2014年6月30日月曜日

車を売る

次男の車が不要になった。



サンフランシスコでは車は必要ない。



駐車料金も高い。



あれば便利だが、なくても充分生活できる。



だから売ることにした。





こちらで物を売買する時はCraig's List(クレッグズリスト)というサイトを使う事が多い。



不要のコンピューター、家具、楽器、ルームメイト募集、売り家、借家、ペットなどなど何でも売り買いするサイトだ。



次男がこのクレッグズリストに広告を出した。



2001年BMW。エクステリアは白、インテリアは黒(珍しいコンビネーション)。



マニュアル車。



走行距離224,222㌔m。



事故歴なし。



インテリアに穴、汚れ、傷なし。



特別仕様リスト。



6800㌦。値引きなし。と説明文には書いてある。



極端な値下げ交渉はしないでください、とも書いてある。



日本語で言うと長いが英語だと、No low baller, please.だ。



こう書いておかないと4000㌦で買いたい、なんてメールがどんどん入って来る。

近所の公園で写真を撮った
他にも内装など5枚広告に載せる



ざっと調べてみたところ、日本での同じ車の査定価格は10万㌔の走行距離で10万円ぐらいのようだ。



だからその2倍以上の走行距離の車を7倍の金額で売ろうとしている、ということになる。



アメリカには車を買ったら20万㌔や30万㌔ぐらい走るまで使う、という人は多い。



我が家もそうだ。





新しいBMWは勿論高いが、これは中古で買って中古で売るので、バイヤーは3人目の持ち主となる。



だから、次男がこの走行距離で6800㌦で広告を出したことにはびっくりした。



さすがに車は古いしそんなに価値があるようには見えない。




アメリカで自分の車を売りたい場合、中古車ディーラーに持って行って買い取ってもらうことはできる。



が、その場合は勿論安く買いたたかれる。



だからクレッグズリスト、eBayなどのサイトが大活躍する。



特にクレッグズリストは仲介料が発生しないのだから、売る方も買う方も得する。



考えてみると今まで何度こうして車を売りに出したことか。



そのうち2度は忘れられない事件があった。



1度目は20年以上前にトラックを売った時だ。確か1500㌦ぐらいで出したのだった。



アジア人の男性が3人でやって来た。



試運転をしてみたい、と言う。



この3人はどうも人相が悪い、というか余り態度がよくない。



我が家の前庭でタバコを吸ってポイ捨てしたり。



まあ、いいだろう。その辺を走ってみてください。

我が家は車を置く場所が狭い
こうして車庫扉ぎりぎりまで
鼻先をくっつけて駐車していた



3人は自分たちの車を置いてトラックに乗り込んで去って行った。



さて、1時間たっても2時間たっても帰って来ない。



普通試運転というのは長くても20分だ。



盗まれたのだろうと思い警察に電話した。



が、警察だって今の時点では何もできない。




3人が帰って来たのは2時間半たってからだった。



こちらの文句にもニヤニヤするだけで動じない。



この3人はどうやらトラックを使って一仕事してきたらしい。



つまり自分たちにトラックが必要な理由があり、そのために我が家のトラックを使ったのだ。



3人は『試運転してみた結果ほしくない。』という理由をつけて去って行った。



これ以降試運転してもらう時は、一緒に車に乗り込んで行く事にするか、信頼できると思った人の場合だけ、乗ってきた車を置いて自分たちだけで行ってもらう事にした。



2度目の事件は夫のアホさから起きた。



なにしろ夫はウソというものがつけない。



思っていることが全て顔に出る。



悪意のない失言も多い。

バイヤーは自分の車を置いて試運転に行く



車を売る時は勿論『車の問題は全てお知らせします。が、中古車ですので、あなたが買ってからの問題に関しては責任を負いかねます。』というのが基本的な姿勢だ。



私たちが車を売る時は、修理して故障がない状態にしておく。



その上それまでどんな問題があったか、どういうお店でいくら払って修理したか、という記録を全て印刷して渡す。



だから問題はないはずだ。



この時売ったのは4ドアセダン。



バイヤーはイーストベイの高校の校長先生とその奥さんだった。



夫婦で「問題はないんですね。本当ですね。」と何度も聞く。



余りにしつこいので、夫は夫婦に向かって「問題は全くありません。あれば返品してください。」と口をすべらした。



横で聞いていた私は「アチャ〜。」と思った。



それは中古車を売る際絶対言ってはいけない。



禁句も禁句、トップクラスの禁句だ。



説明、交渉、試運転、書類手続きと車の売買は時間がかかる。



バイヤーも延々と悩んでやっと決めてくれる。



そのあと、やっと売れたと思っているのに返しに来られる、なんて最悪のケースだ。



当然のように、彼らは1時間後に電話して来た。



「返します。」だ。




この時は問題があったわけではなく、買ったあと奥さんの方が『やっぱりこの車よりも他の車を買った方がいいんじゃないか。』と思い始めたのだ。



Buyer's Remorse(バイヤーズリモース)という買ったあとの後悔、つまり高額の購入をしたあと『これで良かったんだろうか。』と思い悩む、よくあるバイヤーの感情だ。



何度か電話で話した結果、校長先生の方が奥さんを説得して、無事返品には来なかった。

取引は現金か銀行発行の小切手
こんなに多額の現金を見たの初めて


夫の妹に至ってはもっと大変な事件があった。



車を売りに出した時、試運転に来た男性が『試運転の間は、自分の車をあなたの家の前に置いておきます。』と言って義妹の車に乗り込んで走り去った。



家の前には彼が乗って来た車が置いてあるのだから大丈夫、と思っていたが、実はその車の中にはもう一人の男性が隠れていたのだ。



隠れていた男性が、乗って来た車を運転して去ってしまった。



これは後に犯人が見つかったが、こうして車を自分で売るというのは大変なことなのだ。




今回車を見に来た親子は一目見て気に入って言い値で買ってくれた。



高校を卒業したばかりの息子が広告の写真を見て恋してしまい、どうしてもほしいと思ったということ。



これはとてもラッキーだった。



次男はこの車をオートショーに出したりしていた。



この車につぎ込んだ時間と労力はかなりのものらしい。



思い入れのある車。思い入れがあるからなかなか売らなかった。



でも、この車が現在の仕事につながっているとも言える。



この転職についてはまたゆっくり書きたい。



ところで車が簡単に売れたことに気を良くした次男が将来ほしいのはこれ、と写真が送られて来た。



また中古で買うそうだが、写真を見て『アホか』と思う。

若いのう

2014年6月29日日曜日

母からのメッセージ

斎場には行かないつもりだった。



母を荼毘に付す。



そんな事実を受け入れるのは無理だ。



目の前で母を火葬にしてしまう。



余りのショックで立っていることさえできないだろう。



だから父と二人で家に残ることを決めていた。




姉は『大丈夫、私一人で行くから』と言ってくれた。



父が行けないのは仕方ないことだろう。



お葬式も家族だけでした。



3人で介護してきたのだ。



3人だけでお別れしたかった。


お天気のいい日、母をよく
縁側で日光浴させてあげた



火葬の前夜、やはり明日は姉と二人で斎場に行こうと決めた。



お茶目な母のことだ。



母の明るさで我が家はいつも笑いに満ちていたのだ。



もしかしたら、最後に何かいたずらをするかもしれないではないか。



確かめたくなった。





母のお棺が車に運び込まれる時が来た。



父が黒いスーツとネクタイ姿で玄関に出て来た。



そして、お棺に向かって最敬礼をした。



それが、42年間介護し続けて来た母との別れだった。




2010年の夏は酷暑だった。



私は日本で体調を崩し7月末にサンノゼに帰って来たが、父と姉は38度が続く京都で母を介護した。



母にはいつも誰かがついていないといけない。



1分も母を一人にすることはできないのだ。



夜も15分おきに起きないといけないことが多い、過酷な介護の日々。



姉は思った。



『この夏誰かが死ぬ。』





母が荼毘に付された日は9月27日。



やっと涼しくなった日だった。



母と最後のお別れをしたあと、斎場の待合室で姉と二人、外の木々を見ながら待った。



木々が葉ずれの音を立てていた。



サラサラ、サラサラ、サラサラ。




その音を聞いていると穏やかな気持ちになって来た。



斎場で母を待つ間苦しくてたまらないだろうな、と思っていたのに。



木々を見ているうちに、母の死は仕方なかったのかもしれない、と受け入れられるようになった。



小さな葬儀屋さんに頼んだお葬式だった。



準備ができました、と葬儀屋のJさんが呼びに来てくれた。



いよいよ、母と対面するのだ。




母は黒い鉄の板の上にいた。



母のことだ。



何か楽しい気分にさせてくれるに違いない。



母の顎と歯はしっかり残っていて、まるでアカンベーをしているようだ。



姉とその顔を見て泣きながら笑った。



やっぱりなあ、まるで笑うてるやん。





母の骨を拾う。



その時突然目の中に、一つだけ色の違う小さな骨が飛び込んで来た。


薄いブルーグレーのような色だ。



とてもかわいい形をしている。



よく見るとそれは足袋の形をしていた。




Jさんが「あっ!」と声を出した。



「これは観音様の足袋と言いまして、成仏された時にこの骨が残ると言われています。お母さまはこの足袋をはいて、今旅立たれるんですね。」と言う。



優しいJさんが家族を慰めるために、その場で作った話なのかもしれない。



でも、嬉しかった。





38歳の時に薬害で視力を失い下半身不随になった母。



最後の10年間は舌の麻痺のためしゃべることもできず、右手だけがかろうじて少し動かせた母。


母のために作ってもらった木の車椅子
母は1年も使うことなく逝ってしまった




『ふふふ、私、やっと歩けるのよ。』という、母からの最後のメッセージだったのかもしれない。

2014年6月28日土曜日

治療費

術後初めて気分のよい朝だ。



血尿は出るけど、昨日のような腰を抜かしそうなものでもなく、食欲も出て来た。



昨日まではあんなにつらかったのに、突然回復した感じ。



病院からメールが入っている。



手術の自己負担分20㌦の請求書だ。



今回の腎臓結石の治療費用を調べてみることにした。




初めて血尿が出た翌日の診察代 197㌦
その日の尿検査 14㌦
その後の詳細な尿検査 151㌦
レントゲン 111㌦
CT検査 994㌦
救急での診察代 197㌦
尿検査 18㌦
泌尿器科医診察代 636㌦
手術前血液検査 156㌦
心電図 96㌦
衝撃波結石破砕手術 4139㌦
尿管ステント 1066㌦


手術?の日、受付でチェックインする


計7775㌦。



まだ来週の診察もありこれで終わりではないが、手術費用は2万㌦ぐらいを予想していたので、思いのほか安かった。



自己負担は診察のたびに20㌦なので、全部で80㌦かかったが、総額の1%だ。



保険会社に感謝したくなる。




病院からも感謝されたらしい。



サンキューカードが送られて来た。



看護師さんたち数人のサインがある。

う〜ん。



普通はGet Well Card(お見舞い状)でしょう。

7775㌦ありがとう、ってか?

2014年6月27日金曜日

今日の友

昨日は結局一日動けず。夜はよく寝られたのだが、今朝一番にトイレで怒濤の血尿。



トイレの中いっぱいに広がる黒く見える血に、腰が抜けそうになった。

イメージとしては、この大きさの血が目の前に拡がった感じ



お医者さんに電話すると、大丈夫、とにかく水分を摂ってくださいということだ。



大丈夫、ってホントなのだろうか。



まるで黒いフライパンがトイレに落ちたような、そんな血尿だった(この表現、変?)。



まあ、でもそんなものなのだろう。



しばらくすると、砂のような石が10個ぐらいバラバラと出て来た。



とにかく水分を摂るしかない。



今日も一日起き上がることもできない。



友人が仕事のあとお見舞いに来てくれると言ってくれたが、断った。



嬉しいが、今日はただただ寝ていたい。





父が気になるが、姉からの報告によると変わりはないということだ。



しかも、食事は今までの形の全くないゼリー状のものから、また固形に戻してもらったということ。



アンパンやサンドイッチも食べられる父なのだ。



ゼリー状の食事ではいくらなんでもかわいそうで、このところ姉と固形食に戻すことを相談していたのだった。

薬はゼリーで飲む


こう言ってはなんだが、父のホームの食事はまずい。



びっくりするほどまずいのだ。



薄味にしてある、というのとはまた違うまずさで、いつも気になっていた。



人生の最後の数年をこんなまずいものを食べる毎日では、いくらなんでも父がかわいそうなのではないだろうか、と。



食べるということは、人間の大きな楽しみのはずだから。



が、いつも最終的には同じ結論に辿り着く。



父のようなむずかしい人を介護してくれるホームに、どうして文句が言えようか。



食事がまずいのなら、家族がおいしいものを持って行ってあげればいいのだ。



だから、姉は毎晩鰻やお饅頭を持って行ってあげているようだ。



この前は夕食後に、姉の作ったカレーを完食したということ。

食べたことはすぐ忘れる


そして、姉は父と四文字熟語の練習と引き算や尻取りをして帰る。



そうすると父は気分が高揚して、姉もホームをスムーズに出られるそうだ。



それがうまくいかない時、父は『帰らないでほしい。』と懇願する。



姉は仕事から急いで帰宅してアプの世話をして、1時間後にホームに行く。



ホームで1時間過ごしたあとは、一刻も早く帰りアプを散歩に連れて行ってやりたい。



そういうのを聞くと、早く帰ってあげたいと思う。



だから、水分を摂る。摂って摂って摂りまくり、石を出して再来週辺りは日本に行かねば。

今日のお友達
糖分34㌘のスポーツドリンク

2014年6月26日木曜日

五臓六腑

昨日の『手術』後は楽勝、楽勝〜と思っていたが、夕方4時頃から痛みが始まった。



鈍痛だ。



この前の水腎症の時の痛みに似ている。



トイレにもひっきりなしに行きたい。



行くと毎回血尿だ。



お風呂に入ることで楽になるのだが、タイミング悪くwater heater(温水器)が壊れたので、ぬるいお湯しかない。

熱いお湯がないので
T-falで熱湯を作っていれた


今日も同じ症状が続いている上、朝から胃が痛い。



日本にも早く行きたいのだが、今のこの状態ではフライトを予約するのも億劫だ。




このところ西洋医学を信用できなくなりつつある。



どこか悪い所があると、的を絞っての治療は西洋医学の分野だろう。



でも、体全体を一つのものと見て体調を整えていくこという予防医学ではない。



だから中国の医学とか日本の漢方にとても興味がある。


これは週末のサンフランシスコで見た
チャイナタウンの大道芸人
癒される?



中国の医学、中医学は身体の中の五臓六腑がちゃんと機能していることで、それぞれがお互いに影響し合ってバランスを取ると考えるらしい。



だから、頭痛の原因は内臓に起因しているのではないか、と考えたり、足の冷えがめまいに影響を与えているのではないか、と考えたりする。



いつも行くこちらの病院でそんなことを訴えても、受け入れてもらえるものではない。



中医学では腎臓結石なんかも手術に頼るのではなく、腎臓の反射区というつぼを抑えたりすることで、自然に排石することを試みたりするらしい。



でもこの辺りで中医学のお医者さんはいるのだろうか。



納得できる整体治療を受けることはできるのだろうか。



わからない。
好きな中華のお店Chef Chu



だから、今週末はせめて中華料理を食べよう。

2014年6月25日水曜日

体外衝撃波結石破砕術治療が終わった

サンノゼの朝は寒い。



まだ少し薄暗い中6時前に家を出て病院に行く。



6時半チェックイン。



今日は体外衝撃波破砕手術の日だ。



待合室で待っていると看護師さんが来て、準備室に案内される。



身長と体重を測ったあと、着ているものを全部脱いでガウンとソックスに着替えてください、と言われる。

病院1階の手術センター


「全部ですか?下着も?」と確認する。



「全部。」と言われて観念する。



その後髪の毛をシャワーキャップで包み、足には血圧計のベルトのようなチューブを巻かれる。



1分おきぐらいにこれがふくらんだりへこんだり、足の血行でも促進しているのだろうか。



点滴も始まり看護師さんが隣に座って、パソコンで情報を入力し始める。

準備室に案内される


気分はどうか、最後に飲食したのはいつか、飲酒、喫煙の習慣など。



冗談を交えながら話したあと、温めてある毛布を2枚かけてくれて、看護師さん退場。



退室というよりも、なんだか皆堂々と嬉しそうに、入場、退場!という感じ。



次に麻酔医入場。



60歳前後の女医さんだ。



麻酔の手順、今まで麻酔をしたことがあるか、などの質問に答えて5分ほど談笑。



「顎を上げてみて、下げてみて」と私が上下左右に動かすのをじっと見つめる。



あなたよく動くわね、ストレッチしてるんでしょ、と笑う。



はい、しています、とウソをつく。



すこぶる感じのいい人だ。



この女医さんは手術中ずっと横にいるということ。



退場。




次にドクターF入場。



治療について、その後のケアの仕方など。



治療中の放射能の被爆量について聞いてみた。



レントゲンはほんの短時間撮影しながら、石の位置などを確認するだけだから、被爆量は少ないということ。

待合室のモニターで各患者の
状況が刻々とアップデートされる


7時半ピッタリに手術室にストレッチャーで連れて行かれた。



ストレッチャーから隣の台に移動して寝転んだ途端に、意識がなくなる。



次に目が覚めたのはストレッチャーの上で、時計を見ると8時半だった。



その間の記憶は皆無。「もう終わったんですか。」と聞くと終わりましたよ〜、という返事。



ウッソ〜、と思う。



準備室にまた戻り、トイレに行く。



血尿。




しばらく休んでいる間に、またトイレに行きたくなる。



また血尿。



その間ドクターFが待合室の夫に会って、「全てうまく行きました。石は粉々になっているはず。」などの説明があったらしい。



5日後にドクターFの診断を受けておしまい。




とにかく全身麻酔はやはり楽だなあ、と思った。



いつの間にか寝てしまい、気がついたら全てが終わっている。



それも熟睡できたような爽快感。



が、つらいのは頻尿。


ステントが入っているから、青い紐を引っ張らないようにね、と看護師さんから説明を受けたあと、車椅子で車まで送ってもらい、10時帰宅。



帰った途端、またトイレに走る。




のぞいてみた。



青い紐が2本ぶら下がっている。

や、やっぱりそうだったのか!

2014年6月24日火曜日

ステント

夕べ啓示があった。



シャワーのあとタオルで身体を拭いていた時だ。



体外衝撃波破砕術治療の際はもしかして裸にガウン(そりゃそうでしょう)?などと考えながら、バスルームの大きな鏡をぼんやりと見ていた時だ。



これがステント



治療のあと尿管ステントを5日間留置しておきます、と言われたのだった。



尿管ステントというのはどこから入れるんだろう、という疑問が突然振って湧いてきたのだ。



まあ、これは疑問であって啓示ではないが、余りにも突然だ。



ステント留置のことを言われた時は、膀胱炎のような症状になるのがいやだなあ、と思った。



が、ステントをどこから入れるのか、ということは考えてもみなかった。



おへそから入れるわけではあるまい。



勿論鼻の穴からでもないだろう。




洋服を着たあとパソコンで調べてみた。



尿管ステントの入れ方、なんて検索したりして。しかし、はっきりとは書いてない。



動画はあった。





つまり常識なのだろう。



ここ30年間女医さんにしか診察してもらっていないから、男性医師に処置されることを考えただけで青ざめる。



友人Yに言うと、「あのねえ、そんなの医者にとってはただの『モノ』、『モノ』なんだから大丈夫。気にしない。」ということだ。



そりゃそうなんだけど、こっ恥ずかしい。

友人Yの庭でできたプラム
激甘


う〜ん、う〜ん。

いつも行く病院
手術準備室がいくつか並んでいる



やっぱり全身麻酔で良かった。

2014年6月23日月曜日

手術

かかりつけの病院からお知らせが来た。



結石破砕手術とその後の尿管ステントに関しては、保険会社から支払いが承認されたという内容だ。

体外衝撃波結石破砕機



手術手術と言うが、これは治療であって手術ではない。



日本では痛み止めを使う場合もあります、と書いてあるのにこちらでは全身麻酔までするのだ。



友人Y子が言う。



全身麻酔するのはアメリカ人が我慢しない人種だからよ、多分、と。



ふむ、一理あるなとも思った。

石が粉々になる
(はず)



色々なことに我慢強くないアメリカ人は日本人よりも多い、と独断と偏見で考える。



日本人は耐える民族だ。



歯医者さんでだって散々治療の痛みに耐えて来た。



だから、こちらでちょっとした治療の痛みを感じてもなんともない。



私を治療しているドクターHに、助手のタミーがささやく。



「ほら、彼女を見てごらんなさい。顔の筋肉一つ動かさない。」



だから模範的な患者と呼ばれる。



これぐらいの痛みで他の患者はどこまで騒いでいるのだろう、と思った。



そういえば出産の時も、周りの陣痛室から聞こえて来る阿鼻叫喚の中で、私は一人『ククククク』と耐えていた。


Yは続ける。



「手術中にちょっとでも痛みがあったら、アメリカ人は大騒ぎするんでしょ。だから、そうなった時対処が大変だから、最初から全身麻酔するんじゃない?」と。


そうか、そういうアメリカ人の犠牲になって、私は全身麻酔で『手術』するのだろう。



だから、前夜からは飲食してはいけないし、『手術』後24時間は家で誰かが付き添うこと、と書いてあるのだろう。



などとアメリカ人を皆ひっくるめて『我慢できない人』と無理矢理結論する。



実際はアメリカ人でも忍耐強い人、日本人でも痛みを我慢できない人、といるはずなのに。



とにかく、昨日食べた激安日本食のことを思い出しながら、気になることはただ一つ。


術後いつ食べていいんですか

2014年6月22日日曜日

YELPる

朝West Valley Collegeという大学のファーマーズマーケットに行ってみた。



ここは『カリフォルニアのばあさんブログ』のばあさんこと、Chiblitsさんお薦めのおいしい有機野菜が買える場所だ。



毎週末大学の駐車場を使って開催される。


野菜はフレッシュで色が鮮やか

この苺が衝撃的においしかった



その後まず先々週契約したコンドーの進行状況を見に行く。



次男とマリーはコンドーに引っ越す日を楽しみにしていて、どんな家具を買うか、犬を飼おうか、などと楽しそうに話している。



特にマリーが本当に嬉しそうにしているのがかわいい。



二人を見ているとつい『若夫婦』という言葉が点滅する。



どうも勘違いしてしまうようだ。

完成は2015年末



次男とマリーのアパートの前に車を停めてお寿司を食べに行ったあと、ロンバートストリートに行ってみることにした。


二人はいつも手をつないでいて、いい感じ
若いっていいことだのう



ロンバートストリートはジグザグの煉瓦道を車がゆっくりと下って行く、サンフランシスコでは有名な観光スポットだ。



降りて行く時正面にはコイットタワーが見えるし、初夏は紫陽花が美しい。



今日の正午から車が通行止めになった。



つまり煉瓦道をゆっくりと歩いて降りることができるようになったのだ。

ロンバートストリート

すぐ観光客の写真を撮ってあげたくなる
『撮ってあげましょうか』と言ったくせに、カメラの使い方がわからない

紫陽花は終わりかけていたが、まだまだきれいだった


ロンバートストリートを引き返して上まで上り、今度はNob Hillの瀟洒な住宅街を通って海の方に歩いて行く。



正面に見えるのがアルカトラズ島


そのうち左側にゴールデンゲートブリッジが見えるのだが、今日は霧がかかっていてうっすらとしか見えない。


晴れた日には美しく赤い橋が見える



よく歩いたので、カプチーノとケーキ休憩をしようということになった。



近くておいしいカプチーノがある場所と言えば、リトルイタリーだ。



2週間前に行ったリトルイタリーのお店の、カプチーノとチョコレートケーキが忘れられない。



が、素手でお菓子をつまむお店のおっちゃんのことを思い出して、マリーがいやだ、と言う。



そりゃそうだよね。



そこまで衛生意識が低いおっちゃんが経営するお店は怖い。



リトルイタリーはカフェがたくさんある。



ここに入る?と私が提案しても、次男とマリーはYELPでちょっと評価を調べるから、とすんなりと入ってくれない。



YELPというのはカフェ、レストラン、リフォーム業者、仕立て屋さん、ドライクリーニング屋さんなどなど、全ての商売の口コミサイトだ。

YELPって不満そう

YELPって不満そう


どのお店の前に行っても、次男がYELPる。



隣でマリーもYELPっている。



ここの評価は5段階の3.5だから入りたくない、と二人とも不満そうだ。



もっといい所に行こう、となかなか決めてくれない。



たかがデザートとコーヒーでなんでそこまでこだわるかなあ、と思いながら延々とリトルイタリーを歩き回る。



どこのカフェを見ても二人から承認がおりない。



もっとおいしい所があるに違いない、とYELPっている。



そのうち疲れて来た。



やっと二人が評価4.5の所を見つける。



そのカフェは10分ほど前に通り過ぎた所だ。



また引き返すことにした。



ところがやっと着いたカフェは、なんと改装中ということで閉まっているではないか。



ヘナヘナと倒れそうになった。



結局さっき3.5で却下されたカフェに戻ることになった。



が、このお店、高い割にはおいしそうなケーキがない。



やっぱりあの素手でお菓子をつかむおっちゃんのカフェが良かったなあ。


仕方ないので、カプチーノとチョコレートチップクッキーを注文する。


カプチーノもクッキーもいまいち
不満

2014年6月19日木曜日

The Nordstrom Way

朝9時過ぎに家を出て血液検査と心電図をとってきた。



技師の女性は私が持っていたバックを見て、I love your purse.(素敵なバックね)と言う。



アメリカで初対面の人と話す時、こういう始まりが多い。



お医者さんにもI love your necklace.と言われたりする。



単なる会話のきっかけだが、これで気持ちはほぐれる。

今朝は事故が多く大渋滞


この技師さんはしかし話に夢中になり過ぎて、採血している時こぶしを開いてください、というタイミングを忘れたのではないだろうか。



う〜ん、採血の時はこぶしをどこかの時点で開けって言われるよなあ、どこだっけと悩む。



彼女は「そのバック、トリーバーチでしょ?私はトリーバーチの靴を4足持ってるけど、高いよね。でもすごく履き心地がいいから、やっぱり値段と履き心地は比例するよねえ。」などと話が止まらない。



検査が終わる頃には、彼女がフィリピンから21歳の時にアメリカに移住して、看護師になった。



フィリピンで看護師をしていたから、アメリカでもう一度学校に行く必要はないけど、試験は受けないといけない。これは准看護師に関してだけど、正看護師はもっと大変な試験がある。



などなど、彼女の今までの人生から、家族構成、好きな食べ物など全部把握してしまった。

ラボには予約なしで行く



「Nordstrom(ノードストロム)では時々25%オフになっているよ。」などという情報も教えてくれる。


知っている。



Nordstromは一番好きなお店で週に1度は行くからだ。



というか、お店に通っているのではなく、ここのカフェが好きだからだ。



開放的な明るいカフェで、おしゃれをしている女性を見ながらおいしいコーヒーを飲む。



昨日も友人と行った。



コーヒーを飲んだあと、チラッとバックを見て帰ろうかと言ったのが運の尽き。



マーク・ジェイコブスのバックを見つけてしまった。



飛行機の中で使うのにパーフェクト。



それも半額で88㌦。



マーク・ジェイコブスは日本でも人気があるが、こちらでの正価の5割高ぐらいだ。



今日買ったバックは多分日本では3万円以上するかもしれない。



本当に必要だろうか。



飛行機に乗る時使うバックという理由で、同じようなバックはいくつも持っている。



が、Nordstromの商品には返品期限がない。



10年たっても返せるのだ。



こういうカスタマー・サービスはThe Nordstrom Wayと呼ばれる。



詳しくは知らないが、とにかく何でも返せる。



店員さん(日本人)に以前聞いたところでは、アメリカの女性は友人と一緒にショッピングに来て、いいところを見せるために高いものを買う(人もいる)のだそうだ。



そして、そのあと一人で来て返品する。

Nordstrom Cafe



私はそんなことはしないが、それでも返品はよくする。



以前書いたことがあるが、お店の人が「一旦買って帰って、ゆっくりと考えたら?」と、とにかく一度家に持って帰ることを薦めるのだから。



洋服やバックなどはその場で恋しても、家に持った帰って冷静になると恋が冷めることがある。


だから返しに行く。



義姉など、靴を2年履いたあと破れたので返品したということだ。



ズボン丈を仕立て直ししてもったあとでも勿論返品できる。



これがThe Nordstrom Wayなのだから。



こういう返品期限付きのないお店は他にもある。


Coach(コーチ)だ。レシートがあり、まだ売れるようなきれいな状態なら、永久に返品できるとお店の人に言われた。



値札はついていなくてもいい。



Forever(永久)と言う言葉を聞いた時はさすがに驚いた。



さてNordstromに戻るが、前出の日本人店員さんによれば、数年着たあとでThis is not my color.(この色私に似合わないみたい)と返品に来る人もいるそうだ。



週末パーティに着て返品するのは当たり前、という女性も多い。



それでどうやってお店が存続していくのかわからないが、Wikiによると全米で117店あるそうだ。


実は私も一度とんでもない返品をしたことがある。



10年以上も前のことだ。



身体にピッタリした茶色のズボンを買って帰ったのだが、家の鏡で見ると『メタボの岡っ引き』だ。とても不細工なのだが、履き心地が余りにも良い。



半額で70㌦ぐらいだった。ここの洋服は生地が柔らかで高い。



70㌦はお買い得なのだ。

果たして必要なのか
わからん

が、お買い得と言えども2年間値札がついたままなのだから、もはやお買い得とは言えないだろう。



そのズボンが目に入るたびに暗い気持ちになる。



ある日ふと考えた。



値札がついているのだ。



返品できるかもしれない。



意を決してNordstromに持って行った。



オドオドと『返品したいんですけど』と言うと、店員さんは別に驚きもせずに、ニコニコとすぐ返金してくれるではないか。



日常茶飯事らしい。




こうして返せると思うから、洋服やバックを買って帰ってしまう。



大半は返さないのだから、当然物が増える。



洋服なんか何枚あっても、卒業式などいざという時着るのはいつも同じもの。



姉が殆ど寝間着にしていたのをもらった。



一番ラクチンな洋服。

貫頭衣