2018年5月18日金曜日

母 最期の日々 ③ 思慕

その朝私は川べりを日傘をさして歩いていた。



2010年の京都は、9月になっても連日35度を超える日が続いていた。



T病院は地下鉄駅に隣接していたが、病室に一旦入ったら一日座っていることになる。



実家から病院までかなり歩くことになるが、今日は歩いてみようと思った。




川の向こう側に母が何度も入院したことのあるR病院が見えてきた。



あの病院に前回脳梗塞を起こして入院したのはいつだったのか。



確か5年ほど前?と考えた。



あの時と今回は全然違う。



あの時はすぐ回復できるのがわかったが、今回はもうダメなんじゃないだろうか。



夜も寝かせてくれない母、昼間もずっと付き添っていないといけない母、中学生、高校生の息子たちを残して日米往復を余儀なくさせられた介護。



苦しかった介護だが、私は母のための介護していたのだろうか。



違う。



義務感のみの介護だったのだ。



1ヶ月間日本で介護をすれば、またアメリカに帰れる。



帰ったらゆっくりできる。



母にはたまに電話してあげればいい、と思っていたのだ。




母が何をしたのだ。



母は本当にいい人だった。



なのに薬害で38歳で寝たきりになり、それでも明るくポジティブに生きてきた。



今は右目を開けることもできず、意思表示すらできない。



数ヶ月前に作ってもらった車椅子
もっと早く作ってもらえば良かった



母への圧倒的な思慕が胸の中で膨れ上がってくる。



今すぐ母のベッド脇に行って、ずっとずっとそばにいてあげたい。



母に生きていてほしい。



母は私の母なのだ。



母なんだ。



母はこの世で一人しかいないのだ。



今までごめん!母のことを義務感だけで介護してごめん!と涙が止まらなくなった。




日傘をたたんだ。



病院まで必死で走った。




母に今すぐ会いたい。

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