が、駐車場に車を入れた時刻を見ると、ちょうど新たな30分単位に入った所。せっかくお金を払うのだから、あと25分ぐらいブラブラして時間をつぶそうとフェンディのお店に入る。すぐ眼に入ったのがカーフ素材でできた上品なトートバック。一緒にいた姉が一目惚れした。しかし安くない。こういうものは衝動買いするべきでないだろう。
明日まで考えてそれでもほしければ帰って来て買おう、と(姉が)決めた。その時姉の携帯が鳴る。ホームからだ。父が『眼がゴロゴロする』と不安がっている、とのことだ。電話を終えた姉が帰って来る頃には、『明日まで考える』は『今すぐ買う』に変化していた。これも介護のストレスから、と言えるだろう。ここまで苦しい思いをしているのだから、ちょっとした楽しみを持つのが何故悪い、と開き直りの気持ちになるのだ。
3時頃帰宅して本を読んでいるうちに眠くなった。泥沼の底に入ってしまったような、時差ぼけ特有の眠気だ。それでも5時には起きて父の所に行って、夕食の時一緒にいてあげたい。どうにか起きた。なんというか気分は水面の上に浮かび上がろうとして、必死でもがいている感じ。
父はリビングにポツンと座っていた。話す人もいない。他の入居者は皆重症の認知症で、言葉も出ないからだ。スタッフも一人一人の世話で忙しく、父に声をかける人はいない。
やはりうつろな眼をした父と部屋に戻り、暑い暑いという父を薄いシャツに着替えさせ、アイスノンを顔にあてさせる。その後部屋で夕食。父はひたすら食べている。余り話もしないし、昨日と同じく感情は一切伺えない。質素な食事をひたすら口に運ぶ父を見ていると胸が詰まる。
とにかく昔話から始めることにした。母が長い年数入院していた病院の名前、その頃のリハビリの先生のこと、病院の隣の花屋さんのこと。父は何も思い出せない。2ヶ月前は全てクリアに覚えていたのに。
話は母のことになる。ついこの前まで父は母の誕生日は勿論、孫の誕生日、義母の亡くなった日、などなど全て記憶していた。ところが今日、父は母の誕生日さえ思い出せない。しばらくヒントをあげているうちに思い出した。そしてそのまま母の思い出を話し始める。
父の学校で働いていた母は、ある日厳格な伯母にお見合いを薦められる。相手は郵便局に勤める人だった。話はどんどん決まって行く。父のことが好きだった母は、その人をいやがって、仮祝言の前日父の所に逃げて来た。父との結婚を認めるから一旦は家に帰りなさい、と(母の)母親が母を連れ戻しに来た。
その後母と結婚した父は、母が亡くなるまで母を崇拝し続けた。なにしろ父はこの世の中に母ほど美しい女性はいない、と信じていたのだ。母にとっては最高の幸せだったろう。
ある日神社でのお祭りに父は一人で行っていた。すると母が父の妹を伴って現れた。その母を見て父はびっくりした。母は新しい着物を着ていて、ハッとするほどきれいだった(と父には思えた)。どうもそれは父の母親の演出だったらしい、と父は思い出す。
母亡きあとも父は母を崇拝し続ける。何とも幸せな夫婦ではないか。