古いタンスは大型ゴミに出し、冬物以外のタンスの中身はホームの父の部屋にほとんど移動した。
もう父は、自宅に帰って数時間過ごすということも全くできなくなっている。
また出した大型ゴミ |
庭にあった重い五重塔もゴミ |
一人でいると不安で仕方ない父は、ホームにいるのが一番安心と言っている。
それでも以前は時々「一晩家に帰ってみたい」という気持ちがあった。
だが、それももうない。
最近の父は夜混乱することが多く、不穏になることが2度ほどあったらしい。
土曜日の夜もそうだった。
夕食後姉とホームに行くと、父の大声が聞こえてきた。
この時間帯はスタッフの数も少なく、入居者の寝る準備で一番忙しい時だ。
姉と私の姿を見て、スタッフがホッとした表情になる。
父は補聴器をどちらの耳に入れればいいのかわからないのだ。
父を助けようとするスタッフのことを、自分の補聴器を取り上げてしまう怖い人々、と勘違いして騒いでいる。
子供の時中耳炎になり難聴が始まった。
補聴器を使い始めたのがいつからなのかは知らないが、毎朝起きた時補聴器を夜用から昼用に替える父の儀式は何十年も続いた。
『あ〜、あ〜、本日は晴天なり。本日は晴天なり。』と昼用の補聴器に交換したあと、自分の耳の聞こえ具合を確かめる声がする。
それを聞いた母が『雨でも台風でも本日は晴天なりね。』と笑うのだ。
朝起きると毎日するこの作業を、父が忘れる日が来るとは夢にも思わなかった。
だが、その日は来たのだ。
認知症はこのところかなり進行しているようだ。
今日父に和室の壁塗りが始まったという話をしても、全く理解できなかった。
わ・し・つと区切って言っても理解できない。
『壁』という言葉が理解できない。
業者という言葉がわからない。
修理する人、と言っても『修理』という言葉がスッと入らない。
それを説明したり言葉を変えたり、延々と繰り返しが続く。
湿度が高い京都の夏はそれだけでも消耗するのに、父のところで大声で同じことを何度も何度も繰り返すのはもっと消耗する。
小さな低い声で言うと聞き取れていた父も、今は全く聞き取れないのか理解できないようだ。
業者を家に残したまま来たので、もう帰らないといけないという私に、「そうかそうか、気をつけて帰りなさい。」と父は言う。
急いでバックを持って「また来るから。」と部屋を出ようとする私に、父は「もう帰るんか、と言う。
どうしてそんなに早く帰るんかなあ。」と泣き顔になる。
業者が・・・という話をすると、そうかそうか、と父は言う。
1分後にまた同じ会話を繰り返す。
ついこの前まで、デイサービスで友人たちとカラオケを歌って楽しんでいた父は、今や娘二人以外に会話をする人もいない。
そんな父をかわいそうに思う。
もっと父と会話してあげれば、認知症の進行を少しでもくい止めることができるかもしれないのに、と罪の意識にさいなまれる。