2013年9月26日木曜日

認知症コース

父がアルツハイマーにかかったことで、認知症という病気のことをかなり研究した。父の中で進行する認知症を見続けることで、学習したとも言える。が、日々予期しなかったことが起きる。

父は決して物を捨てない
古いティッシュの箱さえ
廃品利用して何か作る
父は今ほぼ普通に会話ができる。今日も、戦争中爆弾を抱えて敵の船に撃墜しないといけなかった戦友の話をしながら涙ぐむ。その戦友が飛び立つ時手を2度振った、その姿が忘れられないと言う。そして戦争というものは実際に体験したものにしかわからない、絶対にわからないと涙を拭く。

明日は金曜日だからホームではふれあいコンサートがある。父に行くかどうか聞くと、あんなもん、絶対行かない。人が歌いたい時に歌わせてくれない、人をコケにする、とまで言う。父は自分中心にしか考えないので、皆で歌うことなど面白くも何ともないのだ。自分の歌を皆に聞いてほしいのだ。そういう憎たらしい姿は以前のままだ。

そんな父も新しいパジャマをパジャマと認識することができない。何セットも新しいパジャマを買って持って行ったのに、古いぼろぼろになったパジャマを選んで着ている。この新しいのを着たら?と言っても、「それがパジャマ?」と不思議そうに言う。新しく買ったパジャマを椅子に置いて帰る。が、翌日にはそれがパジャマだと認識できず、シャツとしてパジャマの上だけを着ている。


そんなことは予想だにしなかった。どれがパジャマなのかわからない、教えてもすぐ忘れる。そんなことが起きるなんて。認知症とはわかっていても、次にどんなことができなくなるのか家族には予想できない。認知症のコースがどんなものなのか知らないのだ。

エアコンのスイッチさえ覚えることができない、と書いた。3年前にはテレビやDVDプレイヤーなどを複雑に配線していたのだ。デジカメをプリンターにつないで、撮った写真を印刷していたのだ。証券会社に行って国債を買ったりしていたのだ。なのに今は何もできない。が、そういうことをしていたことは覚えている。

ユーロがいくらまで値上がりしたか、ということは覚えているのだ。でも、タンスの引き出しに入れた10円玉のことを覚えていない。毎日のように10円玉をいくつか置いておいてほしい、と繰り返す。ここにあるよ、と見せると納得するが5分後には同じことを言う。

今父がいるホームはいくつかのグループに分かれていて、それぞれ町の名前がついている。父のいる町は横町一丁目だ。横町一丁目には自分で食事ができる人は2人しかいない。父ともう一人は103歳の女性だ。父は毎食全て完食する。食べ物はとても質素だ。


おやつに和菓子やプリンは出るが、果物はない。だから今日は梨をむいて持って行った。夕食と梨のおやつがすんだあと、いつものように7時15分に父に別れを告げる。寂しそうな父に「本でも読んだら?」と言うと、「めんどくさい、明日読む」と毎晩同じことを言う。が、決して読むことはない。


家にいると色々とすることを見つけてくつろぐ父。が、何かしら不安材料を見つけては『ちょっと来てくれえ〜。』と言い始める。夜中にお医者さんや看護師さんに連絡してくれ、と騒ぎ始める。決して家に安心して住むことはできない。

補聴器を調整する父
かろうじてこれは自分でできる
しかしいつまでできるのだろう
が、7時15分に『することがないから寝る』と言う父の声を聞くと、今日も罪悪感にさいなまれながらホームをあとにする。