大体サンノゼの家で2週間過ごし、サンフランシスコに火曜日辺りに来て金曜日にまた帰宅するというパターンが多い。
サンフランシスコでは徒歩圏内で色々と遊べるので、運動不足を解消するべくてくてくと歩く。
今日は右端に見えるフェリービルを目指して雨の中をひたすら歩く |
こんなに雨の多かった冬も記憶にないほど今年はよく降った |
突風で傘を持っているのも大変なほどの今日のサンフランシスコ |
こうして歩いている時は必ず日米を往復していた頃のことを思い出す。
どうして去年の5月にこちらに帰ってしまったのか。
私が帰国した数日後5月8日の姉からのメールには、不快な感情を訴え続ける父に腹が立つとあった。
父に憐れみよりも怒りを感じるということだ。
私のようにたまに日本に行くのであれば、姉だって父に怒りの感情は持たなかったかもしれない。
その頃の私は介護往復をしていても、100%の悲壮感はなかった。
カリフォルニアに帰れば友人とご飯を食べに行ったり家族で集まってパーティをしたり、と楽しい毎日だったのだ。
そんな時でも父のことは頭の片隅にあるし、いつ日本から突然父が危篤だという電話があるかもしれないと考えてはいた。
が、やはりこちらにいる時はリラックス感が違う。
姉は完全にリラックスできる時がもう何年もなかった。
ホームでもスタッフは父に一番手がかかっていたはずだ。
父の棟の入居者の中では父の認知症が一番軽かった。
なのに、不安をいつも抱える父は事あるごとにスタッフを呼びつけていた。
こういうカフェでぼーっと一人で座って完全にリラックスできる状態が姉にはなかった いつ何時ホームや病院から電話がかかってくるかわからない状態が15年以上続いたのだ |
この日の父は姉が何を話しかけても楽しそうにするわけでもなく、ひたすら不快感を訴え続ける。
貴重な週末の時間を、自分を長年苦しめてきた親のために潰さないといけないのか、とやりきれない気持ちになった姉。
姉からのメールの最後には、もうこれからはあまり(ホームに)行かないと思う、とあった。
このことは姉も父の死後何度も思い出しては苦しんだらしい。
姉には、それは当たり前の感情だから仕方ないし、そんな風に考えなくてもいいと思う、と言えるけど、自分には同じことが言えない。
なんでもう少し父のそばにいてあげられなかったのか。
一日も早くカリフォルニアの自分の家に帰りたくて仕方なかった。
なんて自分勝手だったことか。
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