2016年1月3日日曜日

母が発病した頃

母が発病したのはちょうどアポロ11号が月面着陸のニュースで世界中が湧いていた頃だった。その時私は中学1年生。母のことは心配だったが、自分の世界のことで頭は一杯で母の病気の深刻さは理解していなかった。

裕福な家庭で育った母は、親の決めた結婚相手がどうしても生理的に受け入れられず、仮祝言の前日に父の元に逃げて来た。当時母は父の経営するタイプライター塾の助手をしていたのだ。その時母は20歳。父は27歳。

母(左)が28歳ぐらいの時の写真
その日から母は父の両親の家に住み、数ヶ月後結婚した。父は何度も転職し母が家計を支えた。そんなストレスからか、母はお腹を壊すことが多くなり、受診した病院で消化機能を助ける薬を処方された。ところがこの薬は外国では劇薬として使用を中止されていたが、日本では厚生省が認可していて、全国の病院ではまだ使用頻度の高い薬だったのだ。

服用を続けることでどんどん症状が悪化し、母はお腹が硬い、とカチカチになった腹部をさすりながら痛がっていた。受診すると、では薬をもっと増やしましょうと大量に投与された。毒を飲むことで具合が悪くなっていくのに、その症状を緩和するために医者からはもっと毒を飲みなさいと言われ、毎日せっせと服用したわけだ。当時の母はいつも具合悪そうにしていたので、小学生の私は台所から朝お料理をする音が聞こえてくるとホッとしたものだ。

が、そのうち遂に血便が出始めて、母は入院することになった。病院では引き続き同じ薬が投与される。同じ薬を長期投与することの副作用に関しても意識の低い時代だったのだ。この頃の母は治療のためステロイド剤を服用していたため、ムーンフェイスという副作用で顔がまん丸になっていた。苦しさのため何度も病院を抜け出して帰ってきては、やはりこれでは治らないとまた戻っていくのだった。

病院で母は38歳の誕生日を迎えた。痛みは全身に広がり始め、あまりの苦しさに3階の病室から飛び降りることを考えたこともあったらしい。後に母はよく笑いながら言ったものだ。『病室の窓の下にサボテンがあったのよ。で、あのサボテンの上に落ちたら痛いだろうな、と思って飛び降りるのはやめたわ。』と。

しかし、その頃12歳の私は本当に自分勝手だったらしい。今思い出しても母のことを心配する気持ちよりも、学校での楽しいことしか覚えていないのだ。テニス部に入り放課後練習をすることが何よりも楽しかったのと、当時人気だった『宇宙大作戦 (Startrek)』の誰がいいか、などと友人たちと楽しく話していたことしか思い出せない。

ちなみに友人たちは全員キャプテン・カークのファンだった。私一人がスポックのファンだった。そうか、今改めて確認できた

子供の頃からショーユ顔ファン