姉はホームに毎晩行く。行くとズボンのチャックが開いたままの父がいる。もう自分では閉めることができないのだ。女性スタッフがいると閉めてくれる。が、男性スタッフはそこまで世話をしてくれない。やはり気が利くのは女性なのだ。
それは仕方ない。父のようなむずかしい人をホームでケアしてくれるだけでも、家族としては感謝しないといけない。それでもやはり気になる。父を家で介護してあげられたのではないか、という気持ちがいつもある。父にかわいそうな仕打ちをしているのだろうか、と思ってしまうからだ。姉も同じ気持ちを持っている。
一昨年の夏祭り |
それでもデイサービスに通いながら、父は一応穏やかに暮らしていた。2年前に肺炎で入院するまでは。人工呼吸器をつけるかどうか決めておいてください、とまで言われたのに父は奇跡的に回復した。でも、それから悪夢のような日々が始まった。
去年の夏祭り |
肺炎で入院していた病院の認知症患者の病棟が父を受け入れてくれた。が、そこでは父は趣味のメモ帳や鉛筆などを持つことも禁止された。重度認知症患者の手に入ると危険だからだ。父は一日中何かを書き付けている人なのだ。それでは人生の楽しみがない、と言うのでその後介護老人保健施設に移った。そこでのリハビリを父はとても楽しみにしていた。自分が他の誰よりも熟語、漢字を知っていると、リハビリ療法士に言われるのが嬉しかったからだ。
去年の今頃個室に移った |
個室のある介護老人保健施設に移った。ここがスタッフは一番すばらしい人たちが揃っていた。その上食事も品数が多いしおいしそうだ。毎週火曜日にある音楽療法の時間も父は楽しみにしていた。しかしここにも長くはいられなかった。薬と場所が一番大きな問題だった。介護老人保健施設では今まで使っていた薬は使えない。漢方薬も使えない。場所も山の上の寂しい場所にあり、車で通うしかなかった。真冬は道も凍ることもあり、夜通うのは大変だった。
そんな時今のホームに入居が決まったのだ。今父はデイサービスで通っていた施設Kのカラオケ、最初の介護老人保健施設Aのリハビリ、次の施設Bの音楽療法を思い出し、Kに帰りたい、Aに帰りたい、Bに帰りたいと時々言う。家に帰りたいと言わないのがかわいそうだ。家には帰れないと思っているのだ。
理不尽なことばかり言う父だが子供に対する愛情は強く、子供に迷惑はかけたくない、お金を少しでも遺したいと思っている。貧しい時代を生き抜いて来た人なので、百円のお金を惜しむ。それがわかっているからこそ、父が死んだあとは父の理不尽な部分よりも、姉や私に対する愛情ばかり思い出すのではないだろうか。
父が死んだら、ホームの隣にある駅を通過する電車には乗れないなと思う。
駅から見たホーム、3階右端が父の部屋 こうして離れて父を想うと いい所も思い出せるんですね |