今父は一番安定している時と言えよう。
2年前のような幻覚症状もなく、抗不安剤も服用をやめることができ、認知症は進行してはいるが今の所大きな問題もない。
森先生の父への質問は『ご飯が食べられますか。寝られますか。』だけ。
父は大きな声で『はい、おいしく食べられます。よく寝られます。』と答えた。
先生のスタッフへの質問は、父が夜何時に寝て朝は何時に起きるかということだけだった。
父は夕食が終わると7時頃には寝る。
朝は7時から9時の間に起きる。
つまり、1日の半分は寝ているということになりますね、と言いながら先生はパソコンで所見を入力する。
診察は3分で終わった。
夕食がすんだらすることがないから、父は寝るのだ。
最近痩せたが絶好調の父
夕食がすんだらすることがないから、父は寝るのだ。
哀れだが、だからといって毎日夜父の所に行ってしゃべってあげることはもうできない。
去年までそれを毎晩したが、それは肉体的にも精神的にも疲労してしまう。
もう自分の身体を優先することにした。
最近は一日置きに午後父を訪問して、思い出話をしたり歌を歌ったりする。
その間父は訪問歯科医に作ってもらった新しい入れ歯を、数分おきに口から出してしまう。
口に戻すように言うと納得して入れるのだが、すぐ忘れてまた出してしまう。
父を訪問しない時は引き続き父のガラクタを片付けている。
父はタメコミアンで、とにかくものを捨てない人だった。
だから、家の中はどの部屋も天井までものが詰め込まれていた。
思えば父が家にいた頃、物を捨てようとすると、かなり父の抵抗にあった。
小さな物一つ捨てるのも大変で、毎日イライラした。
間違ったアプローチをしていたのだ。
物がなかった時代を生きて来た父は、捨てることに罪悪感を持つ。
『捨てる』という言葉は使ってはいけないのだ。
『選ぶ』という言葉を使う方がすんなり受け入れてもらえるらしい。
親の物の片付けは死後よりも生前の方がいいと聞いた。
そうだろうな、と思う。
死後だとあまりにもつらい。
一つ一つの物に親の思いがあるわけだから、手に取るのは悲しいだろうなとわかる。
何を見ても父の感情が伝わってくる。
父は手帳が大好きで、家の中には300冊はあっただろう。
杖も10本ぐらいあった これは替えがないと心配だから、たくさん用意していたのだろう 父の感情は『不安』 |
過去40年以上のカメラ年鑑 カメラや本の収集は父の趣味だった これは『愉快』という感情? |
20冊ほどを残して残りは捨てた。
そして10本以上あったこれ・・・
『孤独』? |