同窓会に関しては二つのことをいつも聞く。
まず、同窓会には幸せな人しか行かないということ。それはそうかもしれない。幸せだから皆に会って昔の思い出話をして、今の生活を報告し合って楽しめるのだ。
二つ目は、同窓会で久しぶりに会う女子(友人が同窓会の話をする時、皆が皆男の子女の子と表現する)は余り変わっていないが、男子は驚くほど老けている人と若々しい人に分かれる、ということだ。
パロアルトで開催される赤門会には 招待されたことがあるが 自分の出身校の同窓会には行ったことがない |
友人YやMは日本に帰国すると同窓会に行くらしい。そこでどんなに楽しい時を過ごしたか、いつも報告してくれる。それがうらやましくて仕方ない。が、私には昔っからの友人がいない。高校時代の友人は皆遠距離に散らばってしまって、そのうち疎遠になってしまった。そもそも高校時代の友人たちには余り会いたいとも思わない。会いたいのは中学時代と大学時代の友人たちだ。
中学生の頭の中はまだ皆混沌としていて、世の中(この場合は学校)には自分に不利益をもたらす人間がいるかもしれない、という事実も意識しない。ただただ楽しい毎日が続く。
高校生になると話は違う。思春期になり好きな人ができ始める。すると、色々な思惑が産まれてきて、同級生たちとは、『皆仲良し楽しいな』だけの無邪気な関係ではいられなくなる。関係作りがむずかしくなるころだ。
とにかく、大学時代の友人たちの追跡調査をするとしたらfacebookが良さそうだ。2012年の夏に探し始めて、やっと先週一人と連絡がついた。その幼なじみ(大学時代は今から考えると子供みたいなもの)が、他の仲間たちに連絡してくれ、35年ぶりに数人が集まってくれることになりそうなのだ。その連絡事項をメールしているうちに最初は『お久しぶりです。』から、『あいつはもう髪の毛あらへんで』という馴れ馴れしい友人メールに変わって来る。
現在同窓会の候補地を研究中 これは祇園 |
もうすぐBucket Listの一つがかないそうだ。Bucket List (バケットリスト)というのは、死ぬまでにしたいことリスト、という意味だ。
ふと、自分のバケットリストはなんだろうと考える。昔の仲良したちに再会すること、ヨーロッパ、インド、トルコに行くこと(行ったことがない)、ウェストのくびれを作ること。ふむ。他に何があるのだろう。
鴨川沿いのタイ料理レストランか |
しかし、と不安になる。還暦目前の日本の常識人たちが、アメリカからやって来たおばさんのために集まって楽しいものなのだろうか。こんなつまらないおばさんを囲んでも、座が白けるのではないだろうか。
やはり同窓会というのは男女がたくさん集まるから楽しいのではないだろうか。やめておいた方がいいのではないだろうか。次々と不安が高じて来る。
いっそのこと東福寺でも皆で歩くか |
バケットリストに〆マークをつけるのは、なかなかむずかしいことなのかもしれない。