2020年11月26日木曜日

英語を話すということ 1/3 愛の行方

この話の一部は6.7年前の記事に一度書いたことがある。


が、もう一度少し形を変えて書くことにした。


また同じ話を〜と思われた方、ちょっと我慢して聞いてくださいね。




40年前の春、初めてアメリカの地を踏んだ。


サンノゼ大学でESLのクラスを9ヶ月とるコースで、留学というよりは遊学。



当時のサンノゼにはビルもなく、舗装されていないダウンタウンを歩くのは大変で、石ころと空き地だらけのダウンタウンには、たくさんの売春婦が立っていた。


シリコンバレーと呼ばれるようになったのはずっと後のことだ。



9ヶ月英語を学ぶことで流暢な英語が喋れるようになり、日本に帰国すればどんな仕事でもあるだろう、と思っていた私はなんとおめでたい人間だったのか。


それも英語なんか全くしゃべれなかったのに。

日本からサンノゼに来て3週目にディズニーランド旅行に当選して行ったが、
この頃他のどの日本人学生よりも英語ができなかった


私はとんでもない思い違いをしていたのだった。


英語が全くしゃべれないまま、9ヶ月コースは終わった。


さて、これからどうする?



そんな時、住んでいたアパートのすぐそばに秘書養成学校があることを知り、そこに行くことにした。


13ヶ月のコースがすんだあと学校の事務局から仕事を紹介してもらい、Univacというコンピューターの会社で働き始めた。


ヒヤリングはできるが、英語はまだまだしゃべれない。


発音も悪い。


なのに、秘書として一日中電話を取り次ぐ仕事をすることになった。



当然電話の向こうにいる人は私の英語がわからない。なにしろ私の所属する部署Facilitiesという言葉さえちゃんと発音できない。



電話をかけてきた人は私の"Facilities(部署の名前)"という最初の一言が理解できない。


"I beg your pardon."と言われてめげるの、なんの。




そんな日が続き、日曜日の夕方になると胃が痛み始めた。


明日の朝また仕事に行かないといけない。


英語の発音が悪い自分が、なぜ電話で話す仕事をしてるんだ。もう辞めたい。



そのことばかり考えて眠れない。が、夜は明ける。


月曜日の朝重い足を引きずって会社に行った。



ある日私をいつも指導してくれていた秘書ルイーズの、3歳のお嬢ちゃんが職場に遊びに来た。


3歳の女の子はまあよくしゃべる。3歳なのに英語がペラペラかあ。当たり前だけど・・・



突然私の脳の中に灯りが点った。



待てよ、あの子は今3歳。3歳であれだけしゃべることができる。


ってことは私がアメリカに来た日を生まれた日と考えれば、今2歳。3歳になるまでにあと1年ある。


その1年で英語がペラペラになってあの子と同じようにしゃべれるはずだ。



それに『石の上にも3年』ということわざがあるではないか。


2年でしゃべれるはずがない。


何事も3年努力することが必要なんだ。



その日から全身耳になり、周りの英語を吸収しようと努力した。


すると自分の英語がどれだけなまっていたかわかり始めた。


時々職場に電話をしてくれていた日本人の友人F田君と話す時、英語も交えて話してみる。


F田君は『お、どないしたん。発音がネイティブっぽくなってきとるやん。』と言う。

上の写真に比べると、アメリカ女子っぽくなっているその頃の私(下は姉)


俄然自信がついてきた。


Facilitiesと電話に出ると誰もPardonと言わなくなった。


この人生の転機は一生忘れられない思い出なのだが、忘れたのはその時3歳の女の子がどういう語彙を持ち、どういう話し方をしていたか、だった。


それは最近になり解明された。

このところ突然寒くなり、ガーデンチェアのクッションも仕舞った


ヒロが3歳を過ぎて、英語の構文が飛躍的に発達したのだ。


お風呂の中で遊んでいるヒロの頭の上に、誤って私がお湯をかけてしまった時のことだ。


眉をしかめて私を睨むヒロ。"What did you do that for?"と言う。


そうか。3歳児はここまでの文を作ることができるのか。


感心した私はなんだか嬉しくなったのでヒロを抱きしめた。


そしてI love you.と言った。


ヒロは困ったように下を向いてつぶやく。


"Noooo, I love my mommy." だそうな。

愛が拒絶された瞬間

4 件のコメント:

  1. やはり特に男の子はママ大好き人間ですよね。mikimieさんのご子息達もそうだったのでは?うちの孫もどんなに遊んでも、大好きな物を作っても最後はママママでした。

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    1. nonohanaさん、
      nonohanaさんも同じ悲哀を味わってらしたんですね^^
      確かにうちの息子たちもママ一筋でしたね。
      なのに、今は奥さん一筋になるのだから(当たり前ですが)、愛を独占したのはほんのひとときなんですね。
      nonohanaさんがおっしゃった終身刑、という言葉が最近よく頭に浮かびます。
      マコトに終身刑だ!

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    2. 本当にこの終身刑と言う表現は言い得て妙ですよね。若者は問題に直面しても、気力、体力、希望があるので乗り越えていけるけど、それを見守る親世代はその全てが減少傾向なので、身体が持ちません(笑)自分の親たちも同じ道を辿ったのでしょうか。太古の昔から親ってそうだったのかも知れませんね。でも感謝祭に皆さんで食卓を囲めるなんてmikimieさんはお幸せだと思いますよ!

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    3. おお!nonohanaさん、
      なぜかこのコメントがお知らせメールで来ていませんでした。お返事遅れて申し訳ありません。

      そうなんですよ。若者は気力も体力も充実しているし、希望を持って先を見ることができますよね。
      親世代は本当に身体がもちません。希望を持って家のリモデルのことを話されても、私にはそれを手伝ってあげる体力も気力も残ってない。そういうところからも感じます。
      今になって自分の親の悲哀を感じます。子供も60代70代の親ってまだまだ若いと感じて、頼ってしまうのでしょうね。

      長男義母が本当にいい方で、食事会の時など率先して片付けてくださるし、穏やかな方でつくづくいい親戚ができて良かったと思っています。

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