どうしても日中ウトウトすることが多く、夜寝られない。
母もそうだった。
日中はウトウトし、夜はラジオで深夜便という番組を好んで聞いていた。
母は落語も好きで夜一人でクスクス笑っていた。
泣き叫ぶほどの足の痛みは、ある病院で受けた痛みをブロックする注射で劇的に治ったのだ。
勿論ある程度の痛みは相変わらずあるのだが、それはマッサージしてあげたり、2リットルのペットボトルにお湯を入れて両足の外側に置いておくことで軽減した。
基本的には我が家は皆冗談が好きでおしゃべりなので、笑いは絶えなかった。
が、父は自分が不安になると周りの人間を責める、という人だ。
例えば母はこの頃自分で採尿することはできなかったので、家族がするのだが尿の量を毎回測っていた。
尿量が少ないと腎臓の機能不全になる可能性があり、飲む量と尿量を家族で管理しなければならない。
排尿の間隔が5時間空いてしまうと、父はパニックを起こして看護師さんに電話する。
何度も何度も電話する。
そして充分な量の飲み物を飲んでいない、とベッドから動けない母を責める。
排便のためにセンナという漢方薬を煎じて、2日おきに飲むのだが、それは毎回大変なことだった。
コップ1杯のセンナを、嚥下困難のある母が飲むのも時間がかかるのだが、翌朝スムーズに排便があるかどうかが問題だった。
スムーズにいかない時、父は『落ち着きなさい。ちゃんと出ないと困る。便器が痛くても我慢しなさい。』と母のベット脇で呪文のように唱え続けるのだ。
骨ばかりの母のお尻に、長時間の便器は痛い。
母が痛い痛いと泣いても、父は痛みは精神的な問題で、母が我慢できないことを責める。
勿論父には、母を責めているという感覚がない。
だから、姉や私がそのことを注意してもどうにもならない。
今度は私たちを責めるだけだ。
そういう時父は『あんたはおかしい。どうかしている。』と相手の人格否定をする。
そういう父と相対していると、こちらの精神的バランスが崩れてしまうので、父のそばから逃げたくなる。
だが、そこから逃げられない母がいる。
母を守るためには、父を受け入れるしかないのだ。
それに、そんな父でも基本的には母の介護をしているのだ。
普段働いている姉は帰宅後母の介護をするが、日中は父が介護し、夜中も父が母の隣で寝て何度も起きないといけない。
センナを飲んだ翌日、母は一日に数回排便することもあった。
それは昼も夜も関係なかった。
80代の父はそれを文句も言わずに片付ける。
下半身が麻痺している人間のケアは大変だ。
それは重労働で、特に真夏の暑い日は途中で何度も中断して息継ぎが必要なほどだった。
父が母を清拭しながら、何度も天を見上げて呼吸を整えていた姿は忘れられない。
夜中に母の寝間着が汚れて、下着から寝間着、ベットのシーツまで総替えしないといけないこともしょっちゅうあった。
が、そんな時父は決して娘を呼んで『手伝え』とは言わないのだった。
家族に対する愛情は人一倍あるのだ。
翌朝母の寝間着やシーツが全部新しいものに替わっていて、汚れたものが洗濯室に置いてあることも頻繁にあった。
つまり父のモラハラ発言は悪意からではなく、無視するしかないのだが、それでも人格否定をされた時は怒りで目の前が真っ暗になる。
しかしそんな父の発言や行動はもう忘れるしかない。
過ぎ去ったことだ。
今日は残りの人生の最初の日なのだ。