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2021年3月7日日曜日

そうだ、日本に行こう・・・と言いたいが 1/2

日本・・・


去年の初めまでは近かった。


サンノゼ空港には家から車で20分もあれば行ける。


羽田空港に着いた時、入国審査の列があまりにも長く、レールパス引換所は大混雑だったが、それでも親切で丁寧な係官や案内係の人たちに『あ〜、日本に帰って来たなあ』とホッとしたものだ。


なのに、今は遠い。


サンノゼ空港から東京に飛ぶ直行便は去年から運航停止になった。


搭乗前72時間以内にコロナ検査を受け、医療機関名、医師署名が記入された検査証明書を持参しないと日本には入国できない。(アメリカに戻ってきた時も同じ。)


その上で、日本の空港に到着時抗原検査がある。これは去年の8月のPCR検査よりは結果が出るまでの時間が短いので、政府指定のホテルで検査結果待ちのため、3日間待機しなくてもいい。


到着日を1日目として、16日目までは公共交通機関を利用できないのは8月と同じ。つまり、4月1日に日本に到着したら、14日でも15日でもなく、4月16日まで電車どころかタクシーにも乗れない。ハイヤーを頼まないといけない、ということだ。


だから、私が去年成田空港から近い隔離場所となった政府指定のホテルから、銀座までハイヤーの乗った時は、料金として3万円(それも現金!)払わなくてはならず、心がポキッと折れたのだった。いや、ポキッどころかボキボキ折れているのが聞こえた。


が、姉も住む日本に、私のような外国から入国する人間がコロナウイルスを持ち込むのはやはり避けたい。去年の今頃、私はまだひどい咳をしていて、嗅覚もなかったのだ。(嗅覚回復のためのトレーニングに関する動画(英語)をS子さんが送ってくださったので、リンクを貼っておきたい。)今だって、知らない間にまた感染している可能性がないとは言えない(外出はほとんどしていないが)。


その姉はと言えば、家の中にあった使わない金のアクセサリーを売って
思いがけず手に入ったお金でデパ地下で3500円のお弁当を買って帰ったそうだ


ここでもう一つ書いておきたい。日本ではあまり言われてないのかもしれないが、ワクチン接種の前に鎮痛剤を服用しないこと、というのはこちらではワクチン接種事前注意書きに出ている。これは鎮痛剤を服用することで、抗体の働きを弱めてしまうだろうと予想されているから。


もちろん普段から持病のために鎮痛剤を服用している人は、主治医の指示を仰ぐ必要があるらしい。これに関しては英語の記事だがここに出ている。日本語のサイトでは同じような意見を見つけることができなかった。多分まだ事実として確認できていないためだろう。


イギリスに住んでいる友人Yりさんは、今日一度目のワクチンを接種する前に鎮痛剤を飲んで行ったということだったので、一度目はまだしも二度目は服用しない方がいいのでは?とメッセージを送った。この注意喚起はアメリカだけなのだろうか。


コロナに関してはまだまだ未知な部分が多いから、ワクチンは様子を見てから接種するという人はアメリカにも多い。が、3月1日の時点で、アメリカでは7、690万人にワクチンが接種され、15%の人口が少なくとも1回の接種、7.7%の人口が2回の接種を終えている。


ほとんど外出はしないが、1ヶ月に一度は
長男とサキが住む家にも行き、裏庭工事を手伝う


長男たちとマスクをつけて近所を散歩


これに対して、日本のワクチン接種の進捗状況は予想よりも大幅に遅れているようだし、水際対策を強化するのは当然のことだろう。


が、このところ肩こり、頭が重い、右目の涙も止まらないという症状がひどい私はもう一刻も手術が待てない、という気持ちになって来ている。


去年の8月にA田先生の診察を受けた時には、上眼瞼皮膚弛緩症という眼瞼下垂症の症状の一つだから眉下切開をしましょう、と言われた。


眉毛の高さも、左眉の方が右眉よりもずっと上にある。


眼瞼下垂が特に片目(私の場合右目)にひどく現れている時、もう片方の目を代償的に無意識に上げようとするらしい。そしてそれが理由で、眼瞼下垂の少ない方の側の眉毛が上がってしまうのだそうだ。


これも眼瞼下垂手術をすることで、もう片側の眉毛の位置は自然と下がるそうだ。今のところ左目は手術を希望していないが、次回の診察でどういう診断が下されるか。


その手術をできれば5月に受けたいと思っている。



4月中旬には孫たちも託児所に復帰することになった。ヒロは去年の8月まで通っていたが、アキの誕生を機にコロナ感染を恐れて退所した。が、アキも3月下旬には生後半年になるので、そろそろ免疫もついてきただろう、と判断したのが復帰理由の一つ。託児所ではコロナ患者どころか、この冬はインフルエンザ患者も出なかったほど、消毒を徹底していることがもう一つの理由。


私も子守を手伝ってはいるが、リモートながら職場復帰した次男夫婦は、ものすごく手のかかるヒロと生後5ヶ月のアキを世話しながら、フルタイムで働くのが限界に近づいている、と感じているようだ。


ヒロはお昼寝もしないので、特に午後は手がかかる

近所の坂を自転車で走り降りることを飽きずに続けるヒロ
この活動的な3歳児を子守するには無限の体力が必要


私はまずアメリカ出国前にコロナ検査を受けて陰性証明を持ち日本に入国後、15日間の自己隔離。16日目から公共交通機関が使えるようになるので、16日目に東京から京都に移動し、診察を受ける。つまり16日目には診察と採血、23日目に手術、30日目に抜糸。そしてその後帰国する、ということになる。


その前提で4月中旬の羽田行き特典旅行のフライトを予約していた。


が、ワクチン接種が急速に拡大し、5月末までにはアメリカ国民全員が受けられるという発表があったせいか、ユナイテッド航空も強気に出てくるようになった。ようだ。多分。


これは困る。


  1. 私が予約していたフライトが突然勝手にキャンセルされた。
  2. 成田までの代替便を提示されたが、それに乗るとしたら到着後16日目に予定していた診察日(金曜日)は15日目に当たり、まだ東京にいる日だ。京都には翌日の土曜日まで移動できないので予約してあった診察には行けない。手術前の採血もあるので、手術1週間前の診察は必須。
  3. 診察、手術日は水曜日から土曜日の間だけ。が、16日目の土曜日は他の用事がある。


なら、黙って15日目に東京から京都に新幹線で移動するか?その日より18日前と12日前に陰性結果が出ているのなら、感染はしてないってことじゃないか!と一瞬思った。


が、やっぱり規則は守ろう。


位置情報も全て問われると提示する義務があるので、新幹線での移動なんかしていたら、京都駅のホームで警官が待っているかもしれない(いや、多分それはないだろうが)。


なのに延々と考える。


隔離期間は2週間でしょ?2週間なのになぜ16日目まで公共交通機関が使えない?少なくとも14日目には使えるようにしてくれもいいのに?と繰り返し心の中で文句をつぶやく自分。クリニックに電話し、16日目土曜日の一番遅い診察予約に変更する。これを土曜日から水曜日に4日延期すると、手術も抜糸も4日先送りになり、他の予定が全て狂う。


ユナイテッド航空のいつもの『勝手に変更したけどぉ〜〜?なんか文句あるぅ〜〜?』的な態度にはムカついたが、ネガティブに考えるのはやめよう。


私の予定なんぞ大したことでもなんでもないわ〜♪(滞在費用には関わるが・・・)



東京にいながら電車が使えないのだから、銀座周辺に滞在し、有楽町、日比谷、大手町、新橋はもちろん、赤坂、六本木一丁目ぐらいはちょこっと歩いて行けるな♬

いや、今度は麹町から四谷はもちろん、神楽坂までぐらいは歩いてみる?♫

遠過ぎるか?🎶


などと考えて楽しむことにした。



家に籠って友人にも会えない、お店にも行けない、子守り(孫守り)しかないアメリカでの生活に一条の光がさしてくる。



ところで地域をGoogleマップで検索するとカフェかレストランしか
出てこないのは、みなさん同じなのでしょうか

2021年2月17日水曜日

コロナ感染から1年経って思うこと

カウンセラーのH先生に提案された『今日から・・・をしてください。』は、全くできていない。


カウンセリングを受けた2月3日(水曜日)の夕方から、悩んでいたことが少しだけ好転したからだ。


そしてその5日後の月曜日、偶然話したBさんが私と全く同じ悩みを持っていることがわかった。その人のことは33年知っているが、ユーモアのセンス、家族に対する愛情、周囲の人たちへの思いやり、全てを尊敬している。


この人と電話で話しているうちに、私には話してもいいと思ったのかBさんは最近一番悩んでいることを打ち明けてくれた。『わかるわあ』と私が言うと、勢いづいたBさんは、20分間自分の悩みを話し続けた。



翌日火曜日も電話でまた彼女の悩みを聞いた時、実は私にも同じ悩みがあって・・・と告白した。Bさんもやっと自分の気持ちを吐き出してもいい、と思ったようで悩みの元となる状況の詳細を話してくれた。それも全て私と同じ状況で驚いた。


尊敬していたBさんが私と同じ悩みを持っているのなら、全て自分が悪いと思わなくてもいいのかもしれない。そう思いながら木曜日のカウンセリングを待っていた。



が、その後、詳細は省くがコロナ感染?と不安になる出来事が起きた。そして精神的なものだったのだろう、具合が悪くなり始め、やっぱりコロナ感染したのか!!と怯えた。



その翌々日にはカウンセリングを控えている。ギリギリでキャンセルするのは悪いので、早めにキャンセルし、1週間延期することにした。




とにかく去年のコロナ感染を思い出すと、もう一度感染するのが怖くて仕方ない。


周りの人たちは医療従事者か65歳以上なので次々とワクチンを接種しているが、私は18歳から64歳までの大枠に入るので接種は6月あたり?と予想している。


それまでは日本にも行かない方がいいのかもしれない。





去年2月の感染はどこで起きたのかもう一度考えてみた。


2月中旬から下旬にかけて感染したとしたら、考えられる状況としては・・・


2月15日ランチにメキシカンを食べに行く
一緒に行った2人は感染せず

ランチのあとタピオカミルクティーのお店に行き
90%がアジア人の行列に15分ぐらい並んだ
友人2人はその後コロナ症状なし

2月19日友人とモールに行き、夕食をレストランで食べたが、
その後友人はコロナ症状なし

2月21日早朝、目の激痛を訴えるマリーを連れて救急に行く



空咳が出始めたのが2月25日ぐらいだったので、やはり感染は救急病院で起きたのではないかと思う。

そこからの経緯はここに書いたので、興味ある方は読んでいただきたいが、本格的にひどくなったのはその6日後の3月1日。救急病院で肺のレントゲンを撮り、一番苦しかった日だった。嗅覚を失った(あまりに苦しかったので嗅覚のことは認識できていない)のもこの日。微かな甘味や塩分を感じることができたので、味覚は残っていたのかもしれない。


以前書いた部分も多い記事だが、思い出した新事実を補足しておくことにする。


まず3月2日には完全に声が出なくなった。これは翌日から少しずつ戻り始めた。


3月4日、嗅覚が全くなくなっていることに気がつき、かかりつけ医に連絡。この時点ではまだコロナと嗅覚障害は関連づけられておらず、コロナではないと言われる。

ネットで調べてみると、免疫力を高めるには発酵食品がいいということで、納豆を1日1度食べ始めるがまるで味がない。





3月5日、頭痛があったのが普段服用するMotrin(イブプロフェン)は、感染源がコロナウイルスだった場合、得体の知れないウイルスなので危険かもと怖くなり、安全性が確実なTylenol(アセトアミノフェン)を飲む。頭痛はすぐ治った。


3月6日、嗅覚刺激療法を始める。ベッド脇に庭に咲いていた花、レモン、シナモン、植木の葉っぱを置いて1日に何度も何度も匂いを嗅ぐ。そして次男に亜鉛の錠剤を買って来て、と頼む。がTrader Joe'sにはカルシウム・マグネシウム・亜鉛混合サプリしかなかったので、それをこの日から飲み始める。


食べることが何よりも大好きなのに、
嗅覚がないのは辛かった


この日結膜炎症状が始まる。

そして夕方、樹液から一瞬だけだったが、ほんの微かな香りを感じる。



3月7日午前、葉っぱの柔らかなところを爪で剥がし、樹液を擦り出すようにしていたら、突然匂いがした。1時間後にはまた何も匂わなくなった。

この日、あまり好きではないうどんならまだ食べられることがわかり、微かな希望を見出す。




8日は一日中嗅覚なし。


9日は朝から夕方まで嗅覚が戻る。


3月10日、嗅覚は完全復活したが、朝から一日中ひどい咳がぶり返す。

この頃食べることができたもう一つのものは杏仁豆腐
食感を楽しめた


3月11日。前日の咳のせいか体のあちこちに痛みを感じ、心臓に微かな痛みあり。この頃コロナの後遺症や血栓のことはまだ何もニュースになっていない。

が、この日突然症状が全て完治したように感じた。


つまり、感染が2月21日とすると、完治の3月11日まで(症状の上で)20日かかっている。


しかし、1年前を振り返ってみて、思い出すのは食べ物に関連したことばかり。


そして完治した途端、3月11日はこんなに食べている。ベーグルなんぞ1日に2度も!

まずは、根本的に卑しいのを治さないとね

2020年9月11日金曜日

還暦(かなり)過ぎた女が食べるもの

朝目が覚めた時、体がだるいとまず『コロナか!!』と思う。

そして、次は『コロナ後遺症か!!』と思う。

日本からアメリカに帰国して3週間が過ぎた。

その間空気が悪過ぎてほとんど外に出ることができていない。

何しろ9月10日現在、カリフォルニアは去年に比べても火事の件数は2650件、焼けた面積は2000%の増加だそうだ。

昨日は朝目が覚めた時シャッターの隙間から入ってくる朝日が衝撃的なオレンジ色だった!

ついに我が家も火に包まれたか!とびっくりした。

この写真ではわかりにくいが、火事!と思った

山がすぐそばまで迫っているのは怖い


このオレンジ色現象は何が原因なのか、カリフォルニアのばあさんブログにわかりやすく説明してあるので、読んでみてください。

世紀末という言葉が浮かんだ

天窓から入ってくる光がオレンジ色で怖かった

玄関から表を見たところ

早く雨が降ってほしいが、11月ぐらいまでは雨は降らない。

空気が良くなっても今度は冬になるのでコロナが猛威をふるうと思うともっと外出できない。

新型コロナに関してはどんどん新しい事実が確認され、最近のニュースでは後遺症が87.3%の感染者に残ると言われている。

私自身後遺症は現時点では何も感じていないが、目に見えないところで何かが起きているのかもしれないと思うと怖くなる。

だから考えないことにしている。


嗅覚障害が残る人も多いらしい。

私が何も臭わないと感じ始めた時、柑橘類や香水の匂いさえ全くわからないのに不安を感じた。

もしこのまま一生障害が残ったら・・・

QOLつまり生活の質はかなり下がってしまうだろう。

だからネットで調べまくって、これが良さそうと思うリハビリを始めた。

このリハビリについてはこのサイトに詳しく出ている嗅覚刺激療法を参考にした。


この4つの中で私は樹脂に反応することがリハビリを始めた初日にわかり、翌日には木から樹皮をはいで嗅いでみると嗅覚が戻った。

1時間後には嗅覚がまたなくなったが、このトレーニングは続けた。

3日目には一日中全く何も臭わなくなってしまったが、4日目にまた樹脂に反応した。

それも庭にある植栽の一つ、その新芽に反応することがわかり、それからは新芽を探しては、それを爪でガリガリとこすり必死で匂いを嗅いでいたのだった。

私が反応した植木はこれ


5日目以降嗅覚は完全に戻ったのだが、これは自分でリハビリをしたことで戻ったのかどうかはわからない。

が、なんらかの助けにはなったのではないか、と思っている。

さて、眼瞼下垂手術は来年の春受けたいと思っている。現在の病名・病状の予後について、という用紙をA先生からいただいたので、それを少しまとめたいと思う。

まず現在の状態。『瞼の皮膚および筋肉の機能の低下により、瞼が重い、夕方になると瞼が開かないなどの症状を呈する状態です。物が見えづらいだけでなく、歯を食いしばって瞼を開けているので咀嚼筋の疲れ、痛み、歯が浮く、顎関節の症状が怒ったり、肩こり、交感神経の緊張なども起こると言われています。』だそうだ。これらの症状は全て現在の私に起きている。特に顎関節が時々ロックしてしまい、ガクンと音がすることもよくあるのが、一番困っている症状だ。

治療内容だが、『眼瞼の挙上機能を獲得させます。垂れ下がっている皮膚・筋肉・腱膜などの組織を切除・修復し、挙上しやすくする手術を行います』ということだ。

その効果は『手術により、見える範囲が広がり、明るくなったと感じられる方が多いです。』ということ。

手術後1週間で抜糸、1ヶ月で腫れが少し残った状態、すっかり腫れがなくなるまでには3ヶ月上かかる場合もあります、ということ。つまりコロナの状況がどう変化していくのか予測がつかないが、予定通り来年の春に手術が受けられると仮定して、来年の今頃私の目も良くなっているといいのだが。

そして、それまでにコロナ太りで増えた体重が少しは減るといいのだが。こちらに帰ってきて久しぶりに履いたジーンズがきつい。

とにかく日本で食べまくった美味しいものが原因なのはわかっている。

例えばこの写真は京都から東京に戻る時の新幹線内で食べたお弁当。『太秦の料亭のお弁当』なんてラベルを見ると、食べてみたくて仕方なくなり買ったのだが・・・

こういうお弁当ってワクワクしませんか


普通、還暦過ぎた女性でもこれぐらいは食べますよね?

が、私の場合それではすまない。大好きな寿司おにぎり(結構デカいの3つ)もやっぱり食べたい。となるとそれも買ってしまうのだ。


これも普通ですよね?

2020年7月17日金曜日

コロナ抗体検査結果

抗体はなかった!



途端に怖くなった。今後またコロナ感染する可能性はやはりあるわけで、その場合再感染ということで症状は軽いのか、あるいは前回に比べてもっと重いのか。

感染しないようにしなければならない。サンタクララカウンティー(サンタクララ郡)も含めてカリフォルニアの感染者数は増えている。

前回はどこで感染したのだろうか、と遡って考えてみた。

コロナの最初の症状が出た日ははっきりと覚えていないが、2月の下旬だったはずだ。

最初に何かがおかしいと感じたのは、朝起きた時まぶた(腫れていた)、
目の下、鼻の下などの粘膜付近と頰が赤くなっていた2月25日

一番ひどかったのが、救急病院に行った3月1日から3日まで。3月2日に嗅覚を失い、6日には庭で葉っぱから出る葉腋の香りがほんのわずか感じられ、7日の朝1時間嗅覚が戻り、8日は嗅覚完全になし、9日の朝戻ったものの夕方からまた失う。完全に嗅覚回復したのは10日の午後。6日には結膜炎症状まで(目が少し赤くなったが結膜炎とは思っていなかった)出ている。

感染したのはおそらく2月中旬から下旬にかけてだろう。

私は父に似てメモる人なので、その頃の『お出かけ』をチェックしてみると、まず2月13日に美容院に行っている。が、13日に感染して12日後まで症状が出なかったとは考えにくい。次の外出は15日。友人2人とメキシカンを食べてその後タピオカドリンクのお店に行ったが、お客さんはほとんどアジア人。この日は私が注文し、できた食べ物や飲み物を取りに行き、支払いの時レジの人と話した。だから、他の2人は感染せず私が感染した?いやいや、2人を私の車に乗せて20分以上は運転している。車の3密状態で感染しないとは考えにくい。

だから、やはりこの日でもなかったような気がする。

次の外出は19日、Valley Fairというモールで他の友人とカフェに行き、1時間ほどモールを歩き別れた。が、これでもないような気がする。

そして21日にマリーを救急病院に連れて行った。自分でも痛みに対する耐性がとても低い、というマリーは目の痛みで泣き叫んでいた。何度も何度もお医者さんに早く会えないか受付で聞いてくれ、お医者さんがまだ来ないかその辺をチェックしてくれ、と頼まれて私は病院内をウロウロした。

救急病院の待合室

この時コロナはもう流行し始めていたので、私はマスクをしたのだが、途端に待合室の人たちからジロッと見られはずす。感染はこの日だったのかもしれない。症状はこの4、5日後に出始めた。

今はどこでもマスク、マスク、マスク


ということは、

感染から、顔粘膜付近が赤くなり咳の症状が出た日(最初の症状)まで早くて4日
最初の症状が出た日から救急病院に行き肺のレントゲン(肺炎はなかった)を撮るまで4日(感染後8日?)
最初の症状が出た日から嗅覚を失うまで5日(感染後9日?)
最初の症状が出た日から呼吸が苦しくなった夕方まで(吸入薬の副作用?)6日(感染後10日?)
最初の症状が出て結膜炎まで9日(感染後13日?)
最初の症状が出た日から100%嗅覚回復まで13日(感染後17日?)
最初の症状が出た日から完全に回復したと感じるまで17日(感染後21日?)

ということになる。

実は昨日、抗体検査結果が出る前にPCR検査も受けた。結果が出るまでには2−7日かかるらしい。

検査場には検査を待つ車の列もほぼなかった

検査場のすぐそばが墓地って・・・


これで陽性と出たら・・・と考えると本当に怖くなる。コロナに感染して辛い思いをしたのに、獲得していたであろう抗体がなくなるなんて、踏んだり蹴ったりではないか。とぼやきながらも日本の美味しいもの写真を見てしまう。

実はコロナ太りでこの4ヶ月の間に2キロ増えた。

英語で私の今の状態を表す言葉
パーフェクトストーム

2020年5月4日月曜日

コロナウイルスの発生地

ベイエリアロックダウンが始まって1ヶ月半が過ぎた。



とりあえずこの状態は5月末まで続く。



夫は失業するかも、という瀬戸際。



今はテレワーク。




長男はテレワークをしているが、失業しないだろうか、と心配になる。



サキは現在失業中。




次男とマリーはテレワーク。




マリー姉婚約者は先週失業した。




ヒロは託児所が閉鎖されて1ヶ月半。



次男とマリーは先週新居を購入した。



こんなに失業者が増えているのに、シリコンバレーの不動産価格は今のところ全く下がっていない。



今後もしかして下落するかもしれないが、それは誰にも予想できない。

この庭を見た時に次男とマリーの心は決まったらしい




私の生活は、朝7時半に寝室にヒロが飛び込んできて、ベッドの上で飛び跳ねたりするという賑やかな始まり。



毎日家の片付けと5人分の食事作り。

バードフィーダーはハミングバード用


そろそろ次男たちの家具やおもちゃでいっぱいの家と、自分の時間が少なくなったこと、そして5人分の食事作りに疲れてきた。



なので、次男たちが引っ越すのはホッとする。



彼らの家は我が家から車で5分、歩いて25分のところにある。

3月後半にサンフランシスコから家具と共に引っ越して来た次男家族


これがロックダウンの生活の中、唯一の光になっている。



新型コロナ肺炎に関しても、新たな事実がどんどん解明されている。



私の嗅覚障害などは細胞がダメージを受けて、今後何かの後遺症とかが出てくるのはなかろうか、などと考え始めると怖くなる。



そもそもサンタクララ郡での最初の新型肺炎による死者は、2月初旬に出ている。



私が感染した2月後半は比較的早い時期だったのかもしれないが、やはり中国から帰国した人から感染が拡大したのだろうか。



それとももっと他のところから感染したのだろうか。




コウモリを餌として食べたヘビがコウモリから感染して拡大したかもしれない、というのは本当なのだろうか。



コウモリは我が家の裏庭にも住んでいたことだし、アメリカでもこれから新しいウイルスによる新しい病気が発生することはあるのだろうか。



第二波はもっともっと強いウイルスで、一度新型肺炎にかかっていても、もう一度感染する恐れはあるのだろうか。



などなど、考えてはビビる。



ちょっと腹痛があるだけど、これももしかしてコロナの症状?と不安になる。





が、このロックダウンにより、絶滅に瀕していた動物がところどころで見かけられたというニュースが入ってくるのは嬉しい。

ヨセミテに野生動物が戻ってきているというニュース

数十年姿が消えていたleatherback turtleがフロリダやタイの海岸で目撃されている


絶滅したと思われていたエジプトハゲタカが南アフリカで目撃された



などというニュースが毎日更新される。



我が家の裏庭に毎日色々なトンボが来るようになった。


これはグリーンと白のストライプのイトトンボ

こちらは黒と白のストライプのイトトンボ


トンボを裏庭で見たのはこの20年で初めて。



第二次世界大戦を経験した私の親世代に比べると、パンデミックはまだまだ対処できることだ、と自分の不安感をなだめる。



これから色んな昆虫がこの庭に戻ってくるのかもしれない。希望を持とう。



が、こんなものも戻ってきた!

私が感染したウイルスはこの庭で作られた?

2020年4月11日土曜日

ロックダウンで変わったもの

ベイエリアがロックダウンされて3週間半になる。時々カフェに行きたくなるが、それでもそんなに不便を感じない。そもそも日本のように、ちょっと電車に乗れば神社仏閣や美術館やおいしいレストランがある、という地域ではない。

これは12月に訪れた上賀茂神社
こうしてバス、電車で簡単に楽しめる観光地がこの辺りにはあまりない
(サンフランシスコは別として)

外出はあまりしないが、毎日歩きに行くようにはしている。スーパーには時々行くが、友人たちに比べると私にはコロナに対する危機感があまりない。

サンノゼにある日本食品スーパー、マルカイの行列(2メートル間隔で並ぶ)
他にもミツワ、ニジヤとあるがどこも朝一番から行列ができる

一度コロナに感染したのだから抗体もできているし、などとついつい思ってしまう。今は抗体検査を受けて、プラズマ(血しょう)のドナーになるのもいいなと思っている。

米国立アレルギー・感染症研究所所長、ドクター・ファウチによると自分に抗体があるかどうかを検査し、確認できれば今後感染源にならないという免疫獲得証明書(Immunity Card)を携行することを政府が検討しているということだ。抗体のある人は職場にも復帰できる。こういう人が増えればロックダウンも少しずつ解除できる。(免疫がどのくらいの期間持続するかはまだわかっていない。)

私の症状の主なものは今まで経験したことのないようなひどい咳(空咳から始まった)、倦怠感、かすかな頭痛、嗅覚を無くしたこと(すっぱさや苦味などはわかったので、味覚は失っていないかもしれない)。症状が出始めたのは2月。熱がなかったせいか食欲はずっとあった。

とにかく世界は全く変わってしまった。失業者も増え、私の夫もリストラされる可能性が高くなってきた。無事マンションも売れたことだし、経済が盛り返すまでは必要なもの以外は買い控えしよう、という気持ちになっている。

ダウ株価暴落中に契約終了、
バイヤーが株価うなぎ上りの製薬会社の社員だったことが幸いした

ロックダウンはこうして、辛い状況を引き起こしているわけでもなく、私たちは普段とあまり変わらなく淡々と生活している。

激変したのはエンゲル係数と体重

2020年3月28日土曜日

私は隠れ新型コロナウィルス患者だったのだろうか 1/2

私はやはりコロナウィルス、COVID-19に感染していたのだと思う。

テレワークで夫、次男、マリーは24時間家にいるし、ヒロも託児所が閉鎖されたのでこれまたずっと家にいる。この4人は私が咳で苦しんでいた間も全く健康そのものだったから、まさか私が感染力の強いコロナにかかっているとは思いもしなかった。

具合が悪い時もついつい育児を手伝ってしまったが、
家族4人は全く何の症状もなかった


が、やはり嗅覚と味覚がなくなったことで、今はコロナだったと確信している。

だから、一患者として記録を残しておきたいと思う。ここからは不快な表現も出てくるので、食事中の方はお気をつけください。

強い症状が出た日を1日目として書く。それまでにも空咳は出ていたと思うが、いつからだったのかはっきり記憶していない。

この9日前、目に傷ができて痛いと泣き叫ぶマリーを救急に連れて行ったが、その日私には咳や風邪の症状が何もなかったのだけは覚えている。

もうコロナが流行り始めていたのでマスクをしたかったが、
つけた途端待合室の患者にジロリと見られ、はずした


1日目:咳とともに黄色いタンが出る。この日まで何日空咳が続いていたのか思い出せないが(3日ぐらいだと思う)、病院の24時間ホットラインに電話して相談した。水分を摂ること、蜂蜜を入れたお茶を飲むこと、などなど、つまり専門的なアドバイスはなかったが、やけに明るい年配看護師さんと話していると元気が出た。

2日目:1日目と同じ症状だが、緑色のタンが出始める。

3日目:咳と緑色のタン。胸が苦しいので救急に行く。過去2週間以内に渡航したか、感染が確認されていた人とコンタクトがあったかを聞かれる。どちらも否定。熱はなし。息苦しさなし。胸部レントゲンはクリア。咳止めと吸入薬を処方され、お昼から服用する。

4日目:前日と同じ症状が続く。食欲はあったのでラーメンを食べようと思い作ったが、あまりに味がなく捨てる。塩分と辛味は感じるので、味覚がないことにこの時点では気がついていないが、この日から嗅覚と味覚はもうなくなっていたらしい。夜鶏ひき肉とレンコンでキンピラを作るが、味付け失敗したかな?と思った。

5日目:咳とタンは変わらず、泣きたいほど苦しい。夕食後二階の寝室で休みながら咳止め薬を飲み、吸入する。1時間後ぐらいに動悸がし始め脈を測ると108になっている。身体中がドキンドキンと脈打っているのを感じ、これは危ないかも、と急いで身辺整理をする。が、どんどん気分が悪くなり、階下にいる次男を呼び、血圧計を持ってきてもらう。その時点で血圧は140/100。普段は100/60ぐらい。脈は115。パニクりながらもオンラインで原因を調べると、吸入薬の副作用とわかる。

6日目:咳は相変わらずノンストップで出る。ひっきりなしに緑色のタンに悩まされ、この日やっと味覚と嗅覚がなくなっていることに気がつく。かかりつけ医に電話して、咳があまりに苦しい、吸入薬は副作用があるのでやめたが、この咳の苦しさをやわらげる薬が何かないか、と泣きたいような気持ちで聞く。かかりつけ医の診断では、風邪による咳は3週間ほど続くし、吸入薬はどれも同じ成分なのであなたが副作用があると思うなら、他の種類は処方できない。とにかく水分を摂ること、シャワーを浴びることで咳は緩和する、と言われる。味覚・嗅覚は風邪が原因で一時的になくなることはよくある、という結論。

7日目:前日は本当につらかったのに夜はよく眠れていたらしく、早朝気持ちよく目が覚める。タンはそれまでより柔らかい状態になる。が、頭痛があり数年間痛み止めとして使っていたMotrin(イブプロフェン)を飲もうとしたが、何故か危険を感じてTylenol(アセトアミノフェン)を飲むことにした。これが正しい判断だったことをあとで知る。咳はこの日少し楽になったと感じる。

8日目:咳とタンはまだ続いている。嗅覚を戻すトレーニングを始める。夕方裏庭に出た時、樹液からほんのかすかな匂いを感じる。

周囲の山が青々とし始めた頃だったが、ひたすら家にこもっていた


9日目:前夜は少し咳が楽だったのに、朝起きたあとまた咳がひどくなる。嗅覚のトレーニングで樹液に一番反応することがわかり、葉っぱを爪でこすりながらなんども匂いをかいでいるうちに、突然嗅覚が戻った。それが朝10時半。11時半にランチを食べようとしたが、もう味がないことに気がつき、あ〜、1時間前に何か食べればよかった、とがっかりする。普段はうどんがあまり好きではないのに、嗅覚がなくても天ぷらうどんなら食べられることがわかる。このまま一生嗅覚も味覚もなくても、天ぷらうどんで生きていける?と少し希望が出る。タンはまた硬くなってきた。

10日目:一日中嗅覚が戻らない。トレーニングをしながら焦るがダメ。

11日目:咳が少し楽になり、朝から気分が良い。I'm back!という感じ。エネルギーを感じる。そしてお昼前突然生活の臭いを感じる。嗅覚が戻った!とわかり、前回のように1時間後に嗅覚がまたなくなる前に何か食べねば!とサンドイッチを作って食べる。夕方また嗅覚がなくなる。

12日目:朝からまた咳がひどい。嗅覚と味覚はこの日起きた時香水を指につけてみてしばらく匂いを嗅いでいると戻った。その時以来嗅覚・味覚ともに完全復活。咳がつらいのでまたかかりつけ医と電話で話すが、とにかく今は焦らずに風邪が治るのを待ちなさい、と言われる。昼間ここまで辛かったのに、夜突然咳が楽になる。

13日目:完全に回復したのを感じる。が、毎日24時間ひどい咳が続いたためか、体のあちこちが痛む。心臓もかすかに痛いような気がするが、それが胸骨の痛みなのか心臓なのかはっきりとはわからない。でも痛いのは左側だけ。

あとから考えると5日目と6日目が一番ひどい状態だったのだと思うし、多分この2日間が重症化するかどうかの分かれ目だったような気がする。

友人が差し入れてくれた玄米むすび
私の強みは『どんな時でも食欲旺盛』であること、と改めて確認したのだった

続く・・・

2020年3月17日火曜日

あと2時間でベイエリアがロックダウン(都市封鎖)される

ベイエリアのLockdownが始まる。3月17日午前0時。この時から地域は厳重な封鎖状態になるわけだ。

必要最小限のお店(スーパー、薬屋さん)と病院、銀行など、つまり生活するのに必要な場所以外は全て明日から閉まる。不必要とみなされる外出はできない。

テレワークが始まり、託児所も閉鎖され、我が家はヒロを含む5人が24時間一軒の家でわさわさ生活することになる。

託児所も学校も職場も全て閉まる


ということは役所も閉まってしまうので、サンフランシスコのマンションの契約も延期になった。3月30日に契約書を交わし支払いがある予定だったので、来月からは家のローンもマンション管理費も必要なくなった、と喜んでいたのに。Lockdownは4月7日まで。その後つつがなく最終契約ができるのだろうか。心配だ。

今週末は引っ越しトラックを借りて家具を全てサンフランシスコからサンノゼに移す予定だったが、これもキャンセルになった。生きるために必要ではないレンタカーの営業所も閉まってしまうからだ。

その上今日は私の歯根が割れてしまった。インプラントにしないといけない。それも3本。なのに、歯医者さんも明日から閉まってしまう。だから、割れた歯で過ごさないといけなくなったが、炎症が起きないように抗生物質を電話で処方してもらい服用することになった。

やっとひどい風邪から回復し始めて、抗生物質も使わずによくぞ乗り切った、と自分をほめていたのに、あっけなく歯のために抗生物質を使うことになってしまいがっかりしている。

味覚・嗅覚も戻った。3月1日に感覚がなくなってリハビリを始めたのが3月6日。(わかりやすくするために、日付は少し変えてあります。)

ベッド脇にも茎を置いて一日何度も嗅いでいた


7日の午前10時半に突然樹液の香りがわかるようになり、戻った戻ったと喜んでいたら30分後にまたなくなってしまった。

毎朝夕裏庭に出て新芽部分を取って樹液を嗅いでいたら、ある瞬間フッと香りが漂った


その2日後、9日の朝また感覚が戻ったと思ったら、夜何も臭わなくなった。最終的に完全に戻ったのは10日の早朝。それからは問題なく嗅覚も味覚もある。

名前はわからないが、反応したのはこの植木


空気の匂いがわかり、食べ物が美味しく感じられる幸せを忘れないようにしよう、と思ったのもつかの間。

幸せを感じる間もないほど早食いしとります