2018年5月29日火曜日

母 最期の日々 ⑦ 人工呼吸器

集中治療室ではオルゴールの音楽がいつもかかっていた。



このオルゴール音楽を一生聞きたくなくなるだろうな、とぼんやりと考えながら母の隣に座っていた。



F本さんを何故あの時もっと早く止めなかったのだろう、という後悔と、母の真っ白になった顔と宙をかいていた両手がずっと頭から離れない。



姉がコンビニでおにぎりを買ってきてくれたが、姉も私も全く食欲がない。



胃が何も受け付けない。



母は42年前に病院で処方された薬を飲んで、下半身不随になり失明した。



その母がまた医療ミスによって死んでしまうのか。



しかも主治医はそれを認めない。



こんなことはよくあることなんです、と言われて納得できるわけがない。



そもそも高齢者の命を軽く見ているのではないか。



母はやっと少しずつ回復し始めて、いつかまたアイスクリームを食べようと私が言った時、目に光が灯ったのに。



主治医に今後の見通しを聞いた。



答えは『大丈夫です。これからまた少しずつ回復していきます。』という返事だ。



母に生きていてほしい、ととにかくその気持ちしかなかった。



これで死んでしまったら母がかわいそう過ぎる。



その時F本さんが入ってきて母のバイタルを測ろうとした。



私は言った。『すみません。他の看護師さんに代わっていただけませんか。』



すぐに他の看護師さんが来てバイタルを調べて、大丈夫ですね、と明るく告げて出て行った。



が、その後婦長さんが部屋に入って来た。



F本のことですが、何か不都合がありましたでしょうか、と聞かれ痰吸引の時の出来事を告げた。



婦長さんの顔色がサッと変わり、『わかりました。そんなことがあったとは知りませんでした。何かあれば私にすぐ言ってください。』と私の目をじっと見ながら言ってくれた。



その物言いたげな目には『自分はあなたの味方ですよ。』という気持ちが表れていて、心強かった。



この頃姉は仕事を休んで、ずっと私と一緒に母の横にいたが、父は一日に2時間ほどベッド脇に座ってまたひたすら本を母に読み聞かせていた。



父はまだ認知症のごく初期で自分でタクシーに乗って自宅と病院を往復し、食事は自宅に配達されるお弁当を食べていた。



その夜、主治医ではない他の医者から『カンフェレンスルームに来てください。』と言われた。



姉と私が小さな部屋に入ると、自分は疲れているんだ、なんで患者の家族に説明しないといけないのか、という面倒でたまらなそうな声で前置きもなく開口一番こう言った。



『人工呼吸器をつけるかどうかすぐ決めてください。』




頭の中が真っ白になった。

9ヶ月だった長男を抱く55歳の母
孫を見たかっただろうなあ、と今なら私も母の気持ちがわかる

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