いかにも外国人が買いそうなお数珠、手ぬぐい、東大寺の仏像のレプリカなどなど。
とにかく毎日が楽しくて楽しくて、サンフランシスコなんか本当につまらない、などと言う。
日本では道を歩いていても、10メートルごとに食べ物が買えるという印象を持ったらしい。
それもちょっとした食事に代わるような食べ物。
おいしいパン、ポテト、アイスクリーム、お惣菜などが簡単に手に入る。
二人は毎年日本に来ることにした。
毎月そのために貯金すれば不可能ではないと思う、と言う。
学生ローンの支払いについてはどうなったのか、と思ったが水を差すようなことは言わないことにした。
今の時点では。
4時過ぎの電車で父のホームに向かった。
今日の父は少し悲しげで機嫌があまり良くない。
退屈なのだ。
孫が来たことで気持ちがどんどんほぐれていくのがわかる。
次男とマリーも父の冗談に笑い続ける。
次男がマリーに、おじいちゃんは昔からユーモアのある人だった、いつもおもしろいことばかり言ってた、と説明している。
父がする戦争の話を、次男たちがとても興味を持って聞いている。
アメリカでは、日本人のサイドからの体験談を聞くことがない。
戦争を体験した日本人の話をもっと詳しく聞きたいと言う。
父が軍国主義の時代の日本について話すと、真剣に二人が聞いている。
7年前に日本に来た時の次男は、おじいちゃんの存在に余り注意を払っているようには見なかった。
ところが、今の次男は父を大切な自分の祖父として見ているのがわかる。
また来年来るから、と言う次男に、父は『もう来年は生きていないかもしれない。』と笑う。
おじいちゃんは多分100歳過ぎてもまだ生きているはず、自分の子供が生まれる頃もまだ生きているだろう、と次男が言いながら父と握手をしてホームを出た。
今回の旅では、次男の成長した姿を垣間見ることも多かった。
日曜日に次男とマリーがカリフォルニアに帰ってしまうことを考えると、寂しくてたまらない。
空港まで送って行ったら泣いてしまいそうだ。
カリフォルニアでは毎週のように会っているのに。
子供たちが小さい頃、毎年夏休みには3人で日本に帰ったものだ。