2016年4月22日金曜日

変化

父は自分の保険証のコピー、銀行からの通知、ATMレシートなどなどを決して捨てない人だったので、シュレッダーにかけたい書類が大量にある。



毎日うつむいてその作業をしていたら、疲れてしまった。



どうも作業に集中したせいで肩がパンパンになってしまい、それが不調につながってしまったようだ。



だから水曜日木曜日と2日間ホームに行けなかった。



火曜日のワイワイ広場のあと、父は少し不安定な状態だったから今朝は心配だった。



が、父はとても穏やかだった。



朝食も完食しよく眠れている、とスタッフのS田さんがすぐ報告に来てくれる。



20代であろうこのS田さんは、本当に頼りになる人だ。



いつも思うのだが、信頼できるかどうかは年齢には関係ない。



こういうスタッフがいるから、安心して父をホームに任せることができる。



整理していて出てきた写真を父に見せた。



この中でどれが自分かわかるか、と聞くと、父はメガネを2本の指で上げて興味を持って見ている。



右端、と指差す。



正解だ。



次の写真を見せる。




左端、とやはりすぐわかる。



父が言うには、自分の写真は必ず体が傾いているからすぐわかるのだ、ということだ。



これはどうもこの2枚の写真を見たことで、取ってつけた理由のように聞こえる。



が、もしかしたら真実なのかもしれない。



昭和41年に九州旅行に行った時の写真だと書いてあるよ、と言うと『ほう〜』ともう一度写真を見つめる。



写真を見る限り、父が以前言っていた『自分は誰よりも背が高かったので・・・』という言葉はあながち嘘ではなかったのかもしれない。



そういえば戦友会の写真を見ても父は他の戦友に比べて背が高いようだ。



これは阿蘇山で撮ったと説明がついている、と見せながら熊本の地震について話す。



が、相槌は打っていても地震のことは父の頭の中に浸透して行かないようだ。

1963年(40歳)の父

2012年(89歳)の父
つまり、上の写真のほぼ50年後
人間はこのように縮むのか



多分2年前なら阿蘇山旅行のことも覚えていただろう。



新しい記憶はなくとも、古い記憶はずっと残るのが認知症だ。



なので、不思議なことに父は自分の姉の名前はよく覚えているのに、一番親しかった12歳年下の妹の名前は思い出せないのだ。




とにかくあまりにも単調な父の毎日。



こうして何か興味をひくような物を持って行って見せることで、父の脳を活性化させたい。



父と過ごす時間はあと1週間しかない。



次に京都に帰ってきた時(2ヶ月後)、父の認知症はどこまで進行しているのだろうか。

穏やかだった今日の父


環境の変化には対応できない父だが、ちょっとした刺激や変化は必要だ。


今日は父の左側から写真を撮ってみた
(ちょっとした変化)