終的には3つ)、
ほとんどの物は友人たちに譲ることになった


なので、私も手伝ったのだが、だから日本に行く頃にはクタクタになっていた、というわけである。

夜遅く、買ったばかりの物置小屋を我が家に運んで来た


そして車は次男自ら運んだものあり、トラックに格納され運び去られたものもあり。


ついに全てが終わり、今日から4日後次男がまず新しい家に向かい、10日後にはマリーと孫ズが飛ぶ。


猫ズは、ペット移動業者がストレスを最小に抑えながら、新しい地に運んでくれるということだ。


これで、私は次男一家の世話もない、ゆったりとした老後生活が始められるのだろうか。


いや、どうも私に時々来て孫ズの世話をしてほしい、と思っているようだ。


私のために一部屋用意する予定だということ。


半地下である。

1月からパラサイト(半地下のワタシ)生活、デアル

2023年12月5日火曜日

東京での生活1週目

東京は思ったほど寒くない。


なのに、体調を崩してしまった自分にがっかりした。


やはり普段から暴飲暴食の生活、近所を歩くだけの運動でお茶を濁す毎日。


やはり来たか、体調の悪い毎日。

東池袋の休日診療所のお医者さんは、大変感じの良い外国人医師だった


よし、これからは健康的な食生活に変えるぞ、と思いながらも毎日外食ばかりの日々。


これが、楽しいのよね〜〜〜

サンノゼの自宅は、日本に出発する日にこういう状態だった


孫ズの世話もなく、夕食は何にしようかと考える必要もなく、今日は何を買って来て食べるか、と考えるだけでいい毎日。


ドル高なので日本の食べ物は安く感じるだろうなあ、と思っていたがそうでもなかった。


日本に来ると日本の金銭感覚になるので、400円のお惣菜は600円のお弁当を見たあとではとんでもなく高く感じる。

日本のみなさん、こういうの普通に買うんですか?


いちいちこのお惣菜は、3ドルもしないのだ、などとは考えない。


でも茄子とエリンギのおろしサラダが食べたい。


50㌘では買えないのだろうから、100㌘買って2度に分けて食べることにした。

西京焼き弁当に、茄子とエリンギのお惣菜100㌘で
1200円使うと、タケ〜よ!とビビる


なのでハーブスで、千円近いミルフィーユを食べている人々を見ると、「彼女たちにとっては安いものなのか?」と驚く。

池袋ハーブスの店内はコーヒーとケーキを食べる
人々で満席


日本で生活すると、多分日本の物価が高くなった!と感じるようになるだろうことは容易に想像できる。

ケーキは高い!110円の大判焼きで充分


今日は京都に移動せねばならない。


レールパスで西日本だけではなく、東北まで行っていた日々が遠く感じられる。


京都まで無事移動できるのか。


練習のために、昨日は目白庭園まで歩いてみた。



以前は楽々と歩いた飛び石。


今は足元をしっかり見つめながら、こわごわと歩く。

これが結構怖くなってきたお年頃


全てクリア!


良かった〜。




なのに、庭園出口のこの石に蹴つまづいた・・・

2023年12月1日金曜日

東京で具合が悪くなる

日本に到着したのが、11月25日の夜、空港のそばにあるホテルに泊まり、翌朝東京に移動、朝9時前にチェックイン。


今回は搭乗日前日まで体調が悪かった。


日本に着いても、友人に会えないかもしれない、と誰とも会う約束はせずに来た。


前回5月も、あらかじめ誰とも約束はせずに日本に来たのだった。


こうして、年をとるということは体調が悪い日が増えるのか、あるいは喘息を発症したから体調が悪いのか。


多分喘息を飼い慣らすまで時間がかかるのだろう。


到着翌日、夫、夫の親友夫妻と和食ランチ。

特に日本で食べる蕎麦が美味しかったらしい


夫以上にリサーチをしてきた友人夫妻が、一番感銘を受けたのは、京都の旅館でのおもてなし、他にも一保堂の玄米茶の香り、川越の野菜、広島の平和記念資料館、だそうだ。


そして、日本の街全体の清潔感、治安の良さに驚いたということ。


しかし、彼らが日本を楽しめるのは白人夫婦であることも理由の一つである。


JR待合室でも、白人の彼らが椅子を探していると、日本人シニア女性が「どうぞどうぞ」と席を譲る。


日本のイタリアンなども美味しいことに驚いたそう


とにかく、この友人夫妻に目一杯日本を楽しんでほしくて、夫と彼らが帰国する日まで、私はテンパった毎日だった。


ルノアールの朝食の安さに驚く彼ら。


毎年のようにヨーロッパ旅行をする彼らは銀座に泊まり、毎朝美味しいコーヒーの朝食を楽しみ、どこのベーカリーに行ってもフランスやイタリアと同レベルのパンが楽しめることに感動した。


誰に頼まれたわけでもないのに、初来日の彼らに最高の思い出を持って帰国してほしい、と無理をした私は、彼ら(夫も含めて)が帰国した日の夕方から体調を崩した。


気管支炎なのか、怒涛の咳が押し寄せる。


しかし、今回はかかりつけ医から、「もしもの時のために」薬を一揃い処方してもらってきていた。

パクスロビドも!


その内の一つ、アジスロマイシン(抗生物質)を服用してもいいのではないか。


素人判断ではいけない、と思い、京都のA本呼吸器内科に電話してA本先生の意見を聞いてみたい。


が、日本で使える電話はない。


普段アメリカで使っているiPhoneは、eSIMをインストールし日本国内で使えるようにはしているが、電話機能がない。


30年ぶり?ぐらいに、電話ボックスに入りありったけの10円玉を入れ、A本医院に電話するも、受付の方に状況を説明するうちに電話は無情に切れた。




そうか、100円玉が必要なのだな、と2個ある100円玉を投入しかけ直した。


なんと、電話にはA本医師が直接出てくれて、もう状況を把握していた医師は「それ(アジスロマイシン)を飲んだらええし」という返事。


アメリカでは医療機関を予約するにも時間がかかり、かかりつけ医のオフィスに電話して、予約ナシでかかりつけ医と直接話せるなんてことはありえない!


感動に浸りながらホテルの部屋に戻ったら、R子さんからメールが来ていて、アジスロマイシンの服用の仕方についての注意点が書かれている。


ありがとう、R子さん!もう完治した気分になる。


その後、東京のけいさんからも電話があり、話しているうちにエネルギーが湧いてきた。


R子さん以外誰にも日本に来る、と伝えてなかったのにブログを読んで連絡してきてくれる友たち。


彼女たちに励まされ、一気に元気が出る。



よし、今日は羽田空港に、日本で使える電話を確保するため、SIMカードを受け取りに行こう。


そのために、古いiPhoneを持ってきている。


これを日本の電話専門の携帯にしよう。


山手線と京急電鉄を乗り継いで空港に行くが、喘息があるせいか途中で怒涛の咳の波が押し寄せてくる。


マスクはしているが、人前で咳をしてはいけない、と電車内やターミナル内では必死で我慢する。


その咳を我慢する方法とは、昔とった杵柄の手法だった。


30数年ぶりのラマーズ法