2014年9月17日水曜日

そして青梅慶友病院

父の幸せは何なのだろう。



お金ではない。



もうお金は必要ないのだ。



あっても使う所がない。



物欲もない。



家族に会えること、これが父の幸せなのだ。



しかし、あと1年ぐらいで家族を認知することはできなくなるのだろうか。



今はかろうじて私と姉のことは覚えている。



孫がいることも名前も時々思い出せるが、全く思い出せない日もある。



親兄弟のことは昼間だと意識もはっきりしているので思い出せるが、夜は思い出せないことが多い。



母の死は忘れた。



が、そのことを娘に聞かない。



聞くことに罪悪感を持っているのか、確認するのが怖いのか。



だから、母は4年前に亡くなったことを毎日それとなく伝えてあげる。



父はショックを受けるが、そのショックもすぐ忘れる。



何かつらいニュースを聞いた、という感覚だけが残るようだ。

ホームへの道も涼しくなった



少しずつ認知症が進行しているというよりも、一進一退だ。



3日前は食べ物の味がわからなかったが、今は何でもおいしいおいしいと言いながら食べる。



が、認知症は確実に中期の中期を過ぎたようだ。



日曜日に見学した有料老人ホームHは、ほぼ候補施設から消えた。



何故ならこの施設では、父のリラックスタイムであるマッサージがないからだ。



わいわい広場もない。



入居時の契約金も高い上、月額は35万円だ。



金額よりも何よりも、このホームで父が幸せになるとは思えない。



見学した時の違和感はぬぐえない。



リビングルームにすし詰めになった入居者たちに、笑顔はなかった。



なら次はどこか。



やはりどうしても青梅慶友病院が気になる。



今までこの病院は視野に入っていなかった。



考慮する余地はなかったからだ。



まず個室は月額64万円かかる。



ここに父が入居するとしたら、家族のための東京でのアパートが必要になる。



私が日本にいる時に住む場所、そして私が日本にいない時姉が時々滞在する所。



姉が東京に滞在する時は、往復の新幹線料金とアプのホテル代が必要だ。



毎月の費用は高額になる。

最近はいつ行っても寝ている


が、慶友病院のことを読めば読むほどここしかないような気がする。



医療不安の強い父が安心していられる所、家族が親を入れたい所、最期まで父を看取ってくれる所。



少なくともこの病院の雰囲気を知りたい。



理念を聞いてみたい。



父が幸せになれる場所なのかどうか。



確かめたい。



あらゆるオプションをチェックしておきたい。



父のためにできることがあったのかもしれない、とあとで悔やみたくない。



だから慶友病院に行ってみることにした。



姉との相談結果、この病院なら父への対処の方法を知っているのではないか、個室ではなくても4人部屋でもしかしたらいけるかもしれない。



とにかく見学と相談をして、雰囲気を肌で感じてみたい。



再来週見学する予約をした。



京都駅から慶友病院最寄り駅である河辺駅までは、3時間半ぐらいかかる。



我が家からだと4時間以上かかることになる。



当然一泊するので、アプはいつもの保育園を予約した。



うちから遠い保育園にアプを預けて、青梅まで行くのは疲れそうだが。



しかし、父が慶友病院に入院するのは現実的に可能なことなのだろうか。



電車にさえ乗れない父をどうやって青梅まで移動するのだろう。



医療搬送車?



新幹線の特別室(そんなものがあるのか?)



大体父がこの病院で10年生きるとして、お金はどうするのか。



勿論年金で払える金額ではない。



父の貯金を崩していくとしても、すぐ底をつく。



その後はどうするのか。


青梅慶友病院
ここまで父を移動するのは果たして可能なのか



そもそも父の幸せは、家族と一緒にいる時間に比例するのではないのか。



父が青梅に入院すると、今のように毎日家族に会えなくなる。



家族の顔もわからなくなったら、それでもいいだろうが、それはいつのことなのか。



その日までできるだけ会いに行ってあげたい。



慶友病院に入院すると、父の年金では到底払えないので父の貯金から補うしかない。



貯金も多くないので、すぐに底をつくだろう。



父の願いは一円でも多く娘に遺すこと。



その願いはかなわなくなるが、そのことは父に知らせなければすむことだ。



父がすばらしいケアを受けている、と知ることは娘の幸せなのだ。



そしてそれが父の幸せにつながると信じたい。

ということで、父と乾杯
オレンジジュースとコーヒー牛乳