2021年9月29日水曜日

老後計画 3 義家族と絶縁したい

 義家族のことを詳しく書こうと思ったが、4度ほど書いては中断、書いては中断を繰り返した。


詳しく書くとあまりの怒りで気分が落ち込んでしまうので、やめた。



とにかく、去年パンデミックが始まる直前、姑と義兄(若い頃から病的な嘘つき)とは心の中で縁を切った。


そもそも徹底的な人種差別主義者(姑と義兄)、集まると噂話、ギャンブル好き、Facebookが大好きな義家族と私は話が全く合わない。


そんな中、2015年に次男が私の旧姓に改姓し、2019年に長男も続いた。


8文字のアルファベットだった夫の名字から、私の旧姓である4文字のアルファベットに変えたのだ。


そして、今から1年半前、それを知った義兄から私への罵詈雑言に満ちたメールが夫に来た。


天皇家に近い由緒ある8文字家(勿論根拠は一切ない)の歴史も考えず、彼ら(息子たち)をそそのかし改姓させたのは全て私の入れ知恵である。


そのことで、ママ(姑)が大ショックを受けている、というものだった。


私の両親にまで及ぶ悪口に満ちたそのメールを読んで、目の前が真っ暗になるほど腹を立てた私は義兄に対して長い返信メールを書いた。


が、同じ土俵で戦ってはいけない、と送るのはやめた。


最終的には、夫が義兄に怒りのメールを書いた時、「私はあなた(義兄)を許すから、あなたも私を許したらどうでしょう」と私からの伝言として送ってもらった。



長男が生まれた頃から、私に対する暴言がひどかった姑や義兄とは、もっともっと早くに断絶するべきだった、と友人たちから言われた。


が、私はこう見えてもとても気が弱いんである。


だから、confrontation、つまり「対決」というものを避けたい。




とはいえ、完全な縁切りはそう簡単なものではない。


夫の実の父が事故死したあと、姑が再婚したので夫には兄弟が6人いる上、実の父親は10人兄弟なので、親戚は300人にのぼる。


毎月のように香典、ベビーギフト、誕生日プレゼントを送る必要もあるし、夫は姑に定期的にお金を送る。


姑や義兄、義妹たちと夫はZOOMで話すし、姑からは夫と次男家族だけに宛てたカードが送られてくる。


なんも見えんがな


とはいえ、息子たちに姑や義家族の悪口を言うわけにはいかない。



今朝、悪夢で目が覚めた。


それは自分の心の中の不安定さからの夢だと気がついた。


そんな時、自分の親を思い出す。



そもそも私の家族と、夫の家族は趣味や環境も正反対で、だから私が義家族と合うはずがないのだ。



勿論私の家族にも悪いところはいっぱいあるが、あまりに違う性格を持つ2家族が仲良くするのは難しいものだ。


そこをどうにかお互いに折り合いながらやってきたわけだが、去年平和火山は爆発した。


アメリカにいる限り、この義家族の問題は一生つきまとう。



日本での自主隔離週間が2週間から10日になることだし(10/1以降)、日本に2週間半ほどだけでも行こうかな、とぼんやりと考えた。


そして、老後計画の調査をしようか。


実はお骨はお墓の中で、あるいは家に置いておいてもカビがはえる、と聞いて両親のお骨を粉骨してもらう(その後真空パック)手続きを姉が始めたところだ。


粉骨 手元供養コース
粉骨 樹木葬コース
粉骨 海洋散骨コース


という3つのコースがあり、姉は手元供養、私は私の分を両親が望んでいたように、ゴールデンゲートブリッジの下に撒こうかなと思い、粉骨の際に分骨してもらう。



そのために、英文の粉骨証明書を発行してもらい、アメリカに持ち帰る。自然環境保護のために六価クロムの除去もしてくれるようだ。



まごころ粉骨サービスに頼む(3万円ほど)


姉は手元供養のあと両親を樹木葬にし、いずれ自分もアプ(飼い犬)と一緒に葬られたいと思っている。


その時にはこれも一緒に葬るかな、と私は考える。

母が編み物をしていた頃、
父が記録のために使っていたノート



細かく記録されたこのノートの中で、特に私が好きなのはこのページだ。



いや、一緒に葬るにはもったいないほど、
なかなかシュールな絵ではないか

2021年9月22日水曜日

老後計画2 実家の建て替え?

 実家は崖地に建っている。


玄関から見ると普通の二階建ての家だが、裏から見ると高さ5㍍ほどの断崖絶壁に建った家で、裏庭の柿の木から落ちた柿は、たまたま下を歩いている人を殺してしまうかもしれない。


なので、柿の木は切った。


右側が玄関側で、左側が崖地
つまり、右半分は2階建、左半分は3階建


なにしろ断崖絶壁側の2階の部屋にエアコン取り付け工事を頼んだ時、室外機をつける業者の男性が「2階て言うより、5階て言うてほしかった・・・」と言ったほどの高度だ。


1989年に建てられたこの家は、父のお気に入りだった。


私もこの家が大好きだった。


しかしこの家は2000年に改正された耐震基準に合わず、その上重い瓦も使われているし、他にもいくつかの要因があり家全体が傾いている。


大きな台風が増えた今、姉が一人で維持していくのが難しくなった。


マンションを買うか借りるか、という話もここ数年出ている。


が、アプ(7歳のトイプードル)を介して近所の人たちと仲良くなり、何かあったらいつでも駆けつけてくれる、というご近所さんばかり。


だから、一人身の姉にはこの地域にずっと住みたいという気持ちが強い。



なら、家を解体して建て直すのはどうか、と私が提案した。


崖地にある鉄筋コンクリートの地下室をそのまま置いておいて、平地部分に小さな家を建てるのは?


近所に住むI川さんという建築士に聞いてみた。


I川さんによると、解体に500万円、建て直すのには坪60万円ぐらい、ということ。


そもそも、この家は父と姉がローンを半々で組んで買った家。


終の棲家のローンはもう払い終えているし、と姉は安心していた。


なのに、どうも終の棲家にはできそうもない。



傾きは数年前に岡山から出張してきた数人の業者さんに直してもらったが、結局まだ傾いているらしい。傾きを直した上に、この修理によってずれが生じたトイレ・洗面所、浴室、廊下などなども直すことになり、小さなマンションを買えそうなほどの工事費が発生した。



なのに、今度は家の建て替え?


平地部分に20坪台の家を建てるとしたら、と調べてみた。




26坪の建築面積で1300万。


解体費用500万を足すと1800万。


建築中、1年ぐらいはマンションを借りる必要もある。


近隣のマンションを調べると、月14万ぐらい。14x12=168万。


引越し費用、その他諸々の費用を入れると、家の建て直しにかかる費用は2000万を超えるだろう。



なら、もっと大きな家にして、私が一緒に住む?




いや、長年別々に住んできた姉にも私にも一緒に住む、という選択肢はないだろう。


どちらにしろ、もうすぐ70歳になる姉が建て替えのストレスに耐えられるか。


それは無理だと思う。


私も最近、そのストレスを少しだけ味わった。
















バスルームの床タイルを選ぶ時点で挫折中

2021年9月21日火曜日

老後計画1 卒婚?

4歳児ともうすぐ1歳になる子供を連れた次男夫婦と、長男夫婦がキャンプから帰ってきた。



上の写真はキャンプ前夜、次男の家の裏庭で私が用意した鍋とお刺身の夕食の様子だ。


次男とヒロはトラックに取り付けたテントで寝て、マリーとアキはレンタルのトレーラー(ダブルベッド、シングルベッド2つ、キッチン、トイレ、冷蔵庫と冷凍庫がついている)の中で寝た、ということ。


トレーラーを牽引する次男のトラックと、スバルに乗った長男夫婦がヨセミテに向かって金曜日の朝5時に出発し、日曜日の夕方帰ってきた。


長男とサキは普通に地面にテントを張って寝たい、ということで、6人がハーフドームの見える場所で固まってキャンプしたらしい。


次男とヒロはこのトラックにテントを取り付けた

牽引したトレーラー


私は3日間の休暇を楽しもう!と1人でテラスカフェに行ったり、Kみさんとスタンフォードショッピングセンターに行ったり、と満喫した。


ランチはターキークラブサンドイッチと紅茶で
チップ込2750円ぐらい

以前に比べると人が少ない


Kみさんと私の最近の最大の関心事である、老後は日本かアメリカか、という話になった。


Kみさんの疑問は、「老後アメリカで子供のそばに住みたい、という人は、具体的にどこで誰が自分の世話をすると考えてらっしゃるのかしら。」ということ。


そう言われてみると、私も自分がいかに漠然としか考えてなかったことに気がつく。


長男夫婦は、子供を持たないと決めているわけではないが、持つという決断もできないそうだ。


二人は今35歳と34歳。


私は、この二人は多分このまま決断することができず、子供は持たないのだろうなと思っている。


そして、それは彼らの選択だし、私には文句も意見も一切ない。


キャンプ前夜脱皮中のカマキリに見入るヒロ
ハンドルの下、ヒロが指差す先にいるカマキリ見えますか?


サキ母Mよさんははもうすぐ71歳になる。そして来年退職する予定。


Mよさんは、「いずれ同居しているサキと長男に世話してもらうことになるのかな。」とおっしゃる。


多分サキも長男も、そして次男も具体的な親の世話、介護がどういうものであるか、というのは想像できないだろう。


私は親の介護をしていた時、介護に関する一切の感情や愚痴を子供たちには言わなかったので、彼らは親の世話/介護のイメージを全く持っていないだろう。



では、私は具体的にどういうビジョンを持っているのだろうか。


今と同じ地域に平屋を探して移り住む、ケアが必要となったら一日数時間ずつヘルパーさんに入ってもらう?などぼんやりとは考えてはいたが、寝たきりになったらどうする?


子供が親の介護をすることが、どんなに過酷なことかを知り尽くしている。だから、子供には絶対に頼りたくない。


この地域では、一日24時間のケアが必要な場合、ケアラーさんへの支払いは月額1万ドルかかる。


食事は?和食なんか期待できるはずもなく、毎日サンドイッチと豆のスープ?ハンバーガー?



突き詰めて考えてみると、やはり老後は日本しかないのでは?


Kみさんと話していると、毎回そういう結論になっていく。


日本に小さなマンションを持ち、元気なうちはアメリカと日本を行き来する、というのが理想かな、とおっしゃるKみさん。私も同感だな、と考える。


Kみさんに聞かれた。


「ご主人はそれでいいの?」



目が点になった。


頭の中が白紙になった。


私の老後計画に夫は入ってなかった。



あまりにも漠然と考えていたせい?


Kみさんは、ご主人がかなり歳上なので、自分が一人になった時、というのを前提にしてらっしゃるのだ。


私と夫は同年齢。


「老後計画に夫は含まれてなかった・・・」と言う私にKみさんは優しく「卒婚っていうのも、良いコンセプトだし、その形は色々あって良いと思う。」と言ってくださる。


う〜ん、そもそも、夫こそ自分が介護が必要になった時どうするつもりなのだろう。


夫の性格上、子供に頼るつもりはないだろうが、18歳で親元から離れた夫に、「年老いた者の世話」の具体的なイメージは全くないはずだ。


つまり、介護するのは私?


ありえない・・・と思うが、このままではどちらか先にケアが必要になった方が、もう一方からのケアを受けるしかないではないか。


目の前が真っ暗になる(大げさ)。



卒婚・・・


卒婚という言葉のイメージはあまり良くない?


なら、結婚からの脱皮?

2021年9月17日金曜日

眼瞼下垂手術4ヶ月後

 眉下切開手術から4ヶ月ちょっと過ぎた。


現在の感想。



一言で言うと、手術を受けて良かった。


やはり瞼の軽さは半端ない。


私の場合は右瞼がたるんでいて、目を開けていてもいつも右瞼の重さを感じていた。


それがなくなった。


つまり視界も開けた。


手術終了15分後、姉から写真を送ってと言われて
クリニックの階段で写真を撮った


手術に関しての後悔はあるか。


ある。


とはいえ、まあ、何らかの後悔があるか、と聞かれれば「あの時xxに注意しておくべきだった。」というぐらいのものである。それは後ほど。



何しろ60代。


肌のきれいな美しい60代なら、気になる部分満載なのかもしれない。


が、私は元々色黒、肌のトーンはムラムラ、毛穴の見える、シワとたるみだらけの顔(ここまで書くと自分でも悲しい😢)。


術後12時間
朝起きたら右瞼が腫れていた
左目の方はこの頃三角目になっていた
(今は改善された)


私が手術を受けたクリニックは分院を含めてABC3つの医院で成り立っている。


私が2020年8月に診察を受けたのは、A院。そこには京都のある病院から月1で形成外科医であるA先生がいらして、眼瞼下垂の診察をされていた。


A先生に会うために日本に来て、先生の感じ良さに100%の信頼感を持った。


手術は2021年4月に受ける予定だったが、ワクチン接種を終えてから日本に行きたかったでの、日程を変更せざるをえなかった。


変更をお願いするためにA院に電話したら、手術はB院で行います、と言われた。執刀医はB先生です、とも。


「私はA先生の診察を受けていてA先生に手術をお願いしたいのですが。」と言うと、受付の人に「でもB先生も形成外科医ですから大丈夫です。B先生もお上手ですよ。」と言われた。


日程のこともあり、最終的にはB先生でいいです、ということになった。


B先生にお会いすると、A先生ほどの温かい目や感じ良さはなかったが、まあ、眉下切開なんてちゃちゃっと眉の下を切って、縫えばおしまいだし、これ以上日程を延ばせないし、と決断した。



手術は1時間もかからないので、先生のスケジュールはびっしりと詰まっているのだろう。術前の簡単な診察と血液検査は4日前に受けていたし、すぐ手術室に入った。


手術台の上で、B先生が私の瞼にマーカーで切開線をつける際、私は先生にお願いした。


「私の目は元々腫れぼったくて二重の幅はそう広くなかったので、皮膚をあまり切らないでください。最低限瞼が軽くなればそれでいいです。」


では、とB先生はマーカーで瞼に切開線を描き、私は手術台に横たわったまま手鏡を渡された。


そして、「これぐらい皮膚を切除しようと思いますがどうですか?」と聞かれた。


そう言われても、何が何かわからん。が、右瞼は1センチ近くの幅が切除されるが、左瞼は5ミリほどか?元々手術したくなかった目なので、妥当な切除なんだろうと思った。

術後24時間
左瞼の切開開始部分から瞼が引きつった
が、2ヶ月ほどで消えた


はい、お願いしますと言い、手術が始まった。


注射で麻酔するので、痛みは何もないし、形成外科医にとって瞼の皮膚切除なんて、ちゃちゃっと簡単、ってなものなのだろう。


これが、美容整形枠での手術だと40万ぐらいかかると思うし、ステッチ数はもっともっと多いのかもしれない。



術後30時間
術後40時間
腫れがひどくなってきた


術後80時間
前日から腫れが目の下に及び始めた
黄色い打ち身のような腫れは抜糸後もしばらく続いた




抜糸後9日目
左眉下のふくらみはドッグイヤーと呼ばれるものだが、
これも時間がたってなくなった

抜糸後9日目の右眉下傷跡
まだ赤みがあるが、4ヶ月後の今、赤みは消えた



さて、4ヶ月後の今の状態と思うこと。


最初に診察してくださったA先生には絶大の信頼感を持ったが、実際の執刀医B先生にはそこまでの信頼感を持てなかった。


別に今問題があるわけではないのでいいのだが、A先生だったら問題があっても真摯に向き合って色々と聞いてくださるだろうな、でもB先生は無理そう、と感じる。


手術前に執刀医への絶大の信頼を持つことができる、と感じられる方が安心だろう。


つまり、術後色々な問題が出てきた時、ちゃんと相談できる医者だ、という安心感がある方がいいと思う。


特に、若い人の間で眼瞼下垂手術(重瞼部皮膚切除手術)は瞼の脂肪を取り、目をぱっちりさせる目的で、大人気だそうだ。


目をぱっちりさせる目的で受ける手術は重瞼部皮膚切除手術が多く(和田アキ子さんが受けた手術)、私が受けたのは眉毛下皮膚切除手術。


それで人生が楽しくなるなら、どんどん受ければいいと思うが、どんな手術でもリスクはある。特に瞼の脂肪を取ってもらった場合、目の上が落ちくぼんでしまった、と悩む人もいる。


私の知り合いは重瞼部皮膚切除手術を受け、皮膚が必要以上に切除され、黒目の上部分が完全に隠れない状態(黒目の上の白目が見える、いわゆるびっくり目)になってしまった。その後再手術、再々手術、再再々手術と計4度の手術を受けたが、改善されず。


眉下切開手術の場合、一重が二重になったり印象がガラッと変わるリスクは少ないが、傷は決して消えない。2年後にはほとんど見えなくなると言われるが、ある程度は残る。



私のアドバイスとしては、切開は眉毛のすぐ下で行われるから、まず普段眉毛をどの位置で描くか、ということを考えておいた方がいい。


私はそれに気が付かず、眉も手入れせずに手術に臨んだから、手入れの悪い眉のその下で切開されている。



下の写真(スミマセン、あまりの「シワシワ象の鼻」を消しゴム?で消した写真です)では切開線がはっきりわかると思う。


眉を整えていなかったから、手術の際眉毛はここまではえていたのだ。だから、先生の認識では「眉ラインに隠れるギリギリの切開線」だったのだろう。


が、後日眉を整えた時、切開線が眉よりもずっと下になることに気がついた。



眉から傷まで1ミリ以上ある


左の切開線は眉の直下に収まったので、傷は見えない。



そして、実は、驚くことに右瞼はもうまた下垂が始まった。ほんのちょっとだが。


つまり術後4ヶ月なのに、下垂の兆候が現れ始めたのだ。


そりゃそうだろう。4ヶ月年を取ったのだから。


つまり、眼瞼が切れている可能性があるのかもしれない。


瞼を重く感じるようになったら、数年後にまた手術を受けたくなるかもしれないが、あんなに簡単な手術なら何度受けてもいいかな、というほどのもの、と私は軽く考える。


が、人によっては以下のような不満が残るのではないかと思う。


傷が残った、

思っていたよりも瞼の脂肪がなくなって老けてしまった、

もっと目が大きくなるかと思っていたのに同じ大きさのまま、

若返るかと思っていたのに変化なし。



などなど、人の期待値は違うので、失望する結果になることもある、と思う。


このサイトでは様々なリスクの説明が詳しく書かれているので、一読しておくのもいいかもしれない。



とにかく、コロナの感染状況が少しでも収まってきたら、日本の眼科と耳鼻科に行きたい。


アメリカでは網膜剥離などの緊急手術が必要な状況じゃない限り、眼科にも耳鼻科にも飛び込めるところなんてない。




また愛宕神社のそばのホテルに滞在して、ファミマに紅鮭粥を買いに行くか・・・


と思っていたら、なんとさっき行ったニジヤ(和食材スーパー)で、見つけた!


この値段!
やっぱ、日本行こ

2021年9月10日金曜日

高齢者が必要なもの

2週間前の木曜日。


バスタブを掃除した。


そして、タブから出る際ツルッと滑って大音響と共に転倒してしまった。


打ったのは尾てい骨と手の平だけだったが、今までの人生最悪の転倒だった。


頭は打ってないと思う。



実は、大学時代の友人が洗車中転んで大腿骨骨折をした、とその前日に聞いたところだった。


そして、私も転んで骨折しないように気をつけよう、と思ったところだったのだ。



転倒のあと左だけ耳鳴りがするようになった。


頭は打ってないと思ったのは間違いで、実は脳震盪を起こした?


それとも音響障害?


というのは転倒の1時間前コーヒーを作っていた時、コーヒーメーカーのコーヒー入りました〜音が左耳のすぐ横でピーピー鳴ったのだ。


かなりの高音でハッとした。


その後貧血も頻発するようになった。


脳震盪なのか、音響障害なのか。


まず、もう一度コーヒーを作って、iPhoneでデシベル数を測ってみることにした。

79.4デシベルだった


ふむ、80デシベルの音を耳のすぐそばで長く聞くと音響障害が起こりうるらしいが、たかが数秒では耳鳴りの原因にはならないのではないか?


かかりつけ医にメールしたら、2ヶ月後に診察できますよ、ということ。


いや、今すぐ診察してほしいし〜、どのカイザー病院にでも出向くし〜、だからもっと早く診察してもらえへんやろか?と聞いた。


奇跡的にその4日後、耳鼻科は無理だが聴覚検査の予約がとれますよ、と言われたので、行ってきた。


カイザーのAudiology(耳鼻科の一領域で聴覚に関する科)の
待合室には患者ゼロ


病院の駐車場にはPCR検査テントがまた張られ
多くの車が行列を作っていた


検査結果は、やはり左耳に少し懸念材料があった。



人の会話は540から4Kヘルツの周波数域で話されていることがほとんどで、20Kヘルツぐらいまでは聞こえる域らしい。聴力検査は大体8Kヘルツまでが普通。


ちなみに1)高齢者には高い声よりも、低い声の方が聞こえるとよく言われるのは、高い声はヘルツ数が高いせい。父も男性の声の方が聞こえやすいとよく言っていた。


ちなみに2)父には私の声は比較的聞こえたようだった。


ちなみに3)私は20代の頃から行かず後家の喋り方と言われていた(80年代、アルバイト先の上司から。この時代こういう偏見に満ちた言葉がまかり通っていた)。



とにかく、私の左耳はこの検査時点で3Kヘルツ以上の音に関してちょっとだけ問題あり、という診断。


3ヶ月後にもう一度検査、もしその時も聞こえないようなら今後の方針(補聴器か?!)を話しましょう、ということ。


それにしても下のグラフを見ると、80代になるとどんどん聴力が落ちていくのだなあ、と思う。家族と話していて、はあ?としょっちゅう大声で聞き返す自分を想像していやになる。




作家の佐野洋子さんのエッセイで「年を取るということは、一つ一つ増える障害と共に生きるということ」というような文があったのが忘れられない。


最近は朝起きると指がこわばっている日もある。


ドライアイでしじゅう涙が出る。眼瞼下垂が理由かも、と眼科医に言われ眉下切開手術も受けたが、改善していない(手術4ヶ月後のアップデートを近いうちにします)。


が、年をとって一番辛いのは、頻尿である。


バスルームのリフォームをする時、夜中のトイレはどこに行けばいいのか。


他にもトイレはあるが、夜中に慣れていないバスルームまで歩くのはそれこそ転倒しそうで怖い。



息子たちは近いうちにヨセミテにキャンプに行くそうで、一緒にREIというアウトドアのお店に行ったり、その計画に夢中だ。



キャンプ。


それは私の人生の中で一番縁のない言葉だ。


なにしろトイレが日本のようにいつも綺麗、という状態ではないのだ。


が、息子たち家族(長男夫婦+次男家族)は喜々として次々と何かを買ってきて、支度に余念がない。


長男の家にも次男の家にもキャンプ用品が次々と増えていく。

4歳用、幼児用、大人用、と
どんどんキャンプ用の椅子が増えて行く


30年ほど前一度だけ行ったキャンプ、あの頃こんな便利グッズはなかったなあと思いながら見る。

トラック荷台用テント?も届いた


ま、今後も一生キャンプ用品には縁がないし、と思ったら・・・


あ、あるかも・・・