最初に電話をしてから4ヶ月待ったあとだ。
名医と評判の森先生の診察を受けたくて、全国から患者が集まる。
ヘルパーさんに母の見守りを頼んで、姉、私、当時のケアマネT田さんと森先生の診察を待つ。
待ち時間はなんと5時間だった。
ケアマネのT田さんは子供の具合が悪いので、と途中で帰ってしまった。
診察の結果、父の認知症はまだ深刻な段階ではないとわかって、姉と私は少し希望を持ち始めることができた。
が、同じ頃、母の主治医からは胃瘻を勧められた。
嚥下訓練が全く進まないのだ。
言語療法士さんは母の唇を湿らせながら、『喉が乾いてはるやろに、お水飲ませてあげられへんでごめんね〜。』と言いながら訓練を続けてくれた。
ある日一滴のお水が母の舌の上に垂らされた時、母は初めて積極的にそれを飲み込もうとしていた。
母が生きる気力を持ち始めたようで嬉しかった。
でも、それ以上のお水を飲むことは無理だ。
母は本当にお水を渇望しているように見えた。
なのに飲めない。
ほとんど表情のない母が、お水だけはほしそうにしている姿がかわいそうでたまらなかった。
口から食べ物を摂取できないのだから、胃瘻しかない。
姉も私も胃瘻の手術を受けることには反対だった。
が、他に選択肢はないのだ。
そして胃瘻を始めると母の自宅介護は無理になる。
転院先を探さねばならない。
姉と二人であちこちの病院のサイトを調べて訪問した。
そのうちの一つS病院を訪問した時、一目見て私も姉も『ここだ!』と思った。
母が入ることになる部屋は広くて、明るい日差しが燦々と降り注いでいる。
この中には、母の車椅子も私たちが座るソファも入れることができる。
個室だがどうにか支払いもできそうだ。
調べてみると胃瘻を始めたからと言って、リハビリを続けて母が嚥下機能を少しでも回復すればデザートぐらいは食べても良いという記事があった。
そうか、ではそんなに悲観することもないのか。
母にS病院の個室の話をした。
S病院でリハビリを続けて、胃瘻をしなくてよくなったらまた家に帰れる。
家でアイスクリームを食べられるようになるかもしれないよ、と私が言うと母の目が久しぶりにキラキラと輝いた。
父の方もとりあえず深刻な状態ではないし、母の介護も快適な病室で続けることができそうだ。
姉と私は久しぶりに幸福な気持ちになることができた。
が、その2日後に全てが暗転する出来事が起きた。
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