姉からだ。
普段はGメールで連絡し合っているのに、初めてのテキストメッセージ。
iPhoneのスクリーンにバブルを見た瞬間にわかった。
母に何か起きた。
脳幹出血だった。
2010年の夏は酷暑。
姉は連日37度の中の介護があまりにもつらく、『この夏誰かが死ぬ。』と思っていた。
その前日から母は『頭痛がする』と言っていたらしい。
もっと早く血圧を測っていたら母は脳出血を起こしていなかったかもしれなかったのに、と姉はずっと後悔していた。
でも、あまりの暑さに脳が機能していなかったと言う。
姉が少しでも早く気がついていたら、などと誰が責められよう。
アルツハイマーの症状が出始めていた父と、1分も一人にできない母を抱えて、姉の介護は限界に達していた。
私が日本にいて助けるべきだったのだ。
なのに、私は暑いから体調を崩した、米国市民権を取るための宣誓式に出ないといけない、と帰国してしまっていた。
宣誓式をすませてアメリカ市民になった私は、いつでも日本に行けるようにアメリカのパスポートを取っておかねば、とアメリカのパスポートを一刻も早く取得したかった。
そして、母が脳出血を起こした前日、Certificate of Naturalizationつまり帰化証明書を申請書と共に申請所に送ってしまっていたのだ。
つまり私は米国市民になってしまったのに、日本に行くためのパスポートがないという状態だった。
ということは日本に帰国できない。
アメリカに帰化した友人の多くが日本に帰る時は日本のパスポートを使い、アメリカ入国の際にアメリカのパスポートを使っている。
アメリカでは二重国籍が認められているし、日本でも二重国籍を認めようという訴訟は起きているようだ。
が、小心者の私は多分日本の入国審査官に相対した時、不審に思われそうな態度を取ってしまうだろう。
そもそも友人たちの話はあとになって聞いたことで、その時の私はもうアメリカのパスポートでしか出入国できないのだと思っていた。
実際その数日前の宣誓式の時にも念を押されたのだ。
米国市民権を取った時点で、今後アメリカを出国する時はアメリカのパスポートを使わないといけない、と。
パスポートエージェンシーに電話すると、緊急の場合パスポートは当日発行が可能だが、母の容態の診断書が必要と言うことだった。
が、病院側からは数日かかりますという返答が来た。
私は英語の診断書を作り姉に送った。
病院がしないといけないことは、この英文を使って診断書を作り、ハンコを押すだけ。
すぐしてもらってほしい。
が、病院は数日かかります、という返事を繰り返すだけだ。
姉は諦めずに交渉し続けた。
やっと病院が折れて英語の診断書を発行してくれる。
翌日の早朝それを持って、サンフランシスコに向かったのだが、これが長い長い一日の始まりだった。
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