そもそも私が初めて渡米した1979年4月はもう雨季が終わったあとだったのに、まあ毎日雨が降ること、降ること。
6月13日の早朝、眠れなかったのだろう、姉から5時台にメールが来る。
万が一のために、母のお葬式を頼んだ業者はここ、とリンクが貼ってあった。
でも、この時は姉も私も父が数日後に死んでしまうとは思わなかったし、猛暑の京都で父をどういう形で訪問するかとそればかりを考えていた。
夏に父を訪問するには体力を残しておかないといけない。
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6月12日、夕方行くと村田さんとSさんが勤務していた。
このSさんは20代の女性だが頼りになる。
父が朝も昼も食べなかったという報告。
夕食はちょっとだけ食べた。
痩せてきているが肌のツヤは良い。
水分は一旦飲み込むがほとんど吐き出す。
Sさんが、『うがいと間違えてはるんやろか。』と言う。
姉は父の性格の問題だと思う、詰まるのが怖いのだろうと答えた。
特筆すべきは、村田さんがご飯を食べようと布団をはがしズボンを直してくれた時、父はくねくねして「恥ずかしい」と言った。
部屋に戻った時村田さんが布団をかけてくれたら、今度は足を高くあげて布団を蹴ってみせる。
父は足を高く上げる事ができるのが自慢なのだ。
きれいな人にはいまだ反応するのか、と姉は感心する。
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父はおしゃべりな人だった。
父が認知症になるずっと前から私は毎週1度は父に電話して話していたものだが、30分ぐらいはあっという間に過ぎる。
父とはいくらでも話せるのだった。
父は引き出しの多い人だったのかもしれない。
でも、夫に引き出しが多いのもどうだろうか、と思い始めたのも事実。
イギリスのYさん『サプライズばかりの引き出し男は疲れそうで、私にはもう(対処する)エネルギーがない。』というご意見。ごもっとも。
シリコンバレーのSさん『女性と同じような引き出し数を持ち、繊細で頭も良い芸術家と付き合ったことがあるけど、それはそれでめんどくさかった。繊細過ぎてわがままで。』というご意見。ごもっとも。
シカゴのMさん『うちにも引き出し持ってないのが一人いるけど、私のする事にな〜んにも文句言わないのでなんとか結婚生活を維持できる。』ごもっともごもっとも。
結論。
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