まず、まとめてみると突然の変化はこういう風に現れている。
37度台の微熱が続いたあと昨日は8度6分。
突然色んなことがわからなくなった。
腰が痛いとベットから起きなくなった。
うがいをしよう、とお水を口に入れると飲み込んでしまう。
話が通じなくなった。
食事を余りとらなくなった。
万歳はできる。
じゃんけんもできる。
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10/1のわいわい広場では、うつむいてはいたが 一応参加できていた |
娘は認識できる。
先週の父はわいわい広場にも行き、普通に会話ができ(時々意味不明なことは言っていたが)、食欲もあったのだ。
ところが4日ほど前から微熱が続きうわごとのようにつぶやき始めた。
会話が成り立たない。
が、姉が行っているのはわかる。
私のこともよく聞くようだ。
食欲が落ち食堂に行って食べられなくなった。
昨日姉がホームに行くとMさんが父の部屋のテーブルで、椅子に座らせて食事介助をしてくれていた。
このMさんとSさんが担当の日は安心していられる。
Mさんは40代中盤、Sさんは20代だろう。
この二人が担当の日、父の部屋にはちょうどいい温度のお茶がポットに淹れてある。
トイレの介助もしてくれているので、ズボンが濡れていない。
何よりも時々父に声かけをしてくれる。
夕方父に会いに行くと穏やかな表情をしている。
この二人はずっと動き続けている。
それも入居者のことを思ってケアをしてくれているのがわかる。
他のスタッフも『安いお給料でこんなに働いて大変だなあ』と思うほど忙しそうだ。
が、どんな仕事にもできる人とできない人がいる。
MさんとSさんはできる方の人たちだ。
Mさんが夕べ父の食事介助をしてくれていたのは、ベットで食べることを続けると寝たきりになることを心配してくれたからだ。
食事の途中で父がトイレに行きたい、と言う。
食事を中断してMさんが父をトイレに連れて行ってくれる。
本当に大変だ。
夕べの父は食後うがいをさせようとしても、できなかった。
クチュクチュパーと見せるとやっと理解できる。
Mさんも父のあまりの変り様にびっくりした。
食事も摂らなくなった、話も通じなくなった。
脳に何かあったのかもしれない、と相談員に話してくれたらしい。
が、話が通じる時もあり、万歳もできる、憎たらしいことも言う、じゃんけんもできる。
麻痺もないので、看護師と相談して休み明けに受診が必要なら病院に行くことになった。
3日前にも受診して血液検査と胸の検査をしたが、異常はなかった。
血液検査では一つだけ数値の高かったものがあるので、抗生物質を服用している。
父に何かがあっても、今は大型台風が来ているのですぐには駆けつけられない。
飛行機が飛ばない可能性が大きいからだ。
将来、父の死に目には会えないかもしれない、と考えておいた方がいい、と姉は言う。
そうなのかもしれない。
しかし、親の死に目に会うということはそんなに大切なことなのか、と考えてみる。
そうは思えない。
母の時は姉と二人で死に目に会えた。
父は42年介護したのに母の死に目に会えなかった。
しかしそのことに『かわいそう』という気持ちはなかった。
心の整理をするためにも、死に目に会うべきだったのか。
そうとも思えない。
42年間そばにいたのだ。
それで充分だったのではないか。
それでも父が死ぬかもしれない、と思うと涙が止まらない。
こんな状態だと、実際父が死んだあと立ち直るのが大変なのではないか、と今から心配になる。
とりあえずいつでも日本に行けるように準備を始めた。
さすがにまだ身体はだるい。
先週こちらに帰ってからまだ1週間がたってないのだ。
睡眠に関しては時差ぼけはしていない。
帰って来た日から夜はよく眠れるし、朝も7時から8時には目が覚める。
それでも今すぐ日本に飛べ、と言われると身体がもたないなあと感じる。