家族4人招待されていた。
が、長男は自分のガールフレンドSの家で、Sの母と3人で食事をする、といつものように日曜日の夜中まで帰らないと言いながら出かけて行った。
長男がいないのはなんとも寂しい。
あ〜あ、こっちに来ればいいのに、という気持ちが心の奥底に残っていたのだろう。
マリーの家には20人以上集まっていたが、誰も彼もが温かい人たちで居心地がよく、いつまでも帰りたくないぐらいだった。
笑わない瞬間がないほど、皆がとことん明るい。
マリーの底抜けの明るさはこの中で培われたのだなあ、と納得する。
前日次男と二人だけの時に話したのだが、次男はいずれマリーと結婚して、自分の両親(つまり私と夫)と一緒に住みたいと思っているらしい。
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今回持って行ったものはチキンとビーフのバーベキューと |
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赤ワイン2本と白ワイン1本 |
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ハム、ターキー、スープ、スタッフィング、麺類、パン、数々のデザート |
サンフランシスコのコンドーを売って、郊外に離れのある家かマスターベットルームが2つある家を買って一緒に住もうと言う。
マリーもそういう夢を持っているということだ。
共稼ぎ、母がお料理をして子守りをしながら待っている、という図を思い描いているのだろう。
そう言ってくれるのはとても嬉しいが、二つの問題がある。
一つ目はマリーが気を使うだろうから、いい関係を保つために一緒には住みたくないこと。
二つ目はやはり縛られる生活をしたくないことだ。
それにいずれは日本にも拠点がほしいなあ、と思っているところだ。
真夏と真冬はサンフランシスに住みながら、日本の便利さを楽しみながらおいしいものを食べるという生活、一応そういう夢を持っているわけだ。
マリーの家にいた小さな子供たちはかわいいが、やはり孫がほしいという気持ちは全くない。
自分の子供が産まれるまでは、子供もほしいとは思わなかった。
なのに産まれた途端、目の中に入れても痛くないというのはこういう存在なのかとびっくりした。
だから、孫は孫でかわいいのだろう。
それでも、やはり自由でいたい。
孫の子守りがあるから友人と会うのもやめて帰らないといけない、という生活は想像できない。
次男は家に住んでいないが、長男がいない週末など食事作りから解放されて、本当に楽になったもんだ、とやっと自由を謳歌し始めたところなのに・・・
大きな箱に入ったツリーと飾りを夫に半地下から出してもらって、毎年忘れてしまう組み立て方をどうにか思い出してツリーができた。
こんなに簡単な組み立て方を来年は忘れるもんか、と思うのに毎年忘れている。
疲れた。
もう飾りをつける気力が残っていない。
息子たちが幼い時は嬉々として飾りをつけてくれたものだが、今は友人たちと出かけるのに忙しい。