2014年9月30日火曜日

慶友病院の見学

青梅慶友病院はJR河辺駅が最寄りの駅だ。『かわべ』と読むのではなく『かべ』と読む。2つ手前の駅は小作駅だが、おざく。東京の人には常識なのかもしれないが、なるほど〜、と感心する。もしかしてこの駅に頻繁に降り立つようになるのかなあ、と思いながら慶友病院を目指した。

東京の運転手さんは
いつも感じ良い
余り都会ではないようだ。タクシーの運転手さんに『この辺りにスターバックスとかドトールなどカフェがありますか。』と聞いたが、『いやあ、ないですねえ。』という答え。いずれここに住むことになるかもしれない、と思うからこういう質問をしてしまうのだ。

病院は手入れされた木立の中にあった。受付の人たちはとても感じいい。すぐに担当者のTさんが出て来てくれた。面談室に入り父のことを話す。

父がここに転院したとして、心配なのは父が環境の変化でまた幻覚症状を起こすことだ。男性はせん妄状態になることが多いということ。だが、病院なのでその辺りは対処できる。
きれいな中庭

また4人部屋で一番気になるのは、父が温度に敏感なことだ。個室なら父の快適と感じる温度に設定できるが、4人部屋だと無理だ。でも、思い出した。以前入院していた時、父は室温のことは一切何も言わなかったのだ。多分病院にいるという安心感から、温度に関しては何も感じないのかもしれない。老人ホームでは、自分が暑いと感じることから病気になるのではないか、と不安になるらしい。

リハビリ室
今の父のホームの状況を話した。一番かわいそうなのは食べ物がまずいこと。父は決して食べ物に関して文句を言わない。が、一度だけもらした言葉が、毎日同じものを食べているような気がする、というもの。これがかわいそうでたまらない。人生の末期に楽しいことが何もないのだ。

驚いたことに、この病院には
臭いというものが一切ない

また下半身がビショビショになっていても、放っておかれる。排便のあとには臭うこともある。身体機能の低下した父はキチンと拭くことができない。これも不憫だ。

慶友病院では30分に一度排泄をチェックし、ちゃんと清潔な状態に保ってくれるらしい。人間としての尊厳を保つことは、慶友病院ではかなり大切に考えているということだ。シーツ交換は毎日。リハビリや脳トレもある。父の一番好きなことだ。

帰りは河辺駅までシャトル
運転手さんがありえないほど
感じ良い
不安ばかり訴える父を受け入れてくれるのだろうか。その辺りを聞いてみた。受け入れができない唯一の患者は暴力をふるう人だそうだ。その点は大丈夫。父は決して誰かに殴り掛かったりするようなことはない。

最後まで看てくれる病院。これが家族の安心できるところだが、父が今のような認知状態でいる限り青梅に転院させるのはかわいそうだ。家族に今までのようには会えなくなるからだ。Tさんもそのことを一番懸念する。だから、認知症が進んで、もう娘がわからなくなってからこの病院に入院させるのが一番いいのかもしれない。だが、その時父を病院は受け入れてくれるのか。

最近の父はバナナの
食べ方もわからなくなる
ことがある

大丈夫だそうだ。いつでも受け入れてくれる。京都から青梅までの移動もアレンジしてくれるらしい。今すぐに転院はしないにしても、いずれこの病院で手厚く介護してくれるかもしれない、という大きな安堵を感じる。勿論その時は近くに住むか、2週間に1度は父を訪ねたい。

今すぐ転院できないのはお金のことも大きな理由だ。4人部屋で毎月34万円。ただこの病院に入院する時は、洋服もパジャマも一切必要ないらしい。手ぶらで入院できる。散髪も無料。だからと言っておいそれと払える金額ではない。

いずれ父がここに入院する可能性を考えながら、それまでは取りあえず今のホームで少しでも楽しく過ごしてほしい。だから、以前ホーム専属だったリハビリの松本先生に自費で来てもらうことを頼んだ。

ホームは最初いい返事をくれなかったが、どうしても父のリハビリを増やしたいと何度も相談員に話した結果、実現することになった。父は松本先生が大好きで、『ダチ』と呼んでいたのだ。松本先生も父がホームで孤独だということをよくわかってくれている。だから友人のように話してくれる。

まだまだツヤツヤ
長生きしそう

あとは、少しずつ父の環境を良くして行くように働きかけたい。例えば便の付着したシーツを替えてもらったり、トイレの補助をしてもらったり。

今は父の所に行くとシーツやお布団はグチャグチャだが、これも気がつくSさんやMさんがいる日はきれいになっている。取りあえずは家族が通いスタッフと心を通わせ続けることが大切なのだろう。

少なくとも父は
『エンドウ豆の上のお姫様』ほど
敏感ではないらしい