私は数年前から母の介護のために日米往復をしていて、その夜姉と一緒に母のベット脇でおしゃべりをしていた。
母の手を握ったまま、姉が私の顔をじっと見ながら口パクで言った。
『手が動いてへん。』
母の左手は全く動いていない。
当時母の主治医は次々と変わっていた。
姉が必死で見つけて来る良い先生も、父が何か問題点を見つけては『もうあの医者はダメだ。』と切ってしまうからだった。
せっかくいいお医者さんなのに、と姉と私が説得しようとしても、父は『親のことだと思って無責任なことをするな。』と娘の言うことに一切耳を傾けない。
父が望む医者は、他の患者よりも37度の熱がある母を優先して駆けつけてくれる医者だ。
そしてそんなお医者さんは勿論いない。
その頃母は前の脳梗塞の後遺症のために唇の動きが悪くなり、会話がむずかしくなっていた。
大阪にいる義妹に電話しておしゃべりするのが大好きだったのに、母の発語は誰にも理解できなくなってしまった。
すぐに主治医に往診してもらったが、主治医はどうしていいかわからず、母の手を握って励ます言葉をかけるだけだ。
1時間が過ぎても、主治医は世間話をしながら母の手を握ったままだ。
人はいいのだろうが、医者としての決断ができないのは明らかだった。
突然立ち上がって受話器を取り上げて、119を押したのは私だ。
救急隊員が母の目をペンライトで照らし『瞳孔反応なし』と言いながら首をかしげる。
母を見ただけで、母が盲目だとわかる人はいない。それほど母の表情は健常人と全く変わらなかった。
救急車でERに運ばれた母はニコニコしながら、医者の質問に答えている。
そして目を輝かせながらはっきりと言った。
『あら、私しゃべれるわ。』
母が入院する時はいつも個室に入る。
父が夜付き添うことが多いから、女性ばかりの4人部屋には入れない。
入院の手続きは、毎回病院とのストレスだらけの交渉を伴った。
病院側は完全看護だから、付き添いを認めない。
が、母の足を夜中じゅう、立てたり寝かしたりしてあげる家族がそばにいる必要がある。
それは数分に一度のこともある。
そして唾液が器官に詰まらない(しょっちゅう詰まって母はパニックを起こす。起き上がって咳払いをすることができないから、呼吸できなくなるのだ)ように、横に誰かが常についていないといけない。
完全看護でもそれは無理だ。
個室に空きがないその夜、姉と私は4人部屋の前の廊下で寝た。
母がすぐ横に見える場所に座布団を敷いて座り、うとうとと一夜を過ごした。
その日から母の障害は一層ひどくなった。
まず嚥下困難になり、水分も摂れなくなってしまった。
計量カップを買ってきて、今日は一度に2cc飲めた、3cc飲めた、と父や姉と励まし合う。
少しずつ飲む量を増やしていった。
夜は私が病室に泊まり込んだ。
ボンボンベッドというキャンプの時に使うような、小さな簡易ベッドを運び込んだが寝心地は最悪だ。
結局小さなビニール張りの病室に備え付けてある椅子を二つと、テーブルをくっつけてその上にお布団を敷いて寝た。
昼間は隣にある大型スーパーに行って、お惣菜を買って帰宅する。
数時間父と交代してもらうのだ。
家で眠ることはできなかったが、少しでも横になって体を休めたかった。
スーパーでは母が好きな食べ物を見ると、涙があふれる毎日だった。
もっともっとおいしいものを食べさせてあげたかった、母の人生は何だったのか、38歳から寝たきりになってしまって、などなど考えると他の買い物客の目も気にならず、涙はとめどなく溢れた。
しかし、不死鳥のような母は回復し始めた。
お水が50ccほど飲めるようになると、おうどんが食べたいというのにはびっくりした。
それでも本人は必死でしゃべっているのだが、唇がちゃんと動いていない。
ほとんど息だけでしゃべっているようで、何を言っているのかわからなくなってしまった。
そして夜は頻繁に起きる。
その度に採尿器でオシッコをさせてあげては、トイレに捨てる。
これはもう10年以上前からずっと、家族が日夜していたことだ。
母は夜中、1時間に3度ぐらい起きることもある。
その際『足を動かして』と言う母の足を立ててあげる。
が、母の足は全く力が入らないので、そのままでは足がズルズルと伸びてしまう。
だから、砂袋を置きそこに足をかませる。
それでも膝は外にひっくり返ってしまう。
そして、脱げかかったソックスを履かせてあげて、膝のところで互いに持たせ合うような形でくっつける。
その上にリヒカという、お布団が直接足につかないように工夫された器具(父が板で作った)を置きお布団を上からかける。
これが毎回数分かかる。
母が規則正しい呼吸を始めるのを見届けて、簡易に作った椅子布団に寝る。
10分後に母が目を覚まして、足を伸ばして、と言う。
伸ばしてあげる。
20分後に母がオシッコ、と言う。
採る。
捨てる。
これを一晩中続けるのだ。
母が一晩で4度ぐらいしか起きない日は、本当に休めた感じがした。
昨夜はよく寝てくれた、と思うのだ。
新生児と同じことでしょ?気持ちはわかりますよ、と言われたこともあったが全く違うと言いたい。
新生児は数ヶ月すれば夜起きなくなる。
新生児には未来がある。
介護には未来がない。
それが苦しいのだ。
この時点で家に入ってくれていたのは、週一でおしゃべりに来てくれるヘルパーさん一人だった。
週に1時間のみ。
あとは訪問看護師さんが週に1時間。
母のそばにずっとくっついていなくてもいいのは、1週間で2時間だけ。
これでは家族は全滅だ。