2016年1月22日金曜日

介護地獄

母が亡くなってから5年半が過ぎ、母のことを思い出して泣くことはなくなっていた。



懐かしく思い出すことはあっても、胸が詰まるような悲しみではない。




なのに、母のことをここに数日間書いたことで、悲しみはぶり返した。



日誌を読んだことで、母がまた戻ってきてしまい涙が止まらなくなってしまった。



悲しみというよりも、もう二度と母には会えないんだという切ない気持ちだ。



それはとても苦しいもので、これを書いてなかったらそういう感情は戻ってきてなかっただろう。



だが、きれいごとは言いたくない。



母は懐かしいけど、介護地獄という言葉があるように介護は本当につらい。



あとで思い出すと密接な時間を家族と持つことができた、と思えるいい面は確かにあるが、介護している時は本当に本当に辛い。



何しろ先が見えないし寝られないしで、なんでこんな思いをさせられるんだ?と親のことが恨めしくなったりもする。

突然ですが、京都駅の上りホーム10号車付近になる
スタンドのカプチーノはおいしいです



友人からメールが来た。



日本のご両親が電話代を使わなくていいようにスカイプを設定してあげたら、しょっちゅうかかってきて大変!だそうだ。



それで思い出した。



私も遠距離介護をしていた頃、アメリカにいる間は毎週金曜日と土曜日にスカイプをしていた。



アメリカの金曜日、つまり日本の土曜日は父が一日出かけるので姉が介護を担当する。



姉がスカイプカメラを母のベット脇につけて、私の方は家の書斎で2時間から6時間ぐらいカメラの前に座ってしゃべっていたのだ。



日本の日曜日は姉が出かける。



出かける前あるいは帰ってきたらスカイプする。



もしくは皆が用事をしている間、私はスカイプのマイクを使って母に本を読んであげる。



母が寝ていたらカメラで母が大丈夫かどうか看視して、起きたら姉にメールして伝える。



とにかく母には誰かの目が24時間ついてないといけない。

今日の父
最近しゃべる時唇がしっかり閉まらず
何を言っているかものすごくわかりにくい



スカイプでは賑やかに笑い声の入る会話をしているので、アメリカの家族は私が日本の家族と話したくてじっと座っている、と思っていたことだろう。



苦痛ではあったが、それが日本にいない私のせめてもの介護だったのだ。



今になって胸が痛む。



あの数年間、毎週末子供たちともっと何かができたかもしれない。



子供はあっという間に家を出てしまったのに。



でも、それが介護というものだ。自分の都合は優先できない。




正直母の死は悲しいながらも、ホッとした気持ちが全くなかった、と言えば嘘になる。



それほど介護は肉体的にも精神的にもつらい。



今父の介護はホームに任せているから、ホームに行っておしゃべりをしてあげるだけだ。



勿論ついこの前までは父の幻覚症状で介護地獄もあったが、今は比較的穏やかな状態だ。



このままずっと続いてほしい。



多分そううまくはいかないと思うのだが。



ところで、最初の写真だが何故今朝新幹線のホームにいたのか。



実はういろを買いに名古屋に行ってきたからなんです。



下の写真は米原。

また始まった
レールパス地獄