2013年10月15日火曜日

父の年金

またわいわい広場の日が来た。1週間が過ぎるのがものすごく速い。今回の滞在は4月と7月の日本に比べるとずっと長い。先週は体調を崩したこともあり、ひたすらサンノゼに帰りたいと思った。やはり、この高温多湿の気候は、サンノゼの穏やかな気候に慣れた身体にはキツい。すっきりしない体調で、父のお誕生日に外泊させてあげられるかどうか不安だったが、無事それも終わった。


プレゼントには老眼鏡とテレビを買ってあげた。テレビは13㌅のシャープアクオスだ。が、予想通り父には新しいリモコンの使い方が覚えられない。とにかくNHKだけしか見ないだろう父のリモコンには、電源ボタンが必要なだけだ。それ以外は紙を貼って隠すことにした。


今朝10時前に行くと、その紙ははがしてあった。父は電源ボタンがどこにあるのかわからなくなり、紙をはがして探したようだ。とにかく取りあえずわいわい広場に行くことにした。父はスタッフに『ここからは誰も行かないんでしょうね。』と何度も聞く。やはり一緒に行ける人がほしいようだが、そこまでの機能を残した人は同じフロアにいない。

1階のわいわい広場に行く途中、日本年金機構から、父が昭和17年から数年間働いていたことを確認する郵便が来ていた話をする。父はこういう話がすぐ頭に入る。年金がもらえる可能性があるのか、と嬉しくなったようだ。「そりゃ思いのほか多い金額がもらえるで。いや、欲をかくとがっかりするか。」とうきうきした口調になる。


わいわいではスーパーの袋を縦割りに切って、たこのような形になったものを、うちわ2枚を使って天井まで飛ばすという遊びをしていた。これがおもしろいのだ。皆夢中になってうちわで飛ばそうと風を送る。


エアコンももう切ってあるのでかなり暑かったが、父は楽しいのだろう。何も文句を言わない。30分ほど遊んだあと、しばらく1階のリビングルームのソファに座って話すことにした。父は開口一番『年金がもらえるんか。」と言う。多分わいわいの間も年金のことを考えていたのだろう。

昭和17年頃どこで働いていたか聞くと、「三井造船株式会社」とすぐ返事がある。その頃は軍事関係の仕事をしないと刑務所に入れられたそうだ。日本は本当につい最近まで軍事国家だったのだなあと驚く。父は三井で設計図を描いていたのだが、下宿して会社に通っていたそうだ。会社のあった住所も覚えている。会社名と住所を記入して日本年金機構に送り返すようになっているので、すぐ送っておくと言うと父が嬉しそうな顔になる。

父がお風呂にちゃんと入るかどうか確認するために、今日は1時半までホームにいないといけない。また、近所の大手筋にランチを食べに行った。先週と同じVeloceに入る。向かいのベーカリーでおいしいサンドイッチを買って、Veloceではアイスカフェオレだけを注文する。さすがに店内で食べるのは気がひける。外で食べることにした。が、オープンカフェと呼ぶには余りにも田舎臭いこの地域。


何なんだろう。ここを歩くと何故か毎回気がめいる。昭和にタイムスリップしたような。いや、それはそれで楽しいだろう。昭和の街、昭和の食べ物、昭和のファッション。楽しむことはできると思う。が、この大手筋はどうも歩いているうちに、悲観的な気持ちになってしまう。


多分貧しくて洋服を買えなかった中学時代を思い出すせいだろう。あるいは、未来がないような気分になるせいか。

いや、未来はあった。いつも驚かせられるこの商店街。

この電光掲示板の小さな数字『1』
これは日本で初めての太陽光発電パネル
現在の発電量のうち1KWが太陽光から来ているらしい