2021年7月17日土曜日

東京のマンション チェックマーク✔

 京都では本来なら山鉾巡行が行われる今日、例年この頃梅雨が明け猛暑が始まる。


ベイエリアはとても爽やかな日で、Kみさんとロスガトスでクレープランチを楽しんだ。

Sweet Pea's Cafeのマッシュルーム、フェタチーズ、
ほうれん草のクレープが美味しかった


Kみさんとの話は老後アメリカに住むか、日本に住むか、というものになった。


私の心は決まっている。



老後はやはりアメリカだ。家族のいるアメリカ。


温暖で(最近は猛暑の日もあるが)日本のものはなんでも揃うベイエリア。


と思っていたが、Kみさんの言葉で気持ちが揺れ動き始めた。


ポイントは下記の通り。

  • 歳を取るにつれて英語を話すのが億劫になったとしても、日本語は決して忘れない。認知症になっても日本語は話せるだろうが、英語は話せなくなる可能性もある。
  • 身体介護が必要になったとしたら、子供に介護させたいか。→させたくない。
  • アメリカのケアラーが日本のケアラーのような、繊細で丁寧な仕事をしてくれるだろうか。多分無理。
  • 食べ物は圧倒的に日本のものの方が魅力的。
  • 歩いて行ったり、バスで行き楽しめるところがあるのは日本。

富士山は噴火しないだろうか・・・


70歳を機に日本に引き上げるアメリカ在住の日本人が多い、と先週Sえさんから聞いたばかりだった。それを聞いても「私はアメリカに残る」と思ったが、Kみさんのポイントは全て現実的でハッと目が覚めた。



なら、どこに住む?と言う話になったのだが、Kみさんは「年を取ったら大井町とか住みやすそうよ。」とおっしゃる。山手線内側のど真ん中で育ったKみさんだから、信頼できる情報だ。



そうか、東京か。東京に住むか・・・


そして、私はまたまたマンション探しを始めた。こういうのは大好きなんである。



まず、大井町で探してみたが、駅近のマンションはヒットしない。



では一度民泊に泊まって楽しんだ飯田橋駅近辺はどうだろう。


東京メトロ東西線飯田橋駅から徒歩5分
1LDK 33.78㎡
築23年 南西向き
4990万円




いや、いくらなんでも終の棲家となるんだったら、もう少し収納スペースは必要でしょ。



次、神楽坂赤城神社のすぐそばのマンション。

東京メトロ東西線神楽坂駅から徒歩1分
1LDK 55.84㎡
築11年 西向き
8480万円




収納スペース1.2帖もやっぱり困る。でもよしやスーパーもすぐそばだし、何より駅から近い。毎日赤城神社にも行ける。飯田橋からも遠くない。とはいえ、8480万円?



次、やはり神楽坂だが、飯田橋にも近いこのマンション。

  • 東京メトロ東西線 「神楽坂」駅 徒歩5分
  • 都営大江戸線 「牛込神楽坂」駅 徒歩3分
  • 東京メトロ有楽町線 「飯田橋」駅 徒歩6分
  • 3LDK 88.75㎡
  • 築18年 南向き
9480万円





南向きでアクセス最高、息子たちが遊びに来た時も寝る部屋がある。これだけスペースがあれば終の棲家としても良さそう。しかし、物件の写真がない。多分リフォームしないと住めないのだろう。それで約1億?



「現在借家として使用していないこと」というのを条件に探すと、なかなか希望の地域に5000万円以下の物件はなさそうだ。


いや、一軒あった。



場所もいい。

東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅徒歩5分✔
1SDK 36.94㎡✔
築19年 南東向き✔
4980万円✔



サービスルームを収納スペースにし、DKと洋室をつなげると13帖。充分ではないか!✔



ここにするか。


と夢がふくらみ始める。


周辺を調べる。





コンビニが3つもある。ますます良い!✔



おお!ファミマまでの距離を見よ!





私に一番必要なコンビニ、ファミマまで188メートル。盛大な✔ではないか。


毎晩このレア物で楽しめるのだろうか。


✔✔✔✔✔

2021年7月7日水曜日

毎日が楽しくあるよう

 古い手紙が出てきた。


父が私に送ったものだ。


日付は1980年11月5日。私が渡米して1年半後。


王貞治選手が引退した翌日に書かれたその手紙には、こう書いてある。


カーターの敗北宣言「もう一言、落選しても国を愛する気持ちは変わらない。」


王の引退宣言「口はばったい言い方ですが、王貞治のバッティングができなくなったということです。」


昨日今日日本のニュースはレーガン、王のことに明けくれていると言っても過言ではない。レーガン氏当選で円安になったが・・・


毎日が楽しくあるよう 11.5  8:00pm


私が近くでデイリー(スポーツ新聞)をxx(姉の名前)がスポーツニッポンとサンケイを買ってきたxx(私の名前)にと


この手紙はスポーツ新聞3種と共に日本から送られてきたのだった。


私は今、毎日楽しく生きていると思う。


独立記念日には、久しぶりに家族が屋内で集まることもできた。去年のサンクスギビングは、皆2週間家族以外誰にも会わず、隔離生活のあと集まったのだが、今はマスクも隔離も必要ない。

独立記念日にはバーベキューをして、夜は花火を楽しむ
火事が怖いので今は花火はしないが


We are back!!という感じ。




せっかく集まった時ぐらいスマホを見るな!


サンタクララ郡ではワクチン接種の状況は以下の通り。


12歳以上の人口の81.9%が少なくとも1度目の接種を終え、75.3%が2度の接種を終えている(7月6日現在)。



デルタ変異種に対するワクチンの有効性はまだ不安が残るし、今後もコロナ前の世界に完全に戻るのは無理かもしれない。少なくとも当分は。


が、友人たちとの食事やカフェも楽しめるようになった。


Hえさんと行ったイラン料理のブランチ


Whole Foodsではパンデミックの間お惣菜コーナーも
閉鎖されていたが、最近再開した

少しずつ活気が戻りつつある


ピーツでも店内で飲食できるようになった




そう。親が子供に願うのは、ただ一つ。


毎日が楽しくあるよう。


ささやかな幸せがあれば日々楽しく暮らせるのだ。


パンデミックで家から出ることもできない日々が続き、何が本当の幸せかわかるようになったような気がする。


こんな日が戻ってくるとは・・・


I'm back!!

2021年6月22日火曜日

車とトウモロコシ

 さて、コロナ感染対策規制が緩和されたカリフォルニア。


緩和された途端出歩きたくて仕方ない。


ピーツ、Nordstrom eBar(デパートの前にある小さなコーヒースタンド)、スタバなどなど友人を誘って行くと、マスクをつけていない人はほぼいない。ピーツやスタバも「店内ではマスク着用」と貼り紙があり、座席数もコロナ以前より少ない。


Trader Joe'sでも、店員さんはもちろん客も全員マスク着用。


緩和はされたが、コロナ前に戻ってはいないのだ。



金曜日の正午に行ったモールはクリスマス前か!と言いたいほどの人混みで、午後2時半にモールを出る時、多くの車が駐車スペースを探してグルグル廻っている。高速道路も渋滞が始まっていた。


緩和されて初めての金曜日。人々はこの日を待っていたのだろう。


さすがにこの人混みを見ると、また変異株などでコロナ感染拡大が始まるではないだろうか、と不安になる。


これは5月23日、東京のとある地域の人混み
この写真から場所がわかる人は、この地域に詳しい人でしょう

答:神楽坂


日本にもまた行きたいが、入国後14日間の隔離規制がなくなるまで待ちたい。


現在のアメリカから日本への入国制限に関しては、この旅行代理店の情報が詳しい。



カリフォルニアはそろそろ職場復帰をし始める人が増えたから、高速道路の渋滞も始まった。独立記念日である7月4日の連休が終わったあと復帰せよ、などと勤務日程が職場から知らされる人も多い。


ハイブリッドと呼ばれる形式、つまり週3日は職場/2日はテレワーク、といったパンデミック以前とは違うテレワークを交えた勤務形態での復帰が多い。


私の家族で言えば、夫(アメリカ企業)ーまだはっきり知らされていない、長男(日本企業)ー同じくまだ決まっていない、長男義母(日本企業)ー現在ハイブリッドだが7月6日からは完全職場復帰、次男(アメリカIT企業)ー現在完全テレワーク、9月以降ハイブリッド、次男妻(アメリカIT企業)ー今年いっぱい完全テレワーク、来年からもほぼテレワーク、という復帰形態になりそうだ。


去年リストラされるかも、もう辞めるかも、と言っていた夫(過去30年ほぼ毎年言っている)もそろそろ職場に行く日が増えてきた。そうなるとどうしても車は2台必要となるので、長男が使っていない車を借りてきた。


が、いつまでも借りているわけにもいかない。


以前リースしていて、私が一番運転しやすいと感じていたボルボS60をまたリースしよう、ということになりディーラーに行った。


そして、その途端高齢の客にぶつけられた。


去年の追突事故のあと修理してもらったショップに
持って行き見積もり


車が増えると頭痛の種も増えるが、アメリカで車がない生活は無人自動車が市場に行き渡るまでは無理だ。


保険会社、修理店、レンタカー店との連絡、などなど本当に車の事故は後始末が面倒だが、自分もいつ事故るかわからないので、その辺はお互い様と我慢するべきなのだろう。


左が長男から借りた車スバル、右がレンタカーのシェビーマリブ


が、結局そろそろガソリンを使う車はやめる方向にして、電気自動車で環境汚染を少しでも食い止めようと考え直す。そして、月額とガソリン代を考えると結局お得なテスラをリースすることに決めた。


一番安いテスラModel 3を契約


息子たちは二人共3年以上テスラを運転していて、その運転しやすさを強調していた。そして私にも、一旦テスラを運転し始めたらもう他の車には戻れないよ、と力説する。


が、彼らは私がもうおばあさんであり、新しいことを習得することが難しくなっているのだということが理解できないらしい。リースの契約をしてしまったものの、不安だ。


7月末の納品までに脳トレを急いでするか。いや、脳トレでどうにかなるような脳ではない。



私は自分の鞘の中で子供をこうやって⬇育て、身も頭ももうボロボロなんである。


トウモロコシの皮をむいたらこどもがいた!


今から新しいことを習得するなんて無理だ。ラジオはボタンを押してチャンネル変えたい。やっとキーレスエントリーの車に慣れたのに、近寄っただけで勝手にドアハンドルがニョキニョキ出てくるような車は無理だ。


そんなものに、慣れるには年を取り過ぎている。


ほら、このトウモロコシだって、子供部分を取ったあと一列なくなっているのが見えるではないか。

子供を育て終わったあとの私の脳細胞だな、これは

2021年6月16日水曜日

コロナ感染対策規制が緩和された!

 今日、コロナ前の生活が戻ってきた。



6月15日、カリフォルニア州ではコロナ感染対策規制が緩和されたのだ。


ほとんどのレストランやカフェ、お店に入る時の人数制限がなくなり、ワクチン接種を終えた人は屋内でもマスクをつけなくて良くなる。


映画館やジムも営業を再開する。病院、学校や飛行機、電車の中などでは引き続きマスクは必要だが、レストランやカフェにマスクなしで入れるなんて、去年の3月のロックダウン以来のこと。



しばらく前から、ワクチン接種を終えた人は屋内でも集まって良いことにはなっていた。


だから長男家族ともマスクなしで、庭ではなく家の中で集まることはできた。


サキ母Mよさんと、サキと3人で遊歩道を歩いて
アウトドアのモールに行く(片道7千歩)


長男の家の近くにできたアウトドアのモールには、テラス席のレストランが多い。


人々が談笑しながら食事している。


以前は当たり前だったこの光景が、もう1年以上ベイエリアから消えていたのが改めて信じられない。






これはサンノゼにあるValley Fairというモール
ここにもアウトドアのレストランが増えた



ついこの前までは、日本の方が営業しているお店はずっと多かったのに、今はカリフォルニアの方が多い。


どこも営業を再開し始めた。これから街の活気が戻ってくるだろう。

5月の有楽町高架下はこんな感じだった


病院の駐車場にテントを張って行われていたコロナ検査。


もう検査を待つ車の行列はなくなり、テントも片付けられた。今やサンフランシスコは(コロナに関しては)全米で一番安全な街だそうだ。


5月31日から6月13日までの2週間の新規感染者数は、サンフランシスコ郡は181人、サンタクララ郡が396人。


自分が住んでいる地域のワクチン接種率はいかほどか。


このサイトで調べると、私の家がある地域では(郵便番号による6月10日時点でのデータ)12歳以上の80%が2度の接種を終え、1度目の接種を終えた人も10%を超えている。



さて、先日のこと。


更新もめったにしないこんなブログなのに、読んでくださっている同年代のKみさんからメールをいただいた。


サンノゼに住んでいらっしゃるということで、何度かメールが行き交ったあと、会いましょうということになった。


KみさんとはVeggie Grillというレストランに行き、アウトドアランチで話がはずんだ。


そして(眉下切開)手術の跡は全くわかりませんね、と嬉しいお言葉をいただいた。


自分ではもう傷にも慣れて、鏡を見ることもなくなったが、人から見ると傷が生々しい?もしかしたら以前の顔と少し違う?何か違和感がある?というような不安はやはりまだ少しある。


下垂のひどかった右目は視界が開けたように感じていたが、それは気のせい?と思うこともある。


元々下垂がひどくなかった左目が右目を補っていたのだろう。


右瞼の重さは確実に軽減された。そして、その分頭の重さは緩和されたような気もする。


とにかく手術の大きな効果を実感するまでには時間がもう少しかかりそうだ。


生粋の江戸っ子であるKみさんとのランチはメキシカン風


そして、私にはまだ大きなハードルが残っていた。


Mだ。



30年来の友人M。とてもとても善良で正直なM。私への遠慮も全くないM。


以前は1ヶ月に1度はカフェに一緒に行っていたのに、コロナ以降ほんの数分立ち話をするだけだったM。


Mは、私に会うとまず「痩せた?」「なんか目が腫れてる?」「今日は顔が赤くない?」など必ず外見に関するコメントをする。彼女にとってこれは挨拶なのだろう。



そのMとle Boulangerというカフェスタイルのレストランで会うことになった。


Mは私を見てなんと言うのだろう。


「あれ?なんか目がxxxない?(私が自分では気がついていない何か)」


不安だ。



待ち合わせたle Boulangerに現れたM。


Mが私を見た。


Mが言う。



「髪が伸びたね。そろそろカットが必要?」だった。


最大のハードル、クリア!

2021年6月4日金曜日

眼瞼下垂手術後ほぼ1ヶ月

 カリフォルニア州が、日本入国後隔離対象州の一つに指定された。


検疫所が確保する宿泊施設に滞在し、3日後に改めてPCR検査を受ける必要がある。



私が4月に日本入国の際、一番チェックが多かったのはコロナに感染していない、という陰性証明書だった。


これさえ日本政府の求める必要事項がちゃんと記載されていれば大丈夫、と感じた。


とにかく、眼瞼下垂をもう一刻も早く治療したい、という気持ちがあり日本で手術を受けたのだが、眼瞼下垂が起きるとどういう症状が出るか。


私は疲労感、自律神経失調症、肩こり、頭痛、眼精疲労、という眼瞼下垂によって起こる5つの症状がほぼ全て当てはまった。


頭痛というほどでもないが、頭の中にいつも水が溜まっているような重さはあったのだ。


肩こりや眼精疲労は軽減したような気もするが、まだ術後1ヶ月も経ってないのでこれははっきりとした結論は出ていない。


が、瞼が軽くなった(特に右瞼)というのははっきりわかる。



見た目的には3つの気になる(というほどでもないが)点がある。


これは眉下切開手術を受けたあと、よくあることらしいので、今後手術を受ける方にもお知らせしておきたい。


切開した部分の傷も気にならなくはない、ということで、それを1つとカウントする。


この傷はいずれ薄くなるだろう。




2つ目。左瞼は全体を切開していないので、切開部分が始まったところから下に向けて少しひきつれている。


写真でおわかりになるだろうか。


まだ現在は瞼にある程度の腫れがあり、日々変化しているので、最終的な状態はわからない。


これは手術から48時間後、左眉中央にひきつれた
ところがあるが、今現在もある


3つ目。左眉すぐ下には、縫合した部分にできやすいドッグイヤーという膨らみがある。



膨らみが見えるでしょうか
睨みつけてスンマセン(写真に収めるのが難しい)


さて、一番治したかった右目は常に涙が出る、という状態。


これは手術のあと1週間は全く涙が出なくて、これで治ったか!と狂喜した。


右瞼の切開部分傷はこんな感じ(眉は描いている)
それから目頭側が特に腫れている



が、術後ほぼ一ヶ月の現在、涙に関してはもとに戻ってしまった。


つまり、涙が出る時はノンストップで出る状態。空気の状態によるのか、とにかく一度涙腺専門医に診察してもらう必要がありそうだ。



ちなみにアメリカでは眼科医の診察を受けたが、原因はわからず。眼瞼下垂に関係があるかもしれない、と言われた。


六本木にあるF作眼科では、ドライアイという診断だったが、目薬などで改善していない。


この涙さえ治療できれば、見た目は全く気にならないとは言わないが、もう年だし考えることもあまりない。


元々ガタガタの肌で、綺麗とは言われたこともないのだ。


それに毎日、前日よりは1日年を取っているのだ。今日を楽しもう。


もう終活(ってあまり好きな言葉ではないが)を始めてもいい頃なのだ。



今回は時差ボケが結構つらいのだが、物を捨てよう、と毎日部屋を見回している。



う〜ん、これは?


こんなに必要?


イヤ、こんないいモン、捨てられますかって

2021年5月27日木曜日

池袋に泊まった理由

 コロナ陰性証明書を持って、昨日無事アメリカに帰国した。


術後20日の傷
この写真で気になる部分が3ヶ所ある
それについてはまた改めて書きます


アメリカを出国する時と違い、日本で陰性証明書を取るのは簡単だし信頼できると思っていたので、ストレスフリーだ。S子さんに教わった神田北口診療所で、出国前日のお昼に検査し、午後3時には結果がpdfで添付されたものがメールで届いた。


それをユナイテッド航空に提出し、オッケーが出たあとは空港で印刷されたものを見せただけ。その後はアメリカ入国時にも提出するところはどこにもなく、日本での入国とは雲泥の差だった。


5月25日、やはり成田空港は昨年の8月と同じく、いや、それ以上に人がいなかった。











あまりに人がいないので、不安になるほどだった。ユナイテッド航空のカウンターに行き、「あの〜、飛行機飛ばしてくれるんですか?」と確かめたくなる。が、カウンターにも人がいない。


ここまで来る道は大変だった。


宿泊していた池袋のホテルに荷物を預け、浅野屋にカマンベールとクランベリーのパンを買いに行き、お昼ごはん用に東武デパートにある古市庵の箱寿司をデパートで買い、ホテルに戻り荷物を受け取ったあと山手線で東京駅に移動。これが失敗だった。


山手線に乗ったのは、丸ノ内線で行くより東京駅で降りた時大丸に近いからだ。が、池袋からはいつも丸ノ内線ばかり利用し、山手線を利用することがないので、どの改札が便利か、というのを知らなかった。


私が入った中央改札口からだと、上の階にあるホームまで荷物を持って階段を上らねばならない。この時点ですでにバッグレディー(袋に全ての所有物を持って歩くホームレス女性のことをアメリカで表現する言葉)となっていた私。(空港には既に大型スーツケースとダンボール箱を一つ送っている。)


ホームに行くエスカレーターかエレベーターのある改札口をあらかじめ知っていれば、と池袋駅情報を調べておかなかった自分に苛つきながら、どうにかホームまで行き着く。


山手線に乗り込んだ時点でもうヘロヘロ。


それでも東京駅大丸に行かなければならない。あるお店に行きたいからだ。


当然だがそれは食べ物のお店だ。パン屋、カーラ・アウレリアである。






ここで7個、その前に池袋で浅野屋のパン3個、スタバのバターミルクビスケット1個も買っていたので、計11個のパンを持ちヨロヨロと歩く。


なにしろ、4車輪のついたキャリーとその上に載せた大きなボストンバッグを右手に持ち、左手には保冷バッグ、右肩には大きなバッグをかけ、胸の前には斜めがけハンドバッグがある。


つまり5つのバッグを持ち、どうにかJR東京駅にたどり着いたのだ。



みどりの窓口が見えたので、入る。自販機で買うとカードが使えないが、みどりの窓口ではカードが使える。その上、列には一人も並んでいない。


「成田空港までの次の成田エクスプレスのチケットを1枚ください。」と息も絶え絶えに係員に言うと、係員の女性は私の姿を見てとても気の毒そうな表情になった。


そしておごそかにおっしゃる。


「成田エクスプレスは早朝と夜しかないんですよ。」



が〜〜ん!!



代替ルートは!?


スカイライナーだ!


確か日暮里まで行けば、そこから京成電鉄のスカイライナーが成田空港までの道としては一番速くて安くていい、と多くの人から聞いていた。



日暮里ってどうやって行くんだ?



バッグ5個さげたままグランスタ通路で仁王立ち。スマホで乗換案内を見る。


上野線で上野に行き、そこからスカイライナーに乗ればいいそうだ。(成田で入国した日に帰国者特別スカイライナーで上野まで来たことも忘れている。)



5つのバッグを持って上野線7番ホームに上がる。


が、なんと上野線は何かの理由で運転見合わせ。


他に日暮里にはどうやって行く方法があるんだ?



また乗換案内をチェック。山手線だ!


繰り返すが5つのバッグを持ち、山手線で日暮里に行く。



スカイライナーという大きな乗り換えのサインがある。



チケットを買い、成田空港に無事着いた。



最初から帰国前日は東京駅近辺に宿泊していれば、神田北口診療所にも歩いて行けるし、大丸にも朝のうちに行くことができて楽だったのに。



なんでわざわざ池袋に泊まったのか。


それは2日しか日持ちしない虎屋ういろが、池袋にしかないからだ。

ここまで来るとビョーキだな

2021年5月19日水曜日

眼瞼下垂手術その後と血液検査

雨が降り始めた5日ほど前頃からちょっと貧血気味なので、毎日ゴロゴロしとります。


ということで、なかなかパソコンに向かう気力が出てこない。が、抜糸後5日目の写真だけはアップしておきたいと思う。


術後3日目




抜糸後6日目(術後13日)
まだ腫れている


とにかく、瞼の重さがかなり軽減され、目を開けることが楽だ。今後肩こりなども少しずつ解消されていくことを期待している。


右目から始終出る涙に関しては、術後10日ほど経過してまた出始めた。これは少し改善されるかと思っていたのでがっかりしている。


見た目に関しては、まあ期待値も低いので、別に可もなく不可もなく、というところ。


とはいえ、やはり眉下の傷はなかなか気になるものだ、ということに今になって気がついた。特に私の場合眉からかなり下の方で切開されているので、眉の中に隠れない。


自分はもう年だし肌も汚いし、と気にはならないだろうと思っていたのは、必ずしも当たっていないようだ。


下の写真は左目。左目は下垂がひどくはなかったので、手術は受けたくなかったのだが、医者の勧めで受けた。何故なら両目を手術しないことで、代償的に今度は手術をしていない方の瞼が下がる可能性もあるからだ。


ということで、左目は目尻側2cmほどの切開となった。


下の写真は7年前の写真(上)と、現在(下)の写真。(正面から自撮りした写真があまりなく、クリアでない画像で申し訳ない)ほとんど変化がないようだ。

写真では見えないが、左眉尻に大きな傷が残っている


術後に会った友人も姉も、「以前と(顔の印象は)全くおんなじ。何が違うんかわからへん。」と言う。それが一番うれしいコメントなんである。


とにかく、現在のような状況の中、右瞼の重さをどうにか解消したく日本で(アメリカより器用であろう医師の)手術を受ける、という目的は果たせたと思う。


万が一お互いが無症状コロナ感染者である可能性を考え(症状は何もないが)、京都では最後の3日以外はずっとホテルに滞在した。


姉とだっていつお別れが来るかわからない、と今回何度も思った。お互い年を取って、不調も増えてきたからだ。


姉には毎日会いテラス席のあるカフェでランチを一緒に食べおしゃべりをする。

京都のホテルはなんと3500円だった(1泊1名ダブルルーム)
普段は1名でも土曜・祝日などは2万円を超す部屋

姉と行った烏丸のテラス席のあるスタバ

夕食は姉が手作りのお弁当を運んでくれた。




観光客の少なそうなお寺に行き、デパートなどのお店には食品の買い物以外入ることもなかった。

なんで今まで法隆寺に行かなかったのか、と思うほどすばらしかった


これは正伝寺、人も少ないしここも今回の目玉

そして、もうすぐアメリカに帰国する。


が、その前に手術を受けたクリニックから血液検査結果が出ました、と報告書を渡される。


ガーン・・・


採血をしたのは覚えているが、手術前の感染を調べるものだったのでは?


もっと日本の美味しいもの食べたいんですけど?


こんな検査、頼んでないし!