1週間前に京都に帰って以来本当に忙しい。
実家の工事の相談、見積もり、不動産業者による査定、父のホームでの担当者カンファレンス、父の歯医者さんとの相談などなど。
毎日予定表がビッシリと詰まるほどだ。
それでも父の世話は介護とは言えないだろう。
以前にも書いたが、4年前に亡くなった母の介護は大変なものだった。
四肢麻痺(右手に少しだけ機能が残っていた)で眼も見えなかった母は、寝返すら打てなかった。
昼夜逆転していたので、夜中は15分おきに起こされることも多かった。
24時間誰から横にいないといけなかったので、家族が交代で介護した。
母を1分以上一人にすることはなかった。
夜中に汚れたシーツやパジャマを総取り替えということも多かった。
それでもアルツハイマー患者や、他にも大変な介護を在宅でしている家族は多いだろうし、うちだけが特別に大変だったとは思わない。
ただ母はとても明るい人だったから、家の中はいつも笑いに満ちていた。
母の死後悲しみが薄れて行くのと同時に、母の思い出も薄れて行く。
母の死の少し前にアルツハイマーを発症した父のことは、記録に取っておきたかった。
父が壊れて行く姿を見つめるのは、家族にとっては悲しいことだ。
が、父のためにも書いておいてあげたかった。
母の介護を42年間した父が、家族と別れるまでの姿を残したかったのだ。
毎日忙しいが、家の片付けもしている |
京都のゴミ持ち込みセンターに家庭ゴミをたくさん持ち込んだ 100㌔以下なので1000円 |
洗面所の床下は水漏れ 来週はパイプ工事 |
父は日々変化している。
ある日の父は車椅子に座って飲食できる。
が、翌日の父は殆ど寝ていて何も食べない。
時々幻覚があるようで、部屋の中で風が吹くと言ったり、壁を見て手で何かを払うようなそぶりをする。
今回の微熱は尿路感染症から始まったものらしい。
高齢者にはよくあることなのだ、とホームの園長さんに聞いた。
園長さんは元看護師さんなので、話してみるとなるほど、とうなずくことばかりだ。
父の今の状況は回復しつつはあるが、それでも年齢が年齢だけにいつ何が起きるかわからない状態ではある。
嚥下がむずかしくなってきているので、肺炎を起こして死ぬ可能性もある。
あるいは、飲食がむずかしくなって、段々枯れて行く可能性もある。
それでも最後までホームで暮らさせてあげましょう、と話す。
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どこのホームも同じように、スタッフの中には有能な人がいれば、そうでない人もいる。
これはどんな職場でも同じことだ。
が、このホームのスタッフは皆優しい。
それをつくづく感じると園長さんが言う。
最初の頃、余りにもお粗末な対応にイライラすることもあった。
今でもある。
それでもスタッフはいい人たちなのだ。
父を病院に連れて行って、看護師さんの態度に憤死しそうになる時、今のホームのスタッフがいかに優しい人たちであるかを再認識する。
父を連れて行った3軒の病院でそう思うことが多かった。
良い病院はたくさんあるのだろうが、少なくとも父を連れて行った病院に関しては、こんなところで父を死なせたくない、と思う。
母の死は突然だった。
医療過誤で寝たきりになった母の最期は、脳出血で入院中私の目の前でまた起きた、医療過誤が原因で亡くなった。
主治医から謝罪はあったが、余りにもあっけない母の死だった。
父の死は違うだろう。
人間の終末はこうして訪れるのだなあと納得できる。
91歳の父はいつも自分の健康についての不安を過度に抱えていた。
アルツハイマーを発症してからは特にそうだ。
が、同時にアルツハイマーだからこそ、その不安も曖昧になっていくのだろう。
今はとにかく家族とホームが連携して、父に穏やかな死を迎えさせてあげよう、と思うだけだ。