2019年3月21日木曜日

前向きでありたい

今朝突然気がついた。



母はとんでもなく幸せな人だったのではないか。

いつもいつも笑っていた母

38歳の時にキノホルムという薬で失明、下半身不随になったにもかかわらず一生自分はラッキーだったと思えるその性格。



明るく話好きでヘルパーさんからも好かれた母。



一時は足の激痛が続き泣き叫ぶ日々もあったが、それも痛みブロックの注射で劇的に治り解放された。



その後脳梗塞により手が動かなくなり、話すこともできなくなったが最期まで明るい人だった。



母の人生は幸せなものだったのではないか。



今回の浜松のM先生の診断以来、これからのことが不安になってきた。



眼瞼下垂の手術は受けるのをやめようか、と思ってはアルツハイマーの可能性を考えてやはり受けるべきか、と迷う。


視線を下に向けた時、右瞼の下垂は顕著になる


まだ時間はあるので、もう少し考えようと思ったりする。



アルツハイマーを防ぐには他の方法もあるのではないか。



が、突然不安に思い始めたのがSUNCTという病気の可能性のことだ。



M先生に言われた私の流涙の原因はSUNCTではないか。



この病気については日本のサイトにはあまり出ていないが、アメリカのサイトに詳しく出ていた。



この稀な病気の一番の特徴は、頭痛、それも1日に200回起きる可能性のある頭痛。



5秒から1分おきに起きる激痛。



1から10の段階で言えば9のレベルの痛み。発症は35歳から65歳の間で、今のところ痛み止めを処方するだけで治癒方法はまだない。



症状には流涙や鼻水、そして眼瞼下垂を含む。



これが3つ当てはまる私はやはりSUNCTという病気にかかっているのだろうか。




今まで病気への不安というものを持ったことがなかった私が、初めて病気への不安を持ってしまった。



これから頭痛が始まるのだろうか。



普通の生活ができなくなるほどの激痛が始まるのだろうか。



生活習慣などに関係なく突然かかるこの病気。



こういう病気への不安を持つことのなかった母。



一生家族がそばにいてくれた母。



いつも明るくいられる前向きだった母。




母のように前向きでありたい。




が、生活習慣病に関しては不安になるべきなのに、決してならない私であった。



昨日もKITTEビルに行きアボカド海鮮丼を14分で食べ終えてしまったあと、この早食いを憂うべき?と自分に 問う。


海鮮丼、ひじき、茶碗蒸し、ブロッコリーの和え物、
赤だし、お漬物のセットで1550円


14分後

あるいは自分に問うべきは1時間後にパンを食べに行くことの是非か。


ま、いいか。


いつまでも前向きでありたい

2019年3月19日火曜日

驚愕の診断(眼瞼下垂症) 5/5

最近自分に一つの癖があることに気がついた。

知らない人に話しかけられた時、まず「あっ」と言うことだ。

例えば今日はKITTEビルの『菜な』という和食のお店にランチを食べに行った。どうしても魚とお味噌汁が食べたかったのだ。

鰆の西京焼き膳は1280円

お膳を持ってきてくれたウェイトレスさんが、このグリーンの小鉢に入っているのは当店オリジナルのもっちり豆腐です、と教えてくれる。「あっ」と私はまず言ったあと「はい。」と答える。

このもっちり豆腐がおいしかった

食べ終えたあとウェイトレスさんが来て「お茶をお注ぎしましょうか。」と聞いてくれる。私はまず「あっ」と言って「大丈夫です。」と言う。レジでも同じ。カードを使った支払う時「円でのお支払いがよろしいですか。」と聞かれる。「あっ」一呼吸おいて「円にしてください。」と言う。

この癖は日本でのみ出るものらしい。アメリカでは「あっ」と言うことがない。どうも日本では緊張するのだろう。丁寧な国民性、丁寧な店員さん、丁寧な返事をしないと、とある種の緊張感があるらしい。「あっ」と言うことで時間を稼いでその間に返事を考えるのだ。これも初期のボケ症状なのだと思う。

食べたあとは屋上庭園から駅舎を見るといういつものパターン

M先生の診察室でも「あっ」が何度も出た。

診察を終えたあと血液検査や身長体重と握力の測定(何のためかはわからない)をしたのだが、その前に診察室に呼び戻された。日本での医療保険のない私だから自由診療になってしまうことの確認だった。

「あっ」とまず言い、「よろしくお願いします。」と続ける。保険がないのはつらいが、アルツハイマーが進行することを考えると手術を急がないといけない。もしかすると上瞼の手術だけでは目を100%閉じることができない可能性もあるそうで、下瞼の手術も必要になる患者さんもいるということだ。その時はその時でまた考えるしかない。


少なくとも観光はお金のかからない場所をいつも選ぶ
今日行った浅草寺

1日に数千回瞬きをするのに、瞼がちゃんと閉まっていない。閉まっていないから体は緊張状態が続いて脳が酸欠状態になっているのだ。アルツハイマーという病気が身近になってしまったのだ。

一刻も早く手術を受けて瞼の筋肉を瞼板にくっつけてもらわねば。
そして有酸素運動を毎日しよう。
食生活も今度こそ見直そう。

のべつまくなしに食べるのはやめよう。
間食も減らそう。

と思いながらルノアールのモーニングに行く。

あっ!

全然足りない

2019年3月18日月曜日

驚愕の診断(眼瞼下垂症) 4/5

早い話、私の瞼は腱膜が瞼板から外れているので、それをまたくっつけないといけないらしい。



それをくっつけることによって、(無意識であっても)瞼を苦労せずに開けることができる。



それによって交感神経の緊張も弱まり、手足の冷えの状態も改善され、顎関節症、眼精疲労、ドライアイなどの症状が緩和される。



先生に質問された。「耳が聞こえにくいということはありませんか?」



ありませんと答えたが、私のような眼瞼状態だと耳にも影響するそうだ。



見た事のない器械で検査すると、鼓膜が両耳とも内側に入り込んでいた。



-50という数値が印刷された。



このままでは聴覚にも影響するようになるそうだ。



もしかして先生は普通に話されていたのに、私の聴覚の問題でひそひそ声に聞こえていたのか?



それよりも何よりも次が一番大事なポイント。




20代の時読んだ立花隆の『宇宙からの帰還』、その中で一番心に残ったところはアポロ11号の打ち上げ前の記述部分だった。



打ち上げ前の宇宙船の中では酸素の濃度が上げられ、乗組員3人はそれによって脳内がクリアになり、瞬時にして色々な判断ができるようになった、という部分に感心した。



つまり酸素がどんどん脳に送られることで、頭がクリアになる上認知症の予防にもなる。



このことに関しては友人のブログも参考にしてみてください。

有酸素運動をするために愛宕神社に行ってきた

この目が回りそうなほどの急な階段!


今の状態では瞼を開けていても、ミュラー筋が伸びているのでいつも緊張状態にあり脳に酸素が送られていない、青斑核が刺激しにくく、意思決定・記憶想起・情動のコントロールができない。



つまりそれは、腹内側前頭前野が刺激されずアルツハイマーにつながる。(ということだったと思う。)



私の場合すでにもう脳内に酸素が充分送られていないことが検査で明確になったので、急がないといけない。

日本に来て以来一気に歩数が増えた


先生のお話によると女性の場合アイメイクをするので、45歳ぐらいを過ぎると殆どの人の瞼の腱膜が瞼板から外れるそうだ。



プラス私はいつも目をこすっていた。



これも原因となる。



眼瞼下垂とアルツハイマーを結びつけた研究結果を発表したM先生は、今やアルツハイマー(ひそひそ・・・この部分がはっきり聞こえなかった)先生と呼ばれ始めているということだ。



もちろん眼筋手術を受けることの他に、自分でも努力することは必要です、と記憶力を高める方法などを話してくださった。



例えば駅名を記憶して、順番にそらんじてみる。





近いうちに手術を受けることにした。



そのことを書きたいのでこのシリーズは5回連載にしてもう1回書くことにします。




ところで、編み物などの手芸は眼瞼にいいそうだ。



何しろ下方向を見ながらの作業なので上方向を見る作業に比べて(もちろんスマホやパソコンなどを見ることよりも)眼筋を休めることになるらしい。

また始めるか?
怒涛の刺繍

2019年3月17日日曜日

驚愕の診断(眼瞼下垂症) 3/5

アルツハイマー・・・



それは私がこの世で一番恐ろしい言葉だ。



父がこの病気にかかった頃のことを覚えている。



2010年の2月、日本に滞在中の私は父の『xxが見つからない。』と探し物をする様子が尋常ではないと気がついたのだった。



その後入ったホームで幻覚症状を発症した父は、『殺される。』とホームから毎日何度も私や姉に電話してくるようになった。



ホームではもう対処できない、退所していただくかもしれません、と事あるごとに相談員Sさんにほのめかされるようになった。

東京駅グランスタから新幹線乗り換え口に行くエスカレーター
ここで父のホームの相談員Sさんから電話がかかってきたのだった
ここを通るたびにその頃の暗い気持ちを思い出す



父の父もアルツハイマー病にかかっていた。



だから私がアルツハイマー病にかかる可能性は大きいのだろう。



最近の物忘れはマフィン事件も含めて異常レベルだと思う。



「先生っ!私、アルツハイマーですかっ!!最近記憶にものすごく問題があるんです!」と唾を飛ばしながら聞く。



やはりそうか。



心臓はドキンドキンと大きく鼓動している。



胸から飛び出しそうなほど脈打っている。




先生は穏やかな笑顔で「あとで説明しますね。



まず検査結果をスクリーンで一緒に見ましょう、とおっしゃる。



この脳血流検査に使う器械はスポーツ医学では使われているが、まだ臨床検査道具としては使われていない。



先生は大学の特任教授としてヒト倫理委員会の許可を得て使われているということで、検査費用がかからない。



この検査では脳内のヘモグロビン変化がリアルタイムで見えるのだが、瞼を開ける時に生じる青斑核への刺激が、意思決定・記憶想起・情動のコントロールをしている腹内側前頭前野をどのように興奮させているかを血流の変化で診断するのだそうだ。



私の場合瞬きをする度に、右目からの信号が弱いのがグラフで見える。

M先生が時間をかけて説明してくださったが、
私の頭の中ではアルツハイマーという言葉がずっとこだまし続けていた



その前にした医療用重りを負荷して、瞼を開けられるかどうかの検査(噛みしめないように舌を少し出して行う)では、ミュラー筋を収縮させていない状態で、 腱膜が瞼板より外れていることで瞼が開けられない状態であることがわかった。



この場合瞼を開けた状態にしておくには努力が必要で、上眼瞼挙筋を強く収縮させていることにより、頭痛や眼精疲労が起こる。



そして上眼瞼挙筋の収縮を瞼板に伝えるために、ミュラー筋を収縮させる必要が出てくる。



このため歯を噛み締めたりすることで交感神経緊張が怒り、歯ぎしりや顎関節症を引き起こす可能性がある。他にも頭痛や肩こりなど他の多くの症状を誘発する。



これらをていねいに説明してくださったのだが、もちろん私は聞いた途端に忘れてしまうので、先生のサイトを見ながらここに書いた。




現時点で私がアルツハイマー病を発症しているのかどうかは、これらの検査からはわからないと思うが、これから発症する可能性はとても高いらしい。


眼瞼下垂の可能性を調べてもらうために行ったクリニックで、アルツハイマーの話につながったのは思いもよらない結論で、色々と自分のこれからの生活を変えないといけない、と思ったのだった。



この話に関してはもう少し説明しますので、お付き合い願います。

アメリカに帰ってから生活習慣を改善する前に
今のうちに急いで美味しいものを食べておくことにする

2019年3月16日土曜日

驚愕の診断(眼瞼下垂症) 2/5

M先生は大変感じの良い方だった。最大の特徴は柔和な表情にぴったりのソフトな喋り方だろう。が、あまりにソフトなのでしばし声が聞こえない。何度も聞き直さなければならなかった。

何ページもの問診票には私が一番気になる症状、つまり涙目を主訴として書き入れていたのだが、多分それはSUNCT(結膜充血および流涙を伴う短時間持続性片側神経痛様頭痛発作、極めて頻発する一側性の頭痛および自律神経活性化を特徴とするまれな疾患)でしょう、とおっしゃる。

涙腺が詰まっているのなら、さすがに今までに眼科で診断されたであろうし、やはりM先生の診断に納得が行く。が、これがまれな疾患であり、これから偏頭痛に移行する可能性があるのは怖い。


これが私の中では今までの一番の問題だった。


他に気になる症状と言えば、顎関節痛と眼精疲労。


これら全てが、そして肩こりなども眼瞼下垂が原因で起きているかもしれない、ということ。が、姉の診断のことを思い出す。黒目に瞼がかかっていない、眉毛が目から遠く離れていない、なら眼瞼下垂症ではない。





検査が始まった。


まずはサーモグラフィー検査。この検査により体温は35.3度、手足の指先とこめかみが青く光り、つまりこれらの部分が冷えていることがわかった。これは交感神経が緊張状態になっているということだ。

次にハイスピードカメラによる瞬目の評価。私がどのように瞬きをしているか、コマ送りで見られる。これで私は瞬きが多い、そして瞬きをした時目が完全に閉じられていないことがわかった。自分が瞬きをしているところをコマ送りで見てびっくり。瞼が90%ぐらい閉じた時点で、また開き始めている。特に右目は完全に閉まっている時が殆どない。


これではドライアイになってしまう。

M先生。「瞼が閉じていないのがわかりますか?・・ひそひそ(という感じに聞こえるほど先生の表情は柔らかく、話し方はソフト)・・・それにあなたは瞬きの回数がとても多いですね。ひそひそ・・・」

このあとの2つの検査で眼瞼下垂かどうか、白黒はっきりする。


そしてそのうちの一つ、脳内の状態を調べる検査結果をパソコンのスクリーンで見たM先生。ソフトなひそひそ声でおっしゃった。


『ひそひそ・・・このグラフを見ると、脳に・・・うむ・・・ひそひそ・・・前頭葉・・・アルツハイマー』


えっ!!(青ざめた声)やっぱりそうだったのか!!



今回の日本滞在初日の様子がもう
アルツハイマーの代表的な症状の一つを示している




食事をしたことを忘れて、すぐまた食べる

2019年3月15日金曜日

驚愕の診断(眼瞼下垂症) 1/5

3月7日にサンノゼ空港から飛んで8日に成田着。前日まで、私がいない間の家族(夫、次男夫婦)の夕食も作り冷凍したことで疲れ切った(夫は解凍して食べることはまずないが)。

下の写真以外にコリアンビーフバーベキューも作ったが、解凍しても食べられるものを想定して作った結果豚肉メニュー(そしてどれも同じ暗い色)が多かった。

豚肉と小松菜の炒め物

豚肉と3種キノコ

豚ひき肉とピーマンと茄子

豚ヒレ肉の西京焼き

豚肉と大根の炊いたん

鶏ひき肉とレンコン


今回の日本での一番の目的は眼瞼下垂の状態を診察してもらうことだ。浜松市で2年前に開業されたM先生は、それまでは信州大学の形成外科教授だった。現在眼瞼下垂症の権威として(ためして)ガッテンなどにも出演されている。

昨日の朝9時前のひかりで京都を出て浜松で降りる。11時半の予約。待合室には他に3人の患者さん、診察室に1人。待ち時間20分ぐらいで診察室に通される。

浜名湖を見ながら鰻に思いを馳せる

診察後浜松出身のKさんオススメの鰻炭亭に行く気満々だった


つい先週姉が京都で眼瞼専門のお医者さんに会い、眼瞼下垂症があるかどうか診察を受けた。眼瞼下垂の特徴である黒目に瞼がかかっている、眉毛が目から遠く離れている、という症状がないので眼瞼下垂症ではないという診断だった。私も瞼が黒目にかかっているとは言えないし、眉毛も目から離れていないような。となると眼瞼下垂症ではない?

M先生の診察室には40分ぐらいいただろうか。午後1時半の新幹線の指定券を取っていたが、とても間に合わない。午後2時半にギリギリ間に合うぐらいだろう。それにしてもお腹がすいた。グーグー鳴るお腹をなだめながら、幻のうなぎを頭に思い描きながら検査を受ける。

診察結果は驚くようなものだった。

ショックだった。詳しく書くことにする。

しかし一番ショックだったのは、浜松まで行ったのに
鰻を食べる時間もなくサンドイッチを新幹線で食べたことでしたな

2019年3月1日金曜日

日本国籍を喪失すること 2/2

息子たちは二人とも日本国籍を持っていて、彼らが小さい頃、私は息子たちの日本のパスポートで毎年1、2度日本に入国させていた。母が寝たきりだったので、私たちが会いに行くしかなかったからだ。

次男は日本に着いた翌日からアメリカに帰りたいと駄々をこねるので困った。日本に滞在する3週間どうにか楽しめることを見つけないと、と息子たちが興味を持てる場所を見つけるのに苦心した。博物館、海、プール、ポケモンワールド、USJ、信楽で陶器作り、コカコーラの工場見学など、少しでも日本のことを好きになってくれないかといつも考えていた。

それでもアメリカに帰国する頃には『もう日本には来たくない。』と次男は毎回言うのだった。長男がどう考えていたかわからないが、日本が楽しくて仕方ないという様子ではなかった。

なのに、現在長男は川崎市にある会社のシリコンバレー支部で働いている。そして次男も来週から4年間勤めている現在の会社の、日本支社の人事担当になったのだ。これから少なくとも年に3度の出張がある。

とても仲の良い二人
なんと前回集まった時は洋服もそっくりだった

長男とサキは4月にシンガポールと日本に旅行する。その日程に合わせて次男も出張の日程を調整して、3人で東京で食事する計画を立てている。成長するに従って二人とも日本が好きになっている。それは美味しい食べ物が理由ではない。日本の文化、というか空気が好きなのだ。

こんなことは予期していなかった。日本の良さを感じてくれるのはとても嬉しい。

私も日本がどんどん好きになっている。いつかまた日本に住みたくなるかもしれない。今私が日本に3ヶ月以上滞在したいなら、在留資格を取ればいいらしい。資格を取ると選挙権がないだけで、あとは日本国籍のある日本人となんら変わりはない。日本の医療保険もあるし銀行預金もできる。

長男、サキ、次男、マリー、ヒロとSan Ramonにできたモデルハウス訪問


在留資格は3年間、その後更新して計5年間在留できるということだ(この辺は正確ではないかも)。ただ、私が在留資格を取ることはないだろう、と思う理由がある。在留資格で日本に住んでいる私がある日突然死んだとする。その際私の財産(日本とアメリカにある財産)を相続する夫や息子たちは、日本の法律に則って相続税を払わないといけない。これは困る。

何故なら相続税は市場価格に基づいて計算されるからだ。ローンがいくら残っていても関係ない。カリフォルニアにある不動産は高騰していて、その市場価格で家族が相続税を払うことになるのは是非とも避けたい。

もしかしたらいずれまた日本に帰化して日本に住むということもあるかもしれない。揃える書類は多いし1年ぐらいはかかるかもしれないが、日本人の実子である私には簡単らしい。

こう考えて日本国籍喪失届を提出してしまったことへの悲しさに折り合いをつけている。もしかしたら、もしかしたら、と夢がふくらんでいく。

が、とりあえずは二人の息子たちの活躍を期待することにする。

運び屋として