揚げそばのようだ。
子供が小さい時だったらさぞかしつらかっただろうな、と思う。
長男が時々夕食を作る |
日本に来る時いつも気になるのが、私が留守の間の夫と長男の食事だ。
それでも長男だってもう28歳。
もう子供がいてもいいくらいの年齢だ。
自分でなんでもテイクアウトできるのだし、母親がいなくてもなんら問題はない。
なのに、子供のことはいつまでも気になるのが母心なのだ。
頻繁に日米往復をし始めたのは10年ちょっと前ぐらいだ。
長男が大学生、次男は高校生の時だった。
それまでにも、母が入院した時などは介護のために日本に帰っていたが、それでも今ほど頻繁ではなかった。
子供が小さい時だったらさぞかしつらかっただろうな、と思う。
親のことは助けたい。
でも、子供にも手がかかる。
板挟みになって苦しかっただろう。
高校生を置いて日本に来ることでさえつらかった。
真夏の介護で体調を崩しながら、それでも年取った両親のことを考えると2ヶ月日本に滞在せざるをえない時もあった。
そんな時、子供たちのことを考えると毎日せつなかった。
アメリカに残した家族は毎日何を食べているのだろう、と心配でたまらない。
今の状態があと何年続くのだろうか、と毎日のように考える。
それでも、父が死んでしまうのはさぞつらいことだろうな、と思う。
今日はお昼過ぎにホームに行くと、父はベットに横になっていた。
午前中わいわい広場に行った、ということだ。
数分前のことが覚えていられない父なのに、そのことを何度も繰り返す。
2分おきに『今日はわいわい広場に行った。』とまるで初めて言うかのように繰り返すのだ。
スタッフが迎えに来る。
歩行器を押しながらお風呂に歩いて行く父の後ろ姿を見ると、せつない。
背中が曲がってしまっている。
2年前にはしっかり歩けていたのに。
バッグを持った私を見て父は「もう帰る?ありがとう!」と大きな声で言う。
お風呂場に入って行きながら何度も「ありがとう!ありがとう!」と繰り返している。
次回京都に帰ってくるのは5月の終わり。
7週間後だ。
91歳の父にまた会えるとは限らない。
何が突然あってもおかしくないのだ。