2022年2月17日木曜日

昭和28年

一番好きな作家は誰か、と聞かれたら「沢木耕太郎」と答える。


その沢木耕太郎のエッセイ「246」を読んでいたら、こんなフレーズがあった。


「全ては失われるためにあるというという平凡な真理をあらためて思い起こしていた。時の流れは急なのだ。そんなことに不意に気づかされる。」


これは、沢木耕太郎のお嬢さんが3歳の頃、沢木氏が父親として持った感情だが、ものすごく心に残る言葉だ。


そうだなあ、と失われるものを考える。


親を失う。


その頃には自分は、肌のハリも、数本の歯も失っているかもしれない。



いや、その前にもっともっと色々なものを失っている。



以下の写真は昭和28年に福音館から発行された略画小事典だが、父が生前好んで見ていたものだ。


昭和20年代の風景がほのぼのとしていて、なんとも癒やされる。






子供の頃、小学校から帰宅すると、ランドセルを家の中に投げ入れてすぐ遊びに行った。


洞窟を探検する、トンボの目を回して捕まえる、お姫様誘拐ごっこ、などなど遊びに夢中だったあの頃。


なんとまあ、一切の屈託がなかった時代だったのか、と懐かしく思い出す。




家族は小さな家で睦まじく暮らし、子どもたちもiPadやテレビゲームではなく、おままごとや縄跳びで遊んでいた。



自分のことを思い出しても、テニスに明け暮れた中学時代、永遠に続くかと思った不遇な(親が一緒にいない、背が高い、太っていた)高校時代、思えば18歳までが一番長かったと思う。


アキに鼻水が出たことで、ヒロも託児所に行けないことになり、
12月から1月は3週間自宅待機になった二人(託児所費用は免除にならない)



その後の人生はあっという間に過ぎた。


特に過去10年は速かった。


平均寿命まで生きたとしても、あと20年ちょっと。


急流に押し流されていると感じる。


過去10年の速度と次の20年の速度が同じぐらいかもしれない。


最近は朝起きた時、指がパシパシするし、腰がボキボキするし、頭がモヤモヤする(この表現で、状態を理解していただけるのは、60代以上の方でしょうか・・・)。


そして、最近よく思う。


残りの人生、友人や家族と幸せな時間だけを共有したい。


相手のいいところを頭の中で膨らませ、彼らを思いやり、自分が正しいと思うことを無駄に主張しない。



便利なものに囲まれ過ぎて、人と人との会話やふれあいが減ってしまった今、物欲も本当になくなってしまった。



冷蔵庫も、洗濯機も、テレビもなかった昭和28年。


家事の量も現代とは比べ物にならないほど多かっただろうが、近所の人たちとの会話もずっと多かったのだろうなと思う。


自分自身のことを思い出しても、昭和30年代、近所の小さな駄菓子屋に行けばピンクの小さなクジが店頭にぶら下がり、それを一枚取ってその場で舐めたりしていたものだ。


スカ、が出ればそれまで、アタリが出ればロッテコーヒーガム(一番好きだった)などをもらっていた。


コロナでソーシャルディスタンスを取らないといけない今では考えられないほどの光景だが、なんとも温かい時代だったと思う。



シュールな時代でもあった

2 件のコメント:

  1. 朝起きた時節々がパシパシボキボキ、はい、よーく分かります!!指や腰に加えて最近ではヒジにも痛みがあるんですよ。
    かれこれもう10年以上前からこんな感じ・・・私は他の人に比べて老化のスピードが早いんだと思います(涙)

    お父様の書籍を大切に保存されてるのですね。
    イラストを見ているとなんだか懐かしい。私にもこういうほのぼのとした時代があったのかな。ちょっと戻りたい気分です :)

    返信削除
    返信
    1. akikoさん、
      パシパシ、ボキボキしますか。
      やっぱりヨガとかストレッチとかしないといけないんでしょうね。
      今年はお互いに老化スピードダウンを目指して、エクササイズしましょうか〜(言うだけ)。

      父の書籍で、このクロッキーの本はあまりにおもしろくて捨てられませんでした。
      あと、京都新聞に連載されていた花に関する小さなコラムをまとめた本、これを姉が保存しています。
      昭和30年代は、西岸良平さんの三丁目の夕日、という漫画の舞台になっていますが、冷蔵庫やテレビもなかった時代、お母さんたちは家事で忙しかったけど、ほのぼのしたいい時代だったんだなあ、と懐かしくなります。

      削除