「サンフランシスコ」と言うと、へえええ!そんな遠いところから来たんか、と目を丸くする。
そして10秒後には同じ質問をする。
母の死も覚えていない。
だから一緒に歌をうたったり、戦争中の話をする。
が、帰るのは一苦労だ。
父はもっといてほしい、と顔をくしゃくしゃにして懇願する。
それがうっとうしくてたまらない。
父のためにアメリカに家族を置いて日本に来て、1日おきに父を訪問するのにと思うとイライラする。
そして父のホームに行ってない時は、父の家の修理のために業者に連絡したり、工事を見守ったりする。
自分の家でもないのに、と思うと怒りの感情がわいてくる。
それでも整理しているうちに悲しくなる。
父がついこの前までは認知症の症状もなく、普通に話せていたのにと思うと寂しい。
今日出てきたこの本。
アルツハイマーの症状に気がついたのは2010年2月。
少しずつ進行したが、この2013年2月のメモ帳には毎日かなり記録している。
このページには、こう書いてある。
『右耳このところ変。近くの病院休みでT病院まで行った。行って良かった。いろいろな治療が有効』とある。
今の父からは考えられない。
2年前は、ちゃんと日記を書くことができていたことにびっくりする。
今は ペンを持つということすらしない。あんなに一日中メモばかりしていたのに。
来年の今頃は娘のこともわからないのだろう。
今は ペンを持つということすらしない。あんなに一日中メモばかりしていたのに。
2014年の手帳を父が開くことは一度もなかった |
来年の今頃は娘のこともわからないのだろう。