2013年6月20日木曜日

父は壊れたのか

今朝は10時までに父の所に行こうと早足でホームまで歩いた。歩いている間も携帯に電話がかかってくるのではないか、と気持ちがはやる。ホームに入った所で相談員のマネージャーが走りよって来る。父の様子をかいつまんで話してくれるが、結論は何なんだろう。結論はないのか。ホームにはいられない状況ですよ、と言われているような気がしてならない。

3階に上がるとスタッフが「お父さんはまだ寝てはります。朝ご飯に起こしても熟睡されていて、看護師もそれならゆっくり寝させてあげてください、という指示やったんで。」と言う。部屋に入ると父は真っ暗な部屋で熟睡している。隣でスタッフと話していると覚醒してきた。



目は朦朧としている。それでも起きて朝ご飯を食べたら?とうながすと起き上がって、こんなに遅くまで寝ることは滅多にないのに、と何度もつぶやく。自分で入れ歯を洗ったりして、一応まだ身の回りのことはできるのだな、と安心する。朝食を摂りながら話しかけるとぼんやりとではあるが、普通の受け答えもできる。

食後ベットにまた戻って思い出話をする。小学校の向かいの砂田家は私の同級生か姉の同級生か、などという話から始まり、隣の家は森下さん、その隣が池田さんという話などをして盛り上がる。良かった、記憶もしっかりしているし和やかな会話ができるとホッとした。

今日は1時に森先生の診察があるけど行けそう?と聞くと「とてもとても行く元気がない。今日は休みたい。」という返事だ。そして段々とまた朦朧とした表情になっていく。その目には活力もなく全く6週間前に見た父と違う。



そのうちつぶやき始めた。どうも自分がおかしくなっていくようで怖い。皆で凶暴なことをしようとする。夕べも車に暴力的に押し込まれて病院に行った。どうしてもそう思えて自分がおかしいのか、それとも本当に起きたことなのかわからない。それが不安になる。本当なら警察に行かないといけない。

それは幻覚。幻覚を見るのは突然暑くなったからで、そのことで森先生とまた話すために今日も行って診てもらおう、と話しても父は勿論納得しない。その間も姉に逐一報告するメールを送る。姉はどうも薬と関係あるような気がしてならない、と夕べから言う。私もずっとそう思っていた。余りにも去年の父と同じ顔だ。

実は1年前父が肺炎で入院した時生死をさまよったが、その後回復して退院したいと騒いだ時、父は精神安定剤を処方された。翌朝病院から電話がかかってきた。すぐ来てください、お父さんが家に帰ると玄関に座っておられます、あと何分で来れますか?と差し迫った声だった。

病院に駆けつけた時父は目をむいて、父を押さえつけようとする看護師さん2人を振り切りながら、「ああ、やっと来てくれたか、聞いてくれ、この人らがぐるになってワシを帰らさんようにする。ひどいでぇ。この人らは。」とアドレナリン全開という顔をして、顔には狂気が表れていた。こんな父は見た事がない。余りのショックでワナワナと震えた。

後にこれは前夜服用した精神安定剤が原因とわかって、医者からの診断書にも、処方薬によりセン妄状態に陥ったという一文があった。その時とまるで同じ様子なのだ。父の激変はこのセン妄状態の時とあまりにそっくりで、どうしても認知が進んだ状態とは思えない。

今朝相談員マネージャーと話した時に、今日の森先生の診察の時、ホームで処方された薬のリストを持って行きたいと言っておいた。それをマネージャーが部屋に持って来てくれた。その薬の名前を姉にメールで送る。姉が調べて返信してきたのは一つの薬が抗不安剤だと言うことだった。これを6月初旬から飲んでいる。これに関係があるのではないか。


今日は話しているうちにまた落ち着いて来た。1時近くになったので昼食を部屋で食べる。食べている間に父のベットを整えようとしたら茶色いシミがあるのに気がついた。スタッフに声をかけて見てもらう。スタッフはすぐシーツを交換します、と二人でてきぱきと交換してくれる。30歳前後の男性スタッフが父に「パジャマも交換しましょう。もしかしてそちらも汚れてるかもしれへんしねえ。」と優しく声をかけるが、父は拒絶する。こういうことも初めてだ。いつもの父なら「お手数かけてスミマセンねえ。」とにこやかに言うのだ。

部屋にいたくない、1階に行こうと父が言う。それなら気分転換になるかもしれない、と一緒に部屋を出た。スタッフが追いかけて来る。あちこちに行く前にパジャマを交換しましょう、と言う。それはそうだ。父にまず交換しよう、と声をかけても父はいらん、いらん、と気難しく拒絶する。スタッフはそれならいつもの目薬をさしましょう、と父に声をかけるが父はそれも激しく拒絶する。スタッフはそれでも「毎日の目薬ですよ。」と言うが父はもっと激しく拒絶する。

父お気に入りの輪ゴムかけ・・・なのか?

申し訳ありませんが夜にでももう一度試していただけませんか、と私が言うと「はい、わかりました。」とにこやかに返事がかえって来たが、スタッフもこれでは父を持て余すだろう。父はどんどん険しい表情になっていく。1階に行って二人でボーッと座ってようか、と提案すると「あんたまでぐるか。あんたが帰って来たら頼りになると思ったのに、あんたまで一味か。」と言う。

しばらく一緒に3階の廊下で座っていたが、もう身体が持たないと感じたので、父に「もうそろそろ帰るけど。夕べ帰国したばっかりで時差ぼけもあってしんどいし。」と言っても父は目が据わった表情で、「ワシを一人残して行くんか。ここで消されてしまう。怖い。」と繰り返す。普段の父は娘の体調を一番気にして、どんなことがあっても「体調が悪い」という娘には「すぐ帰りなさい。もう来なくていいから。」と言うのだ。

それでも30分かけて1階に一緒に降りた。それまでには寒いと言い始めたので、パジャマの上からズボンをはかせた。1階でも「教えてくれ。なんでワシが突然邪魔になったんか。なんでワシを消したいんか。」と言い続ける。誰も消したいなんて思っていない、長生きしてほしいと思っているよ、と穏やかに話しかけても、なんでこんなことになったか、と父は言い続けるだけだ。

これは認知症が進んだということなのか。それにしてはどうして段階的に進んだのではなく、6週間前と激変しているのだろう。

一緒に自動販売機に行って飲み物を買おうと言うと父が素直について来た。ブルガリヨーグルトドリンクがほしい、と言う。買ってソファに戻ると父はこんなのがほしかったわけではない、もっとすっきりするのがほしかった、と怒り始める。こんな父も初めてだ。これもおいしいから飲んでみたら?と言っても、アクエリアスをすぐに買いに行ってほしい、と不機嫌に言い続ける。

そのうち父はトイレに行きたい、とトイレに向かった。後ろから追いかけて行く。中から職員が出て来たのを見て父は恐怖に顔がひきつる。もう行けないとソファに戻って来て座った。トイレはいつも使っている3階のに行く?もう帰る?と聞いても絶対帰らない。どうして脅迫するのか、と言い始める。

姉に、もう対処できない、病院に連れて行こうとメールした。姉は、病院に『ちょっと遅れたけど今から連れて行ってもいいか』と問い合わせてからそちらに行く、と返信してきた。父はトイレに行きたいようで、何度もトイレに向かうが恐怖でどうしても入れない。その度にまたソファに戻って来る。

30分ぐらいそうしていたが我慢できなくなったのだろう。3階に戻ることにやっと同意した。エレベーターに一緒に乗ることにした。ところがエレベーターのドアが2階で開いた時、乗って来ようとしたスタッフを見て父が恐慌を来す。エレベーターから出ようとする。スタッフがにこやかに「すみません、一緒に3階に行かせてくださいね。」と声をかけると、父はドアを必死で閉めようとボタンを押す。父の身体にセンサーが反応して警告音が鳴る。警告音の中父はエレベーターから降りてしまった。

そこにあったソファに二人で座って話していると2階でお世話になったスタッフが通りかかった。スタッフはニコニコと父の顔を見て、「薬なんじゃないですか。いくらなんでも激変していつもと全く違いますもんねえ。」と言う。やはりそうなのか、と少し安心する。そこに姉が来た。姉が父に優しく言い聞かせようとする。それでも父は動かない。

そこに今度はホームの園長さんが通りかかった。園長さんは父に優しく話しかける。まず父が昔していた仕事のことを聞く。父は英文タイプの学校をしていたことがある。戦後すぐそんな英文タイプの学校を開こうと思われたなんてすごいですねえ。英語の映画も字幕なしで見たりしてらしたんですか、と聞く。父の顔が段々ほぐれて行く。いやあ、今は無理です、と言う。実際は今も昔も無理だが。


園長さんは佐世保出身でアメリカ兵とかもいたんですよ、と父の興味のありそうなことを話してくれる。父の表情が段々柔らかくなっていく。これなら大丈夫そうだ、と姉にあとは頼んで帰ることにした。朝10時から父に6時間付き合ってもう身体がもたないと感じたからだ。

夕方6時頃帰って来た姉は、あれから父は落ち着いて2階に行って親しかった入居者と話したり、目薬も「はいはい、お願いします。」と差してもらったりしたと言う。いつもの父だ。明日は森先生の所に診察してもらいに行く?と聞くと「そりゃ行こう。」と明るく返事したらしい。

森先生にホームで処方されている薬のリストを見せて診断をあおぐつもりだ。果たしてこれは薬のせいなのか、それとも認知が進んだのか、早く知りたい。