2010年の京都は、9月になっても連日35度を超える日が続いていた。
T病院は地下鉄駅に隣接していたが、病室に一旦入ったら一日座っていることになる。
実家から病院までかなり歩くことになるが、今日は歩いてみようと思った。
川の向こう側に母が何度も入院したことのあるR病院が見えてきた。
あの病院に前回脳梗塞を起こして入院したのはいつだったのか。
確か5年ほど前?と考えた。
あの時と今回は全然違う。
あの時はすぐ回復できるのがわかったが、今回はもうダメなんじゃないだろうか。
夜も寝かせてくれない母、昼間もずっと付き添っていないといけない母、中学生、高校生の息子たちを残して日米往復を余儀なくさせられた介護。
苦しかった介護だが、私は母のための介護していたのだろうか。
違う。
義務感のみの介護だったのだ。
1ヶ月間日本で介護をすれば、またアメリカに帰れる。
帰ったらゆっくりできる。
母にはたまに電話してあげればいい、と思っていたのだ。
母が何をしたのだ。
母は本当にいい人だった。
なのに薬害で38歳で寝たきりになり、それでも明るくポジティブに生きてきた。
今は右目を開けることもできず、意思表示すらできない。
母への圧倒的な思慕が胸の中で膨れ上がってくる。
今すぐ母のベッド脇に行って、ずっとずっとそばにいてあげたい。
母に生きていてほしい。
母は私の母なのだ。
母なんだ。
母はこの世で一人しかいないのだ。
今までごめん!母のことを義務感だけで介護してごめん!と涙が止まらなくなった。
日傘をたたんだ。
病院まで必死で走った。
母に今すぐ会いたい。
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