2021年5月27日木曜日

池袋に泊まった理由

 コロナ陰性証明書を持って、昨日無事アメリカに帰国した。


術後20日の傷
この写真で気になる部分が3ヶ所ある
それについてはまた改めて書きます


アメリカを出国する時と違い、日本で陰性証明書を取るのは簡単だし信頼できると思っていたので、ストレスフリーだ。S子さんに教わった神田北口診療所で、出国前日のお昼に検査し、午後3時には結果がpdfで添付されたものがメールで届いた。


それをユナイテッド航空に提出し、オッケーが出たあとは空港で印刷されたものを見せただけ。その後はアメリカ入国時にも提出するところはどこにもなく、日本での入国とは雲泥の差だった。


5月25日、やはり成田空港は昨年の8月と同じく、いや、それ以上に人がいなかった。











あまりに人がいないので、不安になるほどだった。ユナイテッド航空のカウンターに行き、「あの〜、飛行機飛ばしてくれるんですか?」と確かめたくなる。が、カウンターにも人がいない。


ここまで来る道は大変だった。


宿泊していた池袋のホテルに荷物を預け、浅野屋にカマンベールとクランベリーのパンを買いに行き、お昼ごはん用に東武デパートにある古市庵の箱寿司をデパートで買い、ホテルに戻り荷物を受け取ったあと山手線で東京駅に移動。これが失敗だった。


山手線に乗ったのは、丸ノ内線で行くより東京駅で降りた時大丸に近いからだ。が、池袋からはいつも丸ノ内線ばかり利用し、山手線を利用することがないので、どの改札が便利か、というのを知らなかった。


私が入った中央改札口からだと、上の階にあるホームまで荷物を持って階段を上らねばならない。この時点ですでにバッグレディー(袋に全ての所有物を持って歩くホームレス女性のことをアメリカで表現する言葉)となっていた私。(空港には既に大型スーツケースとダンボール箱を一つ送っている。)


ホームに行くエスカレーターかエレベーターのある改札口をあらかじめ知っていれば、と池袋駅情報を調べておかなかった自分に苛つきながら、どうにかホームまで行き着く。


山手線に乗り込んだ時点でもうヘロヘロ。


それでも東京駅大丸に行かなければならない。あるお店に行きたいからだ。


当然だがそれは食べ物のお店だ。パン屋、カーラ・アウレリアである。






ここで7個、その前に池袋で浅野屋のパン3個、スタバのバターミルクビスケット1個も買っていたので、計11個のパンを持ちヨロヨロと歩く。


なにしろ、4車輪のついたキャリーとその上に載せた大きなボストンバッグを右手に持ち、左手には保冷バッグ、右肩には大きなバッグをかけ、胸の前には斜めがけハンドバッグがある。


つまり5つのバッグを持ち、どうにかJR東京駅にたどり着いたのだ。



みどりの窓口が見えたので、入る。自販機で買うとカードが使えないが、みどりの窓口ではカードが使える。その上、列には一人も並んでいない。


「成田空港までの次の成田エクスプレスのチケットを1枚ください。」と息も絶え絶えに係員に言うと、係員の女性は私の姿を見てとても気の毒そうな表情になった。


そしておごそかにおっしゃる。


「成田エクスプレスは早朝と夜しかないんですよ。」



が〜〜ん!!



代替ルートは!?


スカイライナーだ!


確か日暮里まで行けば、そこから京成電鉄のスカイライナーが成田空港までの道としては一番速くて安くていい、と多くの人から聞いていた。



日暮里ってどうやって行くんだ?



バッグ5個さげたままグランスタ通路で仁王立ち。スマホで乗換案内を見る。


上野線で上野に行き、そこからスカイライナーに乗ればいいそうだ。(成田で入国した日に帰国者特別スカイライナーで上野まで来たことも忘れている。)



5つのバッグを持って上野線7番ホームに上がる。


が、なんと上野線は何かの理由で運転見合わせ。


他に日暮里にはどうやって行く方法があるんだ?



また乗換案内をチェック。山手線だ!


繰り返すが5つのバッグを持ち、山手線で日暮里に行く。



スカイライナーという大きな乗り換えのサインがある。



チケットを買い、成田空港に無事着いた。



最初から帰国前日は東京駅近辺に宿泊していれば、神田北口診療所にも歩いて行けるし、大丸にも朝のうちに行くことができて楽だったのに。



なんでわざわざ池袋に泊まったのか。


それは2日しか日持ちしない虎屋ういろが、池袋にしかないからだ。

ここまで来るとビョーキだな

2021年5月19日水曜日

眼瞼下垂手術その後と血液検査

雨が降り始めた5日ほど前頃からちょっと貧血気味なので、毎日ゴロゴロしとります。


ということで、なかなかパソコンに向かう気力が出てこない。が、抜糸後5日目の写真だけはアップしておきたいと思う。


術後3日目




抜糸後6日目(術後13日)
まだ腫れている


とにかく、瞼の重さがかなり軽減され、目を開けることが楽だ。今後肩こりなども少しずつ解消されていくことを期待している。


右目から始終出る涙に関しては、術後10日ほど経過してまた出始めた。これは少し改善されるかと思っていたのでがっかりしている。


見た目に関しては、まあ期待値も低いので、別に可もなく不可もなく、というところ。


とはいえ、やはり眉下の傷はなかなか気になるものだ、ということに今になって気がついた。特に私の場合眉からかなり下の方で切開されているので、眉の中に隠れない。


自分はもう年だし肌も汚いし、と気にはならないだろうと思っていたのは、必ずしも当たっていないようだ。


下の写真は左目。左目は下垂がひどくはなかったので、手術は受けたくなかったのだが、医者の勧めで受けた。何故なら両目を手術しないことで、代償的に今度は手術をしていない方の瞼が下がる可能性もあるからだ。


ということで、左目は目尻側2cmほどの切開となった。


下の写真は7年前の写真(上)と、現在(下)の写真。(正面から自撮りした写真があまりなく、クリアでない画像で申し訳ない)ほとんど変化がないようだ。

写真では見えないが、左眉尻に大きな傷が残っている


術後に会った友人も姉も、「以前と(顔の印象は)全くおんなじ。何が違うんかわからへん。」と言う。それが一番うれしいコメントなんである。


とにかく、現在のような状況の中、右瞼の重さをどうにか解消したく日本で(アメリカより器用であろう医師の)手術を受ける、という目的は果たせたと思う。


万が一お互いが無症状コロナ感染者である可能性を考え(症状は何もないが)、京都では最後の3日以外はずっとホテルに滞在した。


姉とだっていつお別れが来るかわからない、と今回何度も思った。お互い年を取って、不調も増えてきたからだ。


姉には毎日会いテラス席のあるカフェでランチを一緒に食べおしゃべりをする。

京都のホテルはなんと3500円だった(1泊1名ダブルルーム)
普段は1名でも土曜・祝日などは2万円を超す部屋

姉と行った烏丸のテラス席のあるスタバ

夕食は姉が手作りのお弁当を運んでくれた。




観光客の少なそうなお寺に行き、デパートなどのお店には食品の買い物以外入ることもなかった。

なんで今まで法隆寺に行かなかったのか、と思うほどすばらしかった


これは正伝寺、人も少ないしここも今回の目玉

そして、もうすぐアメリカに帰国する。


が、その前に手術を受けたクリニックから血液検査結果が出ました、と報告書を渡される。


ガーン・・・


採血をしたのは覚えているが、手術前の感染を調べるものだったのでは?


もっと日本の美味しいもの食べたいんですけど?


こんな検査、頼んでないし!

2021年5月8日土曜日

眼瞼下垂手術 ダウンタイム(DT)ブルーと花かごパン

 眉下切開手術を受ける20代女性が増えたそうだ。


だから、名前もオシャレになって、眉下リフトと呼ぶクリニックもあるということ。



しかし、それってなんか変。



そもそも眼瞼下垂というのは50代を過ぎてから起きるものではないのか?


加齢による瞼の下垂で眼精疲労、肩こり、視界が遮られる、などの症状が起きるようになる。だから眉下切開の場合、手術して弛緩した瞼の皮膚を切り取ることで症状を緩和する。


それが、今や日本では、若者たちの美容整形手術として人気になっているそうだ。


繰り返すが、


それってなんか変。




眉下切開は美容整形手術枠、つまり自由診療で受ける人が多く、両目で大体40万円ぐらいする(らしい)。私のような保険診療枠の老人性眼瞼下垂手術は、クリニックによるが大体15万円前後。健康保険を持っている人なら、3割負担で5万円前後。



5月5日に手術を受けた。1時間の簡単な手術だ。


術後気がついた。眉の下をザクザクと黒糸で、しかもジグザグに縫われている。


これに関して私は最初っから、傷跡が残ること自体あまり気にしていない。元々肌が汚いのだし、シワだらけだし、傷が残ろうが消えようが大した違いはない。


ギザギザの縫い目(しかも黒糸)


自由診療で手術を受ける人は、縫い方をとても重視するようだ。


そりゃそうだろう。若いピチピチの肌、あるいは年をとっていてもきれいな肌の人は、傷一つつけたくないだろう。


きれいな結果になるのなら40万なんてなんでもないわ、と思う人も多いのだろう。


そして、レーザーメスを使っての手術だと出血がほとんどないので、執刀医にとって手術は格段と楽になるらしい。そして仕上がりもきれいになる。だが、その場合手術費用はもっともっと高くなるらしい。



私の場合自分が気にしてなかったので傷跡を隠すことさえ忘れていたが、姉が私に会った時、やはり眉毛の下の縫合線に驚いたようだ。そして自分は自由診療で受けようと決めたらしい。



ま、それはいいのだが、私の傷は人からは隠すべきものらしい。


ということで、外出する時、かなり不審者っぽい格好で出かけることになる。マスクはいいが、エッシェンバッハ(ずれない)のブルーライトカット眼鏡をかけ、眉を隠せる帽子を目深にかぶる。


河原町通

烏丸通地下通路


そんな私でも、元々の目の形が変わるのはいやだ。


美しい目だろうが、醜い目だろうが慣れ親しんできた自分の目。それが他人の目のようになるのは誰にとってもショックだろう。


元々の形を変えずに、黒目に覆いかぶさっていた部分だけを切り取ってしまってほしい。



二重ラインでの切開手術と違って、眉下切開手術は一重瞼が二重になるわけでもなく、顔の印象は変わらない、と聞いていた。二重ラインでの手術は、一重まぶたが二重まぶたになるなど、顔の印象が大きく変化する人も多いそうだ。



が、手術したあとはやはりあれこれ気になる。



色々な不具合に気が付き始め、一日中鏡でチェックしたくなる。

DT2日目朝


2日目の夜になると、瞼だけではなく、目の下の普段からたるんでいる部分が腫れて、半端なくたるむ。自分でも視界に入るほどになった。

DT2日目夜


DT3日目、腫れは目の下におよび紫色・黄色になった皮膚は
乾燥のためひび割れ始めた


そしてとてつもなく不安になる。色々な不具合がある。これは手術失敗では!?


これがダウンタイム(DT)ブルーと呼ばれるものだそうで、誰もが経験するようだ。



下の写真では目の下のコブ状になった腫れが見える。


が、これは時間の経過と共に消えるだろう(と思うのに不安)。



では、具体的には何が、どんな不具合が、ブルーな気持ちにさせるのか?

理由は聞かないでほしい(今の時点では)



ブルーな気持ちになりながらも、ホテルのすぐそばにある「花かご」にパンを買いに行く。



コロナの感染状況が日々拡大している京都、不安に思った姉のために私は実家に泊まるのをやめ、ホテル住まいをすることにした。



そして、京都の日々を楽しめるように街のど真ん中にある宿に決めた。



これが大正解で、毎朝花かごのパンを買いに行くことができる。私的にはThe City Bakeryよりも、ロブションよりも、ジャン・フランソワよりも、ル・プチメックよりも美味しい。数倍美味しい花かごパン(私見)。



今日初めて試したカマンベールとりんごのパン。



硬めのパンからトロリと出てくるソース、チーズ、りんごの組み合わせが絶妙


例えばこれはオレンジ風味のブリオッシュ。

軽くフレーキーなブリオッシュにほのかなオレンジの香り



何種類買おうが、全てが違う香り、違う質感、違う食感と一つ一つが個性的なことに毎回驚く。だから毎朝買いに行く。



が、明日は定休日だそうだ。




困る!




京都での最大の楽しみは観光でもなく、ショッピングでもなく、花かごのパンなのだ。




だから今朝は8時開店と同時に行き、パンをいくつか買った。


今日と明日の分が必要だ。




だが、大好きなブルーチーズとはちみつのパンがまだできあがっていない。



あと15分後に焼き上がります、と聞いて1時間後に戻り追加でそれを買う。




こんな時、花かごパンのそばのホテルに滞在している幸せを噛みしめる。


が、2日分でなぜこんなに(9個)必要?


理由は聞かないでほしい