2017年2月23日木曜日

7日前 選択肢

久しぶりに朝から晴れた。



近隣のフリーウェイはあちこち洪水で閉鎖されたり、停電が4時間続いたり、とここ数年の水不足とは打って変わった今年の大雨災害。


AT&T Parkを南から見たところ
左に見えるのは地下鉄工事

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6月13日。



姉は職場で父にどういう最後を迎えさせてあげるべきか、とリサーチしているらしい。



私は私で食べなくなった場合はどうしたらいいのか、胃瘻はさせたくない、最期はどういう形で来るのかと調べ続ける。



点滴はせず脱水で朦朧として意識がなくなったら、脳内麻薬のβエンドルフィンが出て心地よいまどろみの中で穏やかな死が迎えられるのだ、と知り二人で入院はさせないという結論を改めて確認し合った。



この日姉が夕方訪問し一日の様子を聞くと、父は発熱したということ。



口の中が赤くなっている。



痩せたせいで入れ歯が合わなくなったせいか、脱水のせいか。



抗生物質が処方されるが父は飲まない。



だからそれだけは点滴で入れたということ。

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ベストセラーになったこんな本もあるようだ。



カスタマーレビューを読むと色々な体験談があり、やはり父が枯れるように亡くなったことは改めて良かった、と思う。



母は脳出血のあと入院し、点滴で生命維持されていたので身体中がむくみ 痰の吸引が続いた。



吸引の時はとても苦しそうにしていたばかりか、最終的には吸引の失敗で窒息し3日後に亡くなった。



その時のことを思い出すと、母への申し訳なさで苦しくなる。



が、母はまだ80歳で身体には生命力が残っていた。



不本意ながらお医者さんには胃瘻を勧められていたろころだったし、少しずつ枯れていくような年齢ではなかった。



だから他に選択肢はなかったように思える。

朝からカフェに行きパンを5つ買ってきた
私にもグルテンフリーダイエットという選択肢はないだろう

2017年2月21日火曜日

8日前 『引き出し』結論

今年の北カリフォルニアの雨は『日本の梅雨x7=うんざり』という感じ。



そもそも私が初めて渡米した1979年4月はもう雨季が終わったあとだったのに、まあ毎日雨が降ること、降ること。



『カリフォルニアの青い空』というイメージはあっという間に崩れ去った。

猫たちもくっついて丸まっている


6月13日の早朝、眠れなかったのだろう、姉から5時台にメールが来る。



万が一のために、母のお葬式を頼んだ業者はここ、とリンクが貼ってあった。



でも、この時は姉も私も父が数日後に死んでしまうとは思わなかったし、猛暑の京都で父をどういう形で訪問するかとそればかりを考えていた。



夏に父を訪問するには体力を残しておかないといけない。

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6月12日、夕方行くと村田さんとSさんが勤務していた。



このSさんは20代の女性だが頼りになる。



父が朝も昼も食べなかったという報告。



夕食はちょっとだけ食べた。



痩せてきているが肌のツヤは良い。



水分は一旦飲み込むがほとんど吐き出す。



Sさんが、『うがいと間違えてはるんやろか。』と言う。



姉は父の性格の問題だと思う、詰まるのが怖いのだろうと答えた。



特筆すべきは、村田さんがご飯を食べようと布団をはがしズボンを直してくれた時、父はくねくねして「恥ずかしい」と言った。



部屋に戻った時村田さんが布団をかけてくれたら、今度は足を高くあげて布団を蹴ってみせる。



父は足を高く上げる事ができるのが自慢なのだ。



きれいな人にはいまだ反応するのか、と姉は感心する。

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父はおしゃべりな人だった。



父が認知症になるずっと前から私は毎週1度は父に電話して話していたものだが、30分ぐらいはあっという間に過ぎる。



父とはいくらでも話せるのだった。



父は引き出しの多い人だったのかもしれない。



でも、夫に引き出しが多いのもどうだろうか、と思い始めたのも事実。



イギリスのYさん『サプライズばかりの引き出し男は疲れそうで、私にはもう(対処する)エネルギーがない。』というご意見。ごもっとも。



シリコンバレーのSさん『女性と同じような引き出し数を持ち、繊細で頭も良い芸術家と付き合ったことがあるけど、それはそれでめんどくさかった。繊細過ぎてわがままで。』というご意見。ごもっとも。



シカゴのMさん『うちにも引き出し持ってないのが一人いるけど、私のする事にな〜んにも文句言わないのでなんとか結婚生活を維持できる。』ごもっともごもっとも。



結論。



男は気が利かなくてボーッとしているくらいが良い。

究極のメンドイ引き出し男

2017年2月20日月曜日

9日前 毛玉切り

日本の洋服が好きで、日本に行くと必ず洋服を買ってくる。



この冬のヘビロテアイテムは、グレーのコートのようなカーディガン。



でも、ヘビロテし過ぎて毛玉ができる。



毛玉はひっぱってはいけない、ハサミでチョキチョキ切るべきなのだそうだ。



だから、切る。



無数の毛玉を切る。



これが面白い作業なので、根を詰めてしまう。



横にいる夫に『あ〜、この毛玉を取らないといけないんだけど、この作業が疲れるわ〜。』と言う。



すると夫は『新しいのを買ったら?』と言う。



私は解決策を求めているのではない。



私の呟きに反応があったのは評価しますがね(傲慢!)。



実は新しいのはもう2枚買ってあるのだが、そんなことは言わない。



夫との会話は6秒ぐらいで終わる。



これが女友達だと、自分の毛玉切りの失敗談、こういう素材のニットはどうケアすべきか、そして今ヘビロテしているのはどんな洋服か、来年はどんなのがほしいか、こういうものをドライクリーニングに持って行く時の話、などなど毛玉切りの話から1時間ぐらい広がっていく。



この前友人と毛玉切りの話をした時など、友人が『父は毛玉取りのいいのを持っていて、いつも毛玉取りをしていたわあ。』という話を始め、私の父も含めて戦中派の世代がどれだけ倹約をしていたか、かわいそうに、メガネもセロテープで壊れたツルを直していたのよ、なんて思い出話になる。



父の物を整理していた時に出てきた切り抜き
25年前の利子率!



夫に解決策を見つけてくれなくてもいいから、共感してくれない?と言っても無駄。



今朝ブログを読んでくれるYさんから入ったメッセージには、こう書いてあった。



『夫の引き出しって、シンプルで少ないかも。開ける前に何が入っているか全部わかっていて開けるのも面倒臭いかも。』



う〜む、これも深い。



確かに夫の引き出しには、開けなくても何が入っているか予想できる。



あらあ、奥の方を探ったらこんなものが出てきたわ、ということもなさそうだ。


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6月11日。



夕方姉がぶりのお刺身をブレンダーでみじん切りにして持って行くが、父は全部吐き出してしまった。



延々と大声で何かを訴えているが、内容がわからない。



結局、お腹いっぱいと言っているらしい。



部屋に戻りベッドに寝かせると、食べたいと言う。



ベッドから起こして椅子に座って少し食べる。



もう食べないと言い、しばらくすると食べるという繰り返し。



直前のことを覚えていない。




牧野君と話したが、夕方になるとこういう風に混乱することが多く食べない。



そして夜になるとお腹がすく。



部屋の温度が30度あったので、エアコンをつけたらうとうとし始めた。



暑いので姉もかなり疲れる。



父がこの夏を越すことは難しいだろうと思いながら帰る。


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父の認知症の中期に入った頃幻覚症状があり、私も追い詰められていた時期があった。



毎晩『今晩はこのまま寝ていいのだろうか。ホームから電話がかかってくるのではないだろうか。』と気持ちが休まる瞬間がない。



そんな時、夫は『認知症を予防する食べ物』のリンクを送ってきて、これを父に食べさせたらいい、ととんちんかんなことを言って私をムッとさせたものだ。


毛玉切りをしながら頭の中で唱える
『夫の引き出しの中は空、夫の引き出しの中は空』

2017年2月19日日曜日

11日前 共感力

夫の引き出しに関してはたくさんのメッセージをいただいた。



やはり妻たちは夫の引き出しの少なさに悩んでいる。



それもその引き出しは小さくて何も入らない!ということだ。



改めて引き出しを多く持っている上、その引き出し一つ一つが大きい女は偉いのう、と感心しているところ。



夫婦というのは男女の性差もある上、違った環境で育った人間が一緒に生活を始めるのだ。



最初はお互いの引き出しには何が入っているんだろう、と好意を持って手探りする。



結婚生活が長くなっていくに従って、その引き出しに何が入っているかなんてどうでも良くなってしまう。



とはいえ、子育て、介護、仕事の悩みが増えてくると『なんであなたの引き出しにはxxが入っていないのかなあ。』と腹を立てたりするが(これは主に妻の側)。



とはいえ、私もそろそろ夫に対する認識をリセットしないといけないんだと思う。



長年の介護往復を文句も言わず見守ってくれた夫の引き出しの数が3つぐらいしかなくても、それに対して腹を立てるのは自分を不幸にするばかりなのだろう。

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6月9日。夕方父を訪問し村田さんに父の様子を聞いたら、夕食は少しだけ食べたということ。



朝食は大分食べた。



お昼は食べずエンシュアも一旦飲んで、全部吐き出してしまった。



姉がエンシュアを飲ませるとコップ半分ぐらい飲み、ソフトクリームを2口食べた。



歌を一緒に歌いじゃんけんをする。



父が祖父(自分の父親)と母のことをどうしているか、と聞く。



姉がいつも通り祖父は50年前、母は5年前に亡くなったが、父は92歳でも元気だしあと5年ぐらい生きたら、あの世で皆に会うのもいいかもね、と話す。



その時父が言ったことは姉を驚かせた。



今まではこれからまだまだ長生きするね、と言うと喜んでいた父。



この日初めて父は、『もう生きる気力がない』と言ったのだ。

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その夜姉から来たメールには、予約が取れれば早く帰った方がいいかもしれない、と書いてあった。



死ぬのは時間がかかるかもしれないけど、2週間後には弱っているかもしれない。



なんとも言えない、と。



メールが来たのがアメリカの木曜日の朝。



歯医者さんは金曜日が休み。



歯医者さんに電話して月曜日までにブリッジを急いで作ってもらうか、それが無理なら仮歯が取れた時のためのセメダインをください、と頼む。



そして火曜日のフライトを予約した。



このころのことを考えるととても苦しい。



姉が父を訪問する頻度を週3から週2にし、そして週1にした頃から父の体力や気力は低下していったように見える。



もしかしたらそうではないのかもしれない。



年齢も年齢だし、だんだん枯れていくのが当たり前なのかもしれない。

2016年元旦の食事を皆で食べたあと
部屋に帰って機嫌良く歌う父


かといって、長年介護を続けた姉を責めるつもりは毛頭ない。



それなら私が5月にあのまま日本に残っていれば良かったのだ。



姉もその頃のことを考えては、父の死後つらい思いをしたようだ。



と、こういうことを女友達とはいくらでも話せる。



なにしろ女には共感力があるから、友人と話す時も『そうよねえ。本当によくxxしてあげたね。そういえば私にもこういう経験があるわ。』とその引き出しの奥から色々と出してきてくれて、会話がはずむ。



それに比べて、男たちは集まってもつまらん会話をしているではないか。



スポーツ、投資、不動産、スポーツ、スポーツなどなど。



男は妻と共通の引き出しを持っていなくても、共感する力を養わなければいけない。



女は過去の記憶・経験・自分の思い・弱みをさらけ出して、会話を弾ませることができる。



そしてそこに慰めを見出して心を通わせる。

毛生え薬を塗ったら最近額の生え際に産毛がはえてきたのよ〜、
とシワから何からさらけ出すのも女のいいところ

2017年2月18日土曜日

13日前 もう一度父に会いたい

父がいなくなって7ヶ月。



最初の数ヶ月のように毎日父のことを考えては泣く、ということもなくなってきた。



なのに、こうして父の最期の頃のことを書くと、父が懐かしくてたまらない。



父に会いたい。



でも、勿論それは叶わない。

亡くなるちょうど1年前の父
この頃はもうかなり痩せていた

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6月7日。


姉の職場に看護師Aさんから電話がある。



やはり父はあまり食事を摂らなくなったらしい。



5月20日以降完食の日がない。



体重は1ヶ月で2キロ減って、今日現在38.9キロということ。



エンシュアを処方する。



職場を早退した姉が、カレーとソフトクリームを持って夕方5時半に父を訪問すると、父は部屋で寝ていた。



食事に行こうと誘っても『しんどい』といやがる。



なんとか説得して歩かせたが、部屋の前のソファで座り込んでしまう。



そこに食事を持ってきて食べさせようとしたが、父は食べない。



部屋に戻って食べさせたが吐き出してしまう。



お茶も詰まると吐き出す。



バナナも吐き出す。



汚い、という不安もあるらしい。



ホームでは、甘い栄養補助食品などを足すなどの工夫をしてくれている。



頭が痛いし胸も痛いというので看護師さんに来てもらうが、熱が37度ある以外には特に問題なし。



血圧は低めでいつも通り。



酸素濃度も大丈夫。



水分も摂らなくなって脱水状態になった場合、点滴が必要となってもホームではできない。



その場合は入院する必要があると看護師さんから説明がある。



でも、本人にとってそういう治療は居場所を変わるストレスを考えると、施設で見守る方が本人にはいいのではないか、ということ。



父は姉がいると落ち着くなあと言うので、姉は2時間いて7時半ぐらいに部屋を出る。



出る時に、今日は食べてないよと父に言うと突然目が覚めたように『ほんと?頭がどうかしとったかなあ』とつぶやく。



この日の夜、牧野君が電話してきてくれる。



父が8時頃になって急に食堂に出てきて食事すると言ったので、姉が預けていた区分4のすき焼きとご飯を出したら食べた。



『お父さんにとっての食事の時間だったのかもしれないですね。』



姉が心配しているだろうと思ってかけた、というのを聞いて、姉は泣いた。


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これを聞いて私も6月中に日本に行くことを決めた。



5月の初めに帰国したばかりだが、やはり心配だ。



ちょうど奥歯のブリッジを作ってもらっているところで、仮歯では行けない。



ブリッジが出来上がるのは6月16日。



17日のフライトに乗れるとしても10日後だ。



姉から父の様子を撮った動画が送られてくる。



それを見ると、父は5月に私が見た時とほとんど変わらない。



長丁場になるかもしれない。



だから仮歯のままでは行きたくなかった。



動画を見るとまだまだ父は大丈夫と思ったのだった。

でもこんなことを考えながら
ピーツで大きなシナモンツイストを
涙を拭き拭き食らう私なんです

2017年2月16日木曜日

15日前 夫の引き出し

一昨日の地雷爆発後、私の心の奥底にはくすぶった怒りが残っていた。



自分でも理不尽な怒りだとわかっている。



でも、どうしてもこの気持ちを整理することができない。



まずは姉の記録から。

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6月5日、夕方6時半に父を訪問。



村田さんが今日は父が早くから食堂にきて、あまり食べずにさっさと部屋に戻ったと教えてくれる。



姉が持って行った区分4のカレーもソフトクリームもほとんど食べない。



お茶も一口でむせた。



いつもと変わらない様子。



歌を一緒に歌うし、じゃんけんもできる。



父は延々と話し続けるが、姉にはほとんどわからない。



わからないと言うと怒る。



だが、しばらくすると途中でぼんやりしてしまうようになったのが気になる。



先週は足を高く上げられると自慢していたのに。



このところワイワイ広場にも行ってないようだ。



でも、まだ一人で歩ける。



水分は800から1000cc飲んでいる日が多いが、たまに飲めない日もあるとの報告がスタッフからあった。



食事をどれぐらい食べているか確認しないといけない。


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夫は4人兄弟の上から2番目。



未亡人である夫の母は長男と住んでいるし、夫の妹二人も近所に住んでいるので、夫は親のことに関しての心配が一切ない。



なにしろ姑は84歳なのに、毎日エクササイズ(姑はエロビクスと呼ぶ)とヨガで忙しい。



いつ電話しても家にいない。



ジムに行って自転車をこぐ。



午後はビンゴかボーリング。



だから、夫に親の世話をした経験は皆無。




もちろんこれが反対に、母親の介護をしないといけない状況だったら、私も困っていただろう。



だから、ラッキー!と喜んでいいことなのだが、単純に喜べない。



認知症の親を病院に連れて行って長時間待たせたり、夜中ずっと付き添って寝ることもできない介護、父親の不安症と付き合う時もしかしたら自分の方が親より先に死んでしまうのではないだろうか、と思うほどのストレス。



こういうストレスの経験がない夫と、自分の苦しみを共有できない。



訴えても訴えても返事がない。



聞いているのかどうかさえわからない。



なんで一緒に苦しんでくれないのだ。



いつもいつもそう思っていた。



そして父の死後7ヶ月たったある日、夫がこう言った。



『そうそう、そういえばお父さんのホームのスタッフに、お礼のプレゼントはあげた?』



え?父のケアに関しての唯一の言葉はそれ?



そんな言葉ですませる?



これで父の介護の歴史は『ホームのスタッフへのギフト』に集約されてそれでお終い?



軽すぎない?



今日会った友人が言う。



それはね、彼に『(介護の悩みを)受け入れる引き出し』がないのよ。


母が亡くなったあと、父は肺炎にかかるまで
機嫌良くデイサービスに通っていた


なるほど、そうなのか。



夫は職場でストレスを受けていたのに、私はその気持ちを考えてあげたか。



慰めたか。元気づけたか。否。



なのに、こうして夫に腹を立てるのは傲慢というものだろう。



精神的なサポートはなかったとしても、他の色々な面でサポートをしてくれた夫。



それが夫の持っていた引き出しなのだろう。



そんな夫を『長年の介護の後遺症』という言葉を盾に責めてはいけないのかもしれない。(と、とりあえず今日は殊勝な気持ちになる。)



ありがとう、友人。



ついでにお土産に持ってきてくれた、おいしいサモサもありがとう。

一つは夫に分けちゃる

2017年2月15日水曜日

22日前 地雷

スミマセン。



今夫にイライラしています。



頭が爆発しそうなほどのイライラの勢いで、次の姉の記録を書きます。

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5月29日、いつものように日曜日の夕方6時半に父に会いに行く。



食堂に行くと父だけがいない。



村田さんが連れ出す準備をしてくれていた。



トイレのあと延々と拭いてくれている。



その後大きな声で『補聴器をはずしますよ。』と着替えをさせながら父に話しかけている。



声を張り上げているのだが、村田さんには優しさを感じる。



食事は冷め切っていたが文句は言えない。



アマゾンで注文した介護食区分4のすき焼きを家で温めて持って行ったのが、ちょうどいい温度になっていてご飯にかけて食べさせた。



父はおいしいと言いながら何口か食べたので、カレーとすき焼きをスタッフに10袋預ける。



村田さんによれば、お昼ご飯はよく食べていたとのこと。



父の部屋のお布団はやっと夏仕様になっていた。



歌の本を持って行った姉が歌うと、父は何曲かに反応して一緒に歌う。



じゃんけんをしたが、勝ち負けは理解していないように思える。



父が大きな声で話す。



このころの父は唇をしっかりと動かさずに話していたので、内容はわからないが結構大きな声で話す。



体力はまだまだあるのだろう。



唯一姉が理解できた父の言葉は『泊まって行ったらええのに。』だった。



だんだんボーッとして来たので、姉は父に声をかけずにそっと部屋を出た。



姉と入れ替わりに村田さんがすぐ入ってくれる。



父がじっと村田さんを見つめながら右手を出してありがとう、と目で言っている姿があった。

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さて、なんで夫に怒っているのか。



この気持ちはなかなかわかってもらえないと思うのだが。



夕食のあと、私が今日買った姉へのギフトの話をしていた。



そういえば、と夫がふと思いついたように言う。



『(父の)ホームのスタッフにお世話になったお礼のギフトは何かあげた?』と。



その瞬間私の中の何かがキレた。



夫が地雷を踏んだのだ。



『私にそんな常識もないと思うわけ?そんなことに口出ししないで!』と冷たい目で夫を見て低い声で夫に宣言する。



これは夫にとってはなんとも理不尽な私の仕打ちだろう。



夫は私が介護のために日米往復していた時サポートしてくれた。



子供たちがまだ家にいた時だ。



二人とも車は運転していたので送迎の心配はなかったが、食事は作ったりテイクアウトしたり色々と大変だったのもわかる。



父からの補助も少しはあったが、飛行機代だってかかった。



でも文句は言われなかった。

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ここまで書いて24時間が過ぎた。今朝は早起きして山歩きをしてきた。



山歩きの仲間に昨夜の私の怒りを話したが、やはり夫がサポートしてくれたことに感謝こそすれ、という話になる。



でも、それがわかっていても複雑な感情が入り混じるのが介護の大変さなんだね、とも。

久しぶりのすばらしいお天気


もちろん今日はもう腹を立てているわけではない。



繰り返すが、私だってわかっている。



夫がどれだけ縁の下の力持ちでいてくれたか。



なのにモヤモヤする。



お風呂でゆっくり考えてみた。



そして私なりの結論が出たので明日書くことにする。

ほら、あるでしょ?
何なのかようわからんが、イラつくことって