2018年5月20日日曜日

母 最期の日々 ⑤ 胃瘻

9月14日、父がその後ずっと主治医として通うことになる森先生の診察を初めて受けた。



最初に電話をしてから4ヶ月待ったあとだ。



名医と評判の森先生の診察を受けたくて、全国から患者が集まる。



ヘルパーさんに母の見守りを頼んで、姉、私、当時のケアマネT田さんと森先生の診察を待つ。



待ち時間はなんと5時間だった。



ケアマネのT田さんは子供の具合が悪いので、と途中で帰ってしまった。



診察の結果、父の認知症はまだ深刻な段階ではないとわかって、姉と私は少し希望を持ち始めることができた。



が、同じ頃、母の主治医からは胃瘻を勧められた。



嚥下訓練が全く進まないのだ。



言語療法士さんは母の唇を湿らせながら、『喉が乾いてはるやろに、お水飲ませてあげられへんでごめんね〜。』と言いながら訓練を続けてくれた。


ある日一滴のお水が母の舌の上に垂らされた時、母は初めて積極的にそれを飲み込もうとしていた。



母が生きる気力を持ち始めたようで嬉しかった。



でも、それ以上のお水を飲むことは無理だ。



母は本当にお水を渇望しているように見えた。



なのに飲めない。



ほとんど表情のない母が、お水だけはほしそうにしている姿がかわいそうでたまらなかった。



口から食べ物を摂取できないのだから、胃瘻しかない。



姉も私も胃瘻の手術を受けることには反対だった。



が、他に選択肢はないのだ。



そして胃瘻を始めると母の自宅介護は無理になる。



転院先を探さねばならない。



姉と二人であちこちの病院のサイトを調べて訪問した。



そのうちの一つS病院を訪問した時、一目見て私も姉も『ここだ!』と思った。



母が入ることになる部屋は広くて、明るい日差しが燦々と降り注いでいる。



この中には、母の車椅子も私たちが座るソファも入れることができる。



個室だがどうにか支払いもできそうだ。



調べてみると胃瘻を始めたからと言って、リハビリを続けて母が嚥下機能を少しでも回復すればデザートぐらいは食べても良いという記事があった。



そうか、ではそんなに悲観することもないのか。



母にS病院の個室の話をした。



S病院でリハビリを続けて、胃瘻をしなくてよくなったらまた家に帰れる。



家でアイスクリームを食べられるようになるかもしれないよ、と私が言うと母の目が久しぶりにキラキラと輝いた。



父の方もとりあえず深刻な状態ではないし、母の介護も快適な病室で続けることができそうだ。



姉と私は久しぶりに幸福な気持ちになることができた。


清潔でとてもきれいなS病院
久しぶりに希望が持てたのに


が、その2日後に全てが暗転する出来事が起きた。


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