最初の数ヶ月のように毎日父のことを考えては泣く、ということもなくなってきた。
なのに、こうして父の最期の頃のことを書くと、父が懐かしくてたまらない。
父に会いたい。
6月7日。
姉の職場に看護師Aさんから電話がある。
やはり父はあまり食事を摂らなくなったらしい。
5月20日以降完食の日がない。
体重は1ヶ月で2キロ減って、今日現在38.9キロということ。
エンシュアを処方する。
職場を早退した姉が、カレーとソフトクリームを持って夕方5時半に父を訪問すると、父は部屋で寝ていた。
食事に行こうと誘っても『しんどい』といやがる。
なんとか説得して歩かせたが、部屋の前のソファで座り込んでしまう。
そこに食事を持ってきて食べさせようとしたが、父は食べない。
部屋に戻って食べさせたが吐き出してしまう。
お茶も詰まると吐き出す。
バナナも吐き出す。
汚い、という不安もあるらしい。
ホームでは、甘い栄養補助食品などを足すなどの工夫をしてくれている。
頭が痛いし胸も痛いというので看護師さんに来てもらうが、熱が37度ある以外には特に問題なし。
血圧は低めでいつも通り。
酸素濃度も大丈夫。
水分も摂らなくなって脱水状態になった場合、点滴が必要となってもホームではできない。
その場合は入院する必要があると看護師さんから説明がある。
でも、本人にとってそういう治療は居場所を変わるストレスを考えると、施設で見守る方が本人にはいいのではないか、ということ。
父は姉がいると落ち着くなあと言うので、姉は2時間いて7時半ぐらいに部屋を出る。
出る時に、今日は食べてないよと父に言うと突然目が覚めたように『ほんと?頭がどうかしとったかなあ』とつぶやく。
この日の夜、牧野君が電話してきてくれる。
父が8時頃になって急に食堂に出てきて食事すると言ったので、姉が預けていた区分4のすき焼きとご飯を出したら食べた。
『お父さんにとっての食事の時間だったのかもしれないですね。』
姉が心配しているだろうと思ってかけた、というのを聞いて、姉は泣いた。
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これを聞いて私も6月中に日本に行くことを決めた。
これを聞いて私も6月中に日本に行くことを決めた。
5月の初めに帰国したばかりだが、やはり心配だ。
ちょうど奥歯のブリッジを作ってもらっているところで、仮歯では行けない。
ブリッジが出来上がるのは6月16日。
17日のフライトに乗れるとしても10日後だ。
姉から父の様子を撮った動画が送られてくる。
それを見ると、父は5月に私が見た時とほとんど変わらない。
長丁場になるかもしれない。
だから仮歯のままでは行きたくなかった。
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