1階のわいわい広場に行く途中、日本年金機構から、父が昭和17年から数年間働いていたことを確認する郵便が来ていた話をする。父はこういう話がすぐ頭に入る。年金がもらえる可能性があるのか、と嬉しくなったようだ。「そりゃ思いのほか多い金額がもらえるで。いや、欲をかくとがっかりするか。」とうきうきした口調になる。
昭和17年頃どこで働いていたか聞くと、「三井造船株式会社」とすぐ返事がある。その頃は軍事関係の仕事をしないと刑務所に入れられたそうだ。日本は本当につい最近まで軍事国家だったのだなあと驚く。父は三井で設計図を描いていたのだが、下宿して会社に通っていたそうだ。会社のあった住所も覚えている。会社名と住所を記入して日本年金機構に送り返すようになっているので、すぐ送っておくと言うと父が嬉しそうな顔になる。
父がお風呂にちゃんと入るかどうか確認するために、今日は1時半までホームにいないといけない。また、近所の大手筋にランチを食べに行った。先週と同じVeloceに入る。向かいのベーカリーでおいしいサンドイッチを買って、Veloceではアイスカフェオレだけを注文する。さすがに店内で食べるのは気がひける。外で食べることにした。が、オープンカフェと呼ぶには余りにも田舎臭いこの地域。
何なんだろう。ここを歩くと何故か毎回気がめいる。昭和にタイムスリップしたような。いや、それはそれで楽しいだろう。昭和の街、昭和の食べ物、昭和のファッション。楽しむことはできると思う。が、この大手筋はどうも歩いているうちに、悲観的な気持ちになってしまう。
多分貧しくて洋服を買えなかった中学時代を思い出すせいだろう。あるいは、未来がないような気分になるせいか。
いや、未来はあった。いつも驚かせられるこの商店街。
この電光掲示板の小さな数字『1』 これは日本で初めての太陽光発電パネル 現在の発電量のうち1KWが太陽光から来ているらしい |