2017年3月12日日曜日

腰痛

年をとるというのはどんどん身体に障害が増えていくことだ、ということを日々実感している。

昨日は京都に一旦帰るつもりだったのが、急遽老犬介護をしている友人が家を出られるというので会ってきた。初詣をまだしていないのでどこかの神社に行こうということ。神社とカフェというのはなかなか楽しいアイデアだ。

最終的に決まったのがここ。

愛宕神社

東京タワーも見ることができたし、首都圏に住んでいない私には思いつきもしない良い散歩コースだった。

フェンス越しだけど

人に任せっきりでどうやってここまで戻ってきたのか思い出せないのだが、夕暮れの東京駅と丸の内もすばらしい。

東京駅舎は何度見ても感動

サンフランシスコよりも住みたくなる街

が、友人にはいわなかったが、実は歩きながら何か腰に違和感を持ち始めていた。腰痛だ。今まで無縁だった腰痛。お弁当を買って帰ったが部屋で食べるのもつらい。友人はこのブログを読まないと知っているから、ここで告白します。原因はこれ。

友人の手前一気に上がった愛宕神社の階段

いえ、もしかしたらこれかも。

民泊の座椅子

2017年3月9日木曜日

江戸散歩

東京で何をしたいと思っていたのか。思い出した。歩き回って体力をつけるのだ。だから、昨日は丸の内を、今日は巣鴨を歩いた。二つの地域はちょっと(かなり)違う。その違いもおもしろく、これから毎日東京歩きを楽しめそうだ。

課題も作った。お散歩のどこかの時点で、見知らぬ人に話しかけること(店員さんとかは含まない)。

国際フォーラム(丸)
地蔵通商店街
ランチの時間帯だったせいか人が多い。

ロブション(丸)
気おくれして誰にも話しかけられない

みずの(巣)
行列の後ろに並んでいたご婦人に、
『こんなに行列が長いんだからおいしいんでしょうね〜』と話しかける
課題クリア
食べたもの。

渋皮栗のクロッカンとフィグの全粒粉パン(丸)

にしんそば(巣)

買ったもの。

新丸ビルでカーディガン(丸)

ゆったりサイズのデカ赤パンツ(巣)
いえ、冗談ですけどね

ランチのあとの散歩。

丸の内中通り(丸)

とげぬき地蔵(巣)

帰り道なるべく歩いたが。

複雑だから同じところでグルグルと迷う(丸)

シンプル(巣)
持ち帰りの夕食後のデザート。

ポールのパルミエパイ(丸)

まんじゅう(巣)
2個買いましたけど、なにか?

2017年3月7日火曜日

一人暮らし

民泊の生活にもちょっと慣れてきた。なにしろ大学卒業までは親と住み、すぐサンノゼに移り、その後結婚して、と一人暮らしをしたことがない。だから民泊で一人暮らしデビューをしたわけだ。

不便な点は多い。高い民泊となると設備は揃っているのだろうが、ここは安い。この市ヶ谷、飯田橋、江戸川橋辺りには民泊が結構多く値段競争もあるし、大体1日50ドルから60ドルぐらいで泊まれる。

でもその価格帯だとかなり古くて色んな部分で我慢を強いられる。例えば今の民泊には洗濯機がない。

コインランドリーデビュー

調理台がないのでお料理ができない。バスルームは狭く使いにくい。トイレを流すのも5秒間満身の力を込めて小さなボタンを押す必要がある。駅近でコンビニはたくさんあるが、好みのタイプの食べ物があるレストランがない。

調理台がないので、買ってきたお惣菜しか食べられない
お皿も平皿が3枚あるだけ

日曜日から京都に移動したが、実家では久しぶりにゆったりとお風呂に入れるのが嬉しい。悪いが誰が入ったかわからない民泊の古いユニットバスに入る気がしない。

ブログを読んでくれた友人から『ソファがないの?つらいね〜。』とメールが来た。そう、ソファがないのでパソコンもちゃぶ台に置いて使っている。とはいえ、京都に帰ってもソファがない。膝蓋骨の手術をしたアプがソファに飛び乗ってこれ以上膝を傷めないように、と姉がソファを捨ててしまったからだ。

京都に帰ってまでソファのない生活

ないない尽くしに我慢できるのは、カリフォルニアの家に帰れば便利な生活と家族が待っているのがわかっているから?結局家族や友人などの親しい人々なしで、楽しく暮らすのはむずかしいのだろうか。


グルテンなしも

2017年3月3日金曜日

今日の哲学

小さい頃隣に『河合のおばさん』と呼ばれる女性が住んでいた。河合のおばさんの家は、我が家の裏庭のようなところに立った掘っ建て小屋のような所だった。どういう区画整理がされていたのか、うちの裏庭の一角に建てたとしか思えないような場所にある、トイレもお風呂もない6畳一間ぐらいの家なのだ。

一応裏通りに面しているので我が家とは関係なかったのだろうが、なんだか暗くて狭いこの家が私は少し怖かった。

通りから見える河合のおばさんの家にはちゃぶ台が鎮座していて、他には何もないように見えた。そのちゃぶ台の上にはテレビまで置いてあって、テレビを見ながら食事をする河合のおばさんの背中がいつも見えるのだった。

その背中は寂しく侘しく見えて、子供心にも『ああいう生活はしたくない。』とちょっとした恐怖を感じていた。多分河合のおばさんは、夜、通りから見えない部分にお布団を敷いて寝ていたのだろう。時々顔を見たことはあるものの、普段は古びた割烹着を着たごま塩の後頭部が見えるだけだった。今から考えるとその頃の河合のおばさんは60歳ぐらいだったのかもしれない。

今私は『河合のおばさん』生活をしている。おととい東京に到着して住んでいるのは民泊で、古い小さなマンションにちゃぶ台が一個置いてあるだけだからだ。面積は河合のおばさんが住んでいた家の2倍以上はあるとは思う。トイレやお風呂やキッチンももちろんついている。

キッチンとバスルームのついた民泊の部屋

実は去年の秋日本に帰った時初めて民泊を利用した。その時2週間半ほど東京に住んだのだが、楽しかった。日本に初めて介護のない帰国をして、自由を謳歌した。本当は京都に行くのがつらい気持ちもあり、東京でまず数日過ごしてから京都に移動する、というクッションを置いたわけだ。それでも、東京にいる間に介護帰国している友人たち2人に会い、二子玉川や川崎で何の心配もなく遊ぶのは楽しかった。父がいなくなった寂しさを感じながらも、長い間なかった後ろめたさのない自由な時間は嬉しかったのだ。

だから今回も民泊を2週間半取った。民泊のあとはまた京都に帰り実家で3週間過ごす予定だ。

ところが、今回は早くもくじけつつある。民泊で一人過ごすのがつらい。友人と会う約束は少しずつし始めたが、それでもその残りの時間は無限大に感じる。昨日なんか四谷アトレにランチに行き、歩いて帰り百均で必需品を買って来たが、それでもまだ午後の1時半だ。

四谷アトレのPaulはおしゃれなカフェ

チキンとマッシュルームのサラダと食べ放題のパンの
ランチを食べていたころはまだ気力が充実していた

テレビをつけてNHKで美保純と船越さんというアナウンサーがしゃべっているのをぼーっと見る。近所のコンビニで買ってきていたサラダ、ひじきと大豆の煮物、温泉卵、りんご半分の夕食を、夕方6時にテレビを見ながらわびしく食べる。その後はすることもないし、もう寝るかとクローゼットからお布団を出して敷く。

ハッと気がついた。これ、河合のおばさんだ!と。

人生とは、ちゃぶ台一つでどうやって充実した生活を
一人でも送ることができるか、を模索するところなのね

2017年2月28日火曜日

次男からの知らせ

さて、日本行きは明日に迫った。



リタイヤする姉を祝うことと、送別会などに出たいだろうに、アプにお留守番させるのを心配する姉を助けるのが理由の半分。



あとの半分は日本でおいしく健康的なものを食べながら運動をして体質改善をする、というのが大義名分。



実際この前の血液検査でもコレステロール値は273だったし、病気になる可能性もあるわけだから、どうにかしないといけない。



で、まず最初は東京に2週間ちょっと滞在し、3月後半から4月は京都に滞在し桜を愛でてくる予定だ。



ところが、突然姉がやめるのをやめる、と言う。



職場でもうあと1年、それが無理なら半年でもいいから仕事を続けてくれませんか、と打診されたらしい。



条件は良いし突然仕事を辞めるよりは少しでも収入があるのは嬉しいし、と姉はもう半年は続けることにした。



父の心配をしなくてよくなった姉は、去年何度も体調を崩した。



精神的なストレスがすさまじかったので、父がいなくなると寂しい反面張り詰めていたものがなくなって、病気になり始めたのだろう。



私だって父がいないのは悲しいながらも、先の見えない介護という大きな精神的負担がなくなり半分はホッとしている。



いつ日本に駆けつけないといけないかもしれない状態というのは、常に心の奥底に重い石を抱えているようなものだ。



やっと両親を見送り、子供たちも自立し、もう私は自由なのだ。



足かせなど何もない(はずだ)。



サンフランシスコの次男とマリーのマンションに滞在すると、ついつい翌日の食事まで作り置きしてあげたくなるのだが。

これは明日の夕食
揚げない酢豚
ちなみに今日はマリー姉も招待して天ぷら


猫の世話だってとことんしてしまう。

なんか態度悪いな

両親にも子供にも猫にも、どこかで線引きをして放っておく、ということがなかなかできない。



だからこんなお知らせがあると、言いたいのはこの一言。

オーマイガッ!!

2017年2月27日月曜日

父とのお別れ

母とお別れした時と同じように、父との別れの日は姉と二人で斎場に行った。



その日斎場は混み合っていて、父の順番が来るまで少し待たされた。



斎場に行く車に乗る前に、父とは玄関でお別れをした。



お棺の中には父には似合わない蘭やバラをたくさん入れ、一番お気に入りだったシャツを着せて蓋を閉めた。



その時のことを思い出すと今でも涙が止まらないが、その1時間後の悲しみはそんなものではなかった。




火葬炉に入る前の父とのお別れ。



もう一度父のお棺の蓋を開けてさようならを言う。



本当に父は死んでいるのだろうか。



もう何も感じないのだろうか。



頬を撫でてみた。



父は氷のように冷たい。



でも父の頬が濡れているような気がする。



父は泣いているのだろうか。



まだ生きている、炉に入れないでくれ、と叫んでいるのではないだろうか。





炉に消えていく父のあとを追って行きたかった。



父を行かせてはいけない。



こんな理不尽なことをしていいわけがない。



どうにかこのまま父をここに置いておけないのだろうか。



もう父を見ることは一生ないのだ。




身の引きちぎられるような悲しみというのはこういうことを言うのだろう。



悲鳴をあげながら泣くのは初めてだった。

父が亡くなったあとのホームの部屋
この部屋の整理は本当に苦しい作業だった



父の骨は驚くほど大きかった。



特に骨盤や足、そして膝蓋骨は本当にあのやせ細った父のものなのだろうか、と信じられないほど立派だ。



どうやってこんなに大きな骨があの小さな体に入っていたのだろうか。



姉と二人で感嘆しながら少しだけ明るい気持ちになった。



母の時と同じで、子供にちょっとしたサプライズを残してくれる親。



それは私たちにほんの少しの慰みを与えてくれる。




悲しかったのは、そのことを伝えて一緒に驚き笑い合いたかった人がもういないことだった。



それは勿論父なのだった。



2017年2月26日日曜日

6日前 日本に出発

介護が大変なのはやはり仕事との両立だろう。



育児があるとさらに大変だ。仕事、介護、育児ともっと追い詰められるだろうが、ほとんどの人には育児が終わったあと介護が始まると思う。



姉が大変だったのは、母が生きている頃は母の介護だけではなく、仕事も大事だということを父に理解させることだった。



父はいつも言っていた。



自分がいつまで介護できるかわからない、それに自分が病気になったら途端に母の世話ができなくなるのが怖い。



だから、姉に仕事を辞めて母の介護に専念してほしい、と。



姉が仕事をしながら病院に泊まり込んだり、父の精神 的ケアをするのは大変だった。



でも辞めなくて良かったと思う。


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6月14日。姉は出勤前に訪問した。



抗生物質が効いて熱が少しだけ下がり、父は熟睡していた。



抗生物質は一日一回で3日間の予定。



看護師さんから病院で受診するとしたら、どこの病院がいいですか、と聞かれる。



姉の答えは『苦しい、痛いなどの症状があれば考える必要があるが、まずは主治医の森先生に相談したい。』というもの。



父は体力がなくなってきているので、感染しやすくなっている。



夕方行くと、スタッフのSさんが食事を部屋で食べさせてくれているところだった。



栄養ゼリーだけは結構食べる。熱は37度。

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この日私はサンフランシスコ空港から飛んだ。



ここからは日本に着いたあとの6月16日の記事に戻る。



姉はこの3月31日で退職する。



本当に大変だったと思う。



長い間睡眠時間を削って介護をしながら、仕事をしてきた。



やっと早起きもしなくてよくなるのだ。



だから、私は姉の退職を祝うために日本に行くことにした。



3月は送別会とかもあるだろう。



帰りが遅くなるとアプのことが心配だろうから、3月後半はその世話役も買って出ることにした。

日本に行く前に血尿の原因を調べるために、超音波、
レントゲン、膀胱内視鏡検査としたが問題なし
写真を撮ったのは、実は足の毛が気になったからなんです


日本に行く前に友人とおいしいものを食べておく
これは中近東料理 Chicken Shish Wrap



2月末にサンフランシスコ空港から出発する。



なのに、今回は準備が全く進まない。



原因はわかっている。

毛玉とりがやめられない