いつまた貧乏になっても平気だ。
何度もどん底を経験している、お金はなくても大丈夫だから、年金はあんたたち(姉と私)が必要なことに使いなさい。
何も残してくれなくていい、といまだに言う。
とはいっても介護年数が長く、仕事を余りしなかった父の年金はとても少ない。
それでも母が生きていた頃は、お金を払えば母の病気を治せる日が来るかもしれない、と少しずつお金を貯めていた。
が、もうそれも必要ないし、自分ももう何もいらないとついこの前まで言っていた。
今は母の死も記憶から抜け落ち始めている。
逆境を経験していない息子たちにも、戦争体験世代が培った強さを持ってほしいといつも思う。
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2年前のメモ魔だった父の手帳 |
今年の手帳は全ページ空白 |
終戦記念日の昨日、ヤフーのニュースを読んで泣けた。
今こうして書いているだけで涙が出る。
それは日中戦争や太平洋戦争で亡くなった軍人・軍属230万人のうち、約6割が餓死した可能性があるというというニュースだった。
それも政府の無謀な作戦が原因らしい。
多分殆どが18歳から20代の青年だったのだろう。
親もどんなにか無念だっただろう。
そんな時代を生き抜いた父の世代は強いと思う。
祖父(父の父)はそうめん会社というかそうめん工場を経営していたが、博打好きである日全財産を花札に賭けた。
そして全てを失った。
工場、家、家財道具、祖母の指輪までなくしてしまった。
子供だった父はその翌日、隣にあった鶏舎に移った。
鶏舎に家族7人が住めるほどだったのだから、大きな建物ではあったらしい。
祖父は他の仕事を始めて、数年後には極貧から抜け出したようだ。
が、父はそういうルーツを持っているので逆境には強い。
今の父が逆境にいるとは思わない。
父にとっては一番安心できるホームにいるのだし、娘が毎日通って来る。
父が不安定になる午後はスタッフが一緒に運動してくれたりする。
作業療法士が今の週2回のリハビリとマッサージを、これから週3回に増やせるかどうかも、話し合ってくれている。
来年の送り火の頃、父は生きているのだろうか。
認知症が進行して桃源郷で生きているのだろうか。
それともまだまだ不安症状などが出ることもあるのだろうか。
父が桃源郷に行く前にもっともっと話をして、もっともっとおいしいものを食べさせてあげたいと思う。
戦争を体験した父に、最後は幸せだと感じさせてあげたい。
逆境を経験していない息子たちにも、戦争体験世代が培った強さを持ってほしいといつも思う。