2014年2月18日火曜日

手すり

Opening up a can of worms (虫の缶詰を開ける)というイディオムがある。


事をややこしくする、状況を複雑にする、という意味だ。







































去年の5月から始まった家のリフォーム。


5月に1階、8月に玄関を含む中2階のフローリング工事がすんだ。


それまでは古いながらも、まあ満足して住んでいた。


築100年以上の家でもリフォームしながら住むのが当たり前の国だ。


築15年の我が家は比較的新しい家と呼ばれる。





なのに虫の入った缶詰を開けてしまった。



今までの明るい色から暗い色になった床に合わせるために、まずはキッチンのキャビネットと階段の手すりをどうにかしないといけない。


キッチンのリフォームは費用とデザイン、将来家を売る時のことを考えて決めないといけない。


この決断がむずかしい。




が、少なくとも手すりはどうにかしないといけない。



これが問題の手すり


















階段の柱キャップ























































今朝は手すりを今の明るい色から暗い色に替えてもらうために業者に来てもらった。



見積もりは1200㌦。



3日かかるそうだ。



来週から日本に行くので、帰国後始めてもらうことにする。


手すりは楓の木を磨いて新しい色にしてもらうが、欄干は自分たちで替える。


白くペイントされた木だったものを、鉄製に替えることにした。




こちらはSouthern Lumbersという、木材やちょっとしたDIYの材料を売っているお店に行って注文した。


欄干はこれ
色はこちら








これが終わってもまだまだリフォームしないといけないところがたくさんある。

キャビネット、シンク、カウンター、家電、
一番頭の痛いプロジェクト
窓のシャッター

バスルーム総替え






洗濯室床

シャワー総替え
息子たちのバスルーム床とキャビネット



リビングのカーテンかシャッター
書斎の棚、ベンチ、カーテン




この手間と費用を考えると泣きそうになる。



缶・・・





開けるんじゃなかった

2014年2月4日火曜日

デイジー

このところ古いアルバムを掘り起こしている。父が喜びそうな写真を集めてアルバムを作りたいからだ。長男が1歳の時父と一緒に行った瀬戸大橋の写真など、父が興味を示しそうなものを集めている。

我が家に来た頃300㌘
そのうちデイジーの写真が出て来た。デイジーは6年前まで飼っていた1400㌘のヨークシャー・テリアだ。

毎日近所の邸宅が並ぶ地域を散歩していたのだが、6年前の4月に、その一軒の邸宅に飼われていたチャウチャウ犬が裏庭から飛び出して来た。デイジーは私の目の前でかみ殺された。7歳だった。

最期までパピーのようだった
長男は当時大学生で家にいなかったが、次男は高校生だった。救急病院に駆けつけた次男は泣いたあと、飼い主に一言言わずにはいられないということだった。

邸宅に住んでいたのは弁護士の家族で、夜訪ねると玄関に小さな娘を連れて出て来た。次男は涙声でどうしても自分の気持ちを伝えたい、と彼らに言った。

デイジーは自分が小さい時うちに来て、自分にとってはとても大事な家族の一員だった、We grew up together.と訴えた。が、彼らから誠意のある返事はなかった。弁護士の娘の方は自分の犬が保健所に連れて行かれて処分される、と大泣きし続けている。静かな涙と騒がしい涙。

その後市役所から事情聴取に来たフィリピン人のオフィサーはリア・ディゾンの父親だった。リアの話や家族の写真を見せてくれたりして、話がはずんで一緒に記念写真まで撮った。このリア父に渡された書類を役所に提出したが、何故かその後フォローアップはなかった。悔しかったが泣き寝入りするしかない。邸宅のあった地域は私道だったので、訴えることもできないからだ。
一番のお気に入りだった椅子

正直なところデイジーが死んで悔しいという気持ちはあったが、悲しさは余りなかった。目の前でズタズタにされたトラウマの方が大きくて、悲しみの感情が湧かなかったのか、元々かわいくて仕方ないという気持ちも持っていなかったからなのか。

かわいそうだとは思ったが、このあと数年間は自分のトラウマと付き合う方がずっと大変だった。

いつも日向を探しては寝ていた


隣で宿題をする次男
生後6ヶ月のデイジーはマイペース
掃除機のホースに居心地いいスポットを見つけて寝るデイジー
ところが、今次々と出て来るデイジーの写真を見ると涙が止まらない。生きている者があんな死に方をするのは余りにもかわいそうだ。どんなに苦しかっただろう、と思うと涙があふれる。写真を見てはティッシュで涙を拭いている。それはアプと関わるようになったからだと思う。
アプは耳で感情表現をしている・・・ような

マイペースで大人しかったデイジーに比べて、アプは余りにもやんちゃで感情表現豊かだからだ。犬にも感情があるんだ、と教えてくれる。

遅れて来たペットロス症候群

2014年2月2日日曜日

チケット予約

そろそろ日本行きチケットの予約をしないといけない。父のことが気がかりだ。木曜日にも興奮して1階に降りて行きここから逃げたい、と言ったらしい。スタッフが説得しようとしても収まらない。どうしたらいいかわからない看護師さんが森先生に電話した。森先生の返事は『状態が変わったなら診察します。』ということ。看護師さんたちが相談して、どうにか診察の日を早めようということになったらしい。現時点での予約は2月12日に入っている。

ひたすら宙を見る父
日誌でこの記録を見た驚いた園長がスタッフに言う。そういう時森先生に電話してはいけない。ケアの問題であって病状の問題ではないのだから。が、スタッフはうなだれて、どうしたらいいかわからなかった、と言う。園長はそんな時は手があいている者、気持ちの余裕のある者を探し出して助けを求めるべきだ、と話すがスタッフにはそういう臨機応変の対処がむずかしいようだ。結局娘を呼ぶ、ということしかなくなってしまう。

とにかく父は孤独なのだ。松本先生のリハビリを再開してもらうという話も宙に浮いたまま。スタッフが父の所に時々行って一緒にストレッチをする、それがコミュニケーションにもなる、という森先生の指示も実施されていない。

夜用の補聴器には
新しい耳栓がついた
父はそれが使いこなせない

今は姉が毎晩7時に父の様子を見に行く。その時一緒におやつを食べ着替えを手伝って、1時間から1時間半父と過ごす。が、その間姉はアプのことが気になってはらはらする。仕事が終わって大急ぎで帰宅。アプと少し遊んでやって父の所に行く。アプは一日中お留守番したあと、やっと姉が戻って来たのにまたお留守番になるのがかわいそうだ、と姉は気を揉む。

アプはこのところケージの屋根に飛び乗ることができるようになってしまった。それに極度の怖がりなので、要所要所で安心させてやるようにしないと、これから社会性がちゃんと養われない可能性もある。乳歯も生え変わりで永久歯と二重になっているので、抜歯にも連れて行かないといけない。避妊手術も必要なので全身麻酔をするついでに抜歯をすることにした。

ケージの上に飛び乗ったアプ

父やアプのことで姉がてんやわんやだと思うと、できるだけ早く行かねば、と思う。でも日本での自分の体調を考えると、体力をつけてから日本に行かないとこっちが倒れてしまう、と思う。なので毎日ラジオ体操をしたり、ランニングマシーンで歩いたりしている。が、どうもまだ時差ぼけが残っているようで、夕方まではだるい。しかしそんなことは言ってられない。

ランニングマシーン
少しでも安いチケットを買って今月の終わりには行きたい。なので毎日朝晩とユナイテッドのサイトでチェックする。2月は何故か高い。成田往復でも1500㌦近い。関空往復となると2200㌦になってしまう。来週辺りの時点で値段が下がらない場合は仕方ない、1500㌦で購入するか、と考えていた。

今日は友人Yとカフェで待ち合わせてから夕食に行った。アメリカでは最近犬をモールに連れて来る人が増えた。お店の中を犬が歩いている。が、⇩超大型犬を見るとさすがにびっくりする。友人Yから少し遅れるという連絡があったので、iPadでユナイテッドのサイトを見て時間を潰すことにした。すると、なんと成田往復が970㌦になっている。すぐ買った。

巨大な犬でした
京都までの新幹線往復とホテル各1泊を入れても関空往復の2000㌦より安い。それに関空までは12時間10分だが、成田まではそれより1時間短い飛行時間だ。この1時間は大きい。でも、やっぱり関空まで飛ぶべきか。関空往復は2000㌦。片道だけを関空にすれば1500㌦。

迷ったがやはり成田往復にすることにした。なにしろ飛行時間が1時間短いのは魅力的だ。それも何故か成田に飛ぶ時は、それよりも速くなることが多い。エコノミープラス席の年間パスも買った。これが699㌦。エコノミープラス席は大体130㌦から160㌦だから、4回半飛べば元が取れる。今年は6から7往復を見込んでいるので、価値があるとはわかっているのだがこういう出費はドキドキする。

成田空港NAVIアプリも
インストールした
時差と移動は疲れるのだが、自分でもラッキーだったと思うのが移動が好きなことだ。Yは移動が大嫌いだそうで、日本に行く前は本当に憂鬱になるそうだ。Yとしばらくバックを見ることにした。機内持ち込み用のバックがほしい。キャリーはもう6年使っているお気に入りがあるが、旅行用のバックは幾つ買っても大満足、というものに巡り会えない。

今までに色々な形、サイズのバックを試した。クローゼットの中にまだいくつも入っているはずだ。探してみた。一度も使ってないレスポのバックがあった。これは大きさ、機能性とピッタリだ。が、どうもヒョウ柄が奇抜で使えなかった。これを使うか。軽いしポケットはいくつもあるし大きいし、飛行機の中で読む本、食べるお菓子、おにぎり、毛布、何でも入る。
機能性は抜群
が、やめた。

このバックから愛用のこの毛布が出て来たら、ちょっとびっくりするよなあ。

やっぱりヒョウ柄

2014年1月27日月曜日

2つの教訓

京都での最後の1週間はつらかった。余りの寒さに体調が不安定で冷えのぼせも頻繁に起きて、頭が充血しているような状態だった。ここまで寒い時に日本に来るのは無謀なのではないか、と何度も思った。が、やはり父のためにはお正月前後に帰ってあげたい。

近所のスーパーいずみやのおはぎが父の一番の好物
これ、本当にどこのおはぎよりもおいしい
 今回は成田からのフライトだ。いつも京都からは11時過ぎの新大阪発のぞみで出るが、今回は少しでもアプと一緒に過ごしてあげたかったので、1時過ぎののぞみにした。新幹線で食べるお弁当は旅の楽しみ。

宅配便集荷を待っていスーツケース
が、12時を過ぎるていたのでおいしいお弁当は全て売り切れてしまっていた。泉仙の六角弁当にしようかと思ったが、やはり違うものを試そう、と根菜のたくさん入っている680円のお弁当を買ってみた。大失敗。天ぷらはまずい。お弁当の多くが芋類。結局半分残してしまった。

教訓1
弁当はいつも同じものを買え!

もしかしたら富士山が見えないかもしれないので、関ヶ原で雪山を撮る
新幹線の中ではやっぱり顔がほてってつらかった。270円の抹茶アイスクリームを買って首筋にあてて冷やす。これがおいしかった。


きれいでした


東京は京都より暖かかったが、やはりサンノゼの気候に慣れた身体にはつらい。東京駅周辺も銀座周辺も寒々とした感じ。が、いずれ一年のうち気候の温暖な時は東京に住みたいといつも思う。


ホテルの部屋に入るとやはり冷えのぼせで、顔が真っ赤になる。新幹線で真っ赤、外に出て寒く部屋でまたのぼせ、と変化が激しい。閉め切ったホテルの部屋はつらいなあと苦しい夜を過ごす。

朝も余り胃の調子が良くない。が、せっかくだから朝食ビュッフェに行くことにした。野菜を中心に軽く食べる。結局卵とライ麦パンは残す。

ビュッフェでこれだけというのは
もったいないよなあ
それにしてもビュッフェで一人の朝食は寂しい
が、体調が安定していないので友人を誘うこともためらわれる

空港リムジンで成田に向かう
さて、今回は成田空港にスーツケースを送る代わりにホテルに送った。銀座で買ったお土産を詰めてスーツケースを持ってみる。これだけで23㌔を超えているかどうかわかるようになった。空港で秤に置くと22㌔だった。もう少し詰めさせてください、と長男に買ったおにぎりやお饅頭を秤の上で詰める。

最終的には23.1㌔
そして嬉しいことが。カウンターのUA係員に年間のエコノミープラス席のことを聞いてみた。699㌦で1年間有効ですよね。そちらを買ったとしたら、今日の座席代は129㌦は払い戻しされるんですか、と。

係員は年間パスのことは知らなかった。だからそれには答えられない。ただ今日のは好意で払い戻しします。そのあと年間パスは購入するかどうか考えてみたらどうですか、ということ。129㌦のクレジットをくれた。嬉しい!

日本での搭乗はグループごとに1〜5までに列が分かれていた

今日の夕食は鮭の南蛮漬けのようなのがメイン
 
これがおいしかったので魚とサラダを完食
朝食はいつものオムレツ、ソーセージ、ハッシュブラウン
オムレツと紅茶だけにした


それにしてもサンノゼは暖かかった。20度を超えている。長袖Tシャツで充分だ。が、空港を出た所で化粧ポーチを飛行機の座席に忘れて来たことに気がついた。3000円の日焼け止めと3200円のリップクリームは新品。他にも色々と入っていたので損失は1万円以上。大ショック。

教訓2
飛行機を降りた時のために化粧直しをするな。
誰も見てへんがな!

2014年1月20日月曜日

冷えのぼせ日記

1月18日土曜日

このところ『冷えのぼせ』症状がひどくなってしまった。ホームの父の部屋、伊勢丹、カフェなどなど暖房が効いていて天井の低い所に入ると、顔が真っ赤になる。真っ赤になるだけならいいが、同時に頭が爆発しそうな、前頭葉がツンツンした感じというか、わけがわからん、といった状態になる。心臓が痛くなる。

最近の必需品
5本指ソックスと
冷え取り君(足湯器)
これは危険かもしれない、と感じる。そのうちどんどん具合が悪くなり呼吸が苦しくなってくる。大体が寒い所からこうした暖房の強い場所に入ると感じるから、気分が悪くなったら外に出るしかない。もしかして気のせいなのかもしれない、父と同じように不安が高じて身体に出てしまうのだろうか、と思ったりもする。

昔なじみの場所は
くつろげるらしい
が、今日は父を補聴器センターに連れて行かないといけない。四条烏丸にあるこのお店までの道のり、父は耐えられるのか。補聴器センターでは時間がかかるだろうから、文句を言い続けるのではないだろうか。などなど考えると面倒だが、この前の夜用補聴器修理事件で懲りたので、昼用も早く作っておきたい。

車が補聴器センターに近づくと、父は四条通りは左に曲がって最初の道を右に曲がらないと、一方通行で行かれない、などなど運転している姉に指示する。やはり何度も通った場所だから、よく覚えているらしい。

耳栓を作るために型を取る
父は補聴器センターが懐かしかったのか文句を言うこともなく、長いテスト時間にも耐えた。結局新しい補聴器と耳栓部分で22万円也を注文する。このところ眼鏡を作っても使わない父が、果たしてこの新しい補聴器を使うのだろうか。

ホームに帰って車椅子に座る直前に父はバランスを崩して、隣にある車椅子で頭を打つ。オロナインを塗ってあげて帰ることにした。そのことを心配して夜また来てくれと電話がかかって来るのではないか、と思ったがかからず。


1月19日日曜日

朝起きて外を見たら雪が積もっていた。このところの寒さがつらくてたまらない。父が死んだあとこの家を片付けたら、二度と京都には戻って来ない、と心に誓う。


父のことを思い出すのはつらい。それに、ここ数年の夏の暑さと冬の寒さで体調を崩すことが多くなった。温暖なサンノゼから厳しい気候の京都に身体が順応できなくなってしまっている。

伏見稲荷、銀閣寺、南禅寺、東福寺などなど美しいとは思うが、お寺を見るために帰って来なくても不幸だとは感じないだろう。などと余りの寒さに少しいじける。

御池のカフェにランチを食べに行くが、やはり食べ終わる頃にはのぼせてしまって苦しい。家に帰ることにした。2時にドッグトレーナーが来る予定なのだ。今日は2度目のレッスンだが、前回のレッスンのことは姉から様子を聞いただけだ。感動するほどアプがいい子だった、ということとトレーナーの女の子がかわいい、ということ。

トレーナーは1時55分に来た。姉が言う通りかわいい。なんとも言えずかわいい。男の子と見まがうほどボーイッシュで、声も低いが素直そうであっさりした顔ですぐ気に入った。トレーニングもうまくて性格が良さそうで、こういう子がうちの息子の嫁になってくれたらなあ、などと思う。

アプとの生活で一番気になるのは、横で何かを食べるとほしがるので、アプのいない所で食べないといけないことだ。アプと一緒にテレビを見ながらおやつを食べたりしたい。それに、アプのスペースに入ろうとすると、アプは柵の内側でぴょんぴょん跳ぶのでやめさせたい。食べ物を持つ手を襲うのも困る。

トレーナーは教えてくれる。まずアプのスペースに入る時、柵のゲート部分を開けながらアプの顔をじっと見る。アイコンタクトをしてアプが跳びはねている時は決して中に入らない。アプがオスワリかフセをした状態になったら初めて入る。そんなことができるのか。

トレーナーが試すとアプはフセをして待つ。こんな賢そうな表情のアプを見たのは初めてだ。


次はアプの隣に座ってあられを食べる練習。アプはほしがってまとわりつくが、その時手ではらったり、ダメと言ったりしてはいけない。ただただ無視すること。不思議や不思議。アプがすぐ理解してほしがるそぶりをやめて、姉の膝の上でちゃんとおとなしく待つようになった。すごい!

姉の左手にはあられが載っている
が、アプは『それが何か?』という表情をする

来週の木曜日、トレーナーに10時間預けて社会性を身につける、などの訓練をしてもらうことにした。それがうまくいけば週2ぐらいで預けて訓練してもらう可能性も話す。レッスンのあとアプは延々と寝る。どうも疲れたらしい。

それにしてもレッスン中足が冷えて顔がのぼせ始めた。立っているのもつらい。めまいもするし体調の悪さがピークという感じ。このまま心筋梗塞か脳梗塞でも起こすのではないか、と本当に不安。夜は父の所に行く元気もなかった。姉が6時半頃行く。父は穏やか。


1月20日月曜日

朝から足湯をする。やはり体調が悪い。体調が悪い▷日本で病気になるかもしれない▷保険がないので、ちゃんとした治療を受けられないかもしれない▷アメリカに帰れないかもしれない、というような構図がいつも頭にある。精神的なものなのかもしれない、とまた不安になる。本当に体調が悪いのだろうか。頭の中だけで起きていることなのか。

今朝は氷点下3度だ。トイレに行くのも寒い。玄米餅で作ったお雑煮を食べる。とにかくだるい。今日から新しい試みをすることにした。父の所に早めの時間帯に行くのだ。3時頃ならまだ明るいからホームまで歩いて往復できる。冷えのぼせは下半身の血流が悪いことが原因なのだから、足腰を鍛えないといけない。

3時過ぎにホームに行くと、父が食堂に座っていた。スタッフの話では、新しい先生のリハビリを受けている最中に、娘に来てほしいと言い始めて先生を拒絶したようだ。松本先生のように、おしゃべりをしながら父をリラックスさせる、ということができない人なのだろう。無理もない。父はむずかしいのだ。


部屋に一緒に帰り、和菓子とお茶でリラックスさせる。アルツハイマーは運動しながら脳トレをすれば防げる、という新しい知識を父に伝えて一緒に運動する。そして100から7をひかせる。父は93、86、69、と3つ目で間違う。これはなかなかむずかしいのだ。自分の中で7ずつひいていかないといけないのだから。100から7をひくと93。では93から7をひくと答えは?というように数字をリピートしてはいけない。100から7ひいて、次はその答えから7ひいて、またその答えから7ひいて、とリードしていかないといけない。

では次に野菜の名前を覚えているだけ言ってください、という問題を出す。確か1年前父は20ぐらいすぐ言えたはずだ。が、今日は「白菜、きゅうり、なす」で詰まる。その後「つつじ、椿」などと言う。やはりアルツハイマーが進行したのだろうか。

1時間半父とおしゃべりしたあと、スタッフに夜の着替えと補聴器交換の確認をお願いします、と頼んで帰ることにする。

そういえば、今日の午後突然暖かくなったせいか、体調が一気に良くなったのを感じる。良かった。気のせいではなかったのだ。やはり寒さに身体がついて行けなかっただけなのだ、と安心する。喉元過ぎればなんとやら、で安心してしまわず、これからは足腰を鍛えるために運動しよう。

本日のささやかな贅沢
マクドナルドのカプチーノ
190円也

2014年1月16日木曜日

仁和寺

昨日は森先生の診察のあと一緒にホームに戻って昼食のあと、しばらく父が喜びそうな話をしてみた。父は義理の息子(つまり私の夫)が大好きなのである。多分日本語ができる男だったら息子のあらを見つけて文句を言ったかもしれない。が、義理の息子は英語しかしゃべれない。だから、父のお気に入りなのだ。

父は義理の息子が大金持ちだと思っている。何故なら娘が何度も日米往復できる財力があると思っているからだ。日米往復はマイレージを使うことが殆どだし、別にお金持ちではない。決してない。が、父はそう思うことでとても幸せらしい。だからそう思わせておくことにしておく。

そんな話をしていると父はドーパミンが出始めて顔が輝く。夜父と会話すると疲れているせいか、このところ余り話がはずまなかった。が、昨日は違う。森先生の所に行って話したことで、少し覚醒したのかもしれない。

夫は今年の春に日本に来る予定だ。どこに連れて行こうかと父に聞いてみる。仁和寺がいい、と父が言う。

父は思い出す。仁和寺に行って桜を見た時びっくりした。池のほとりに咲く御室桜の美しさを見て、天下に及ぶものなし、と思ったと言う。自分も一緒に行きたいとまで言う。

仁和寺は紅葉もいいですがね
1時間ほど話したあと帰ることにした。父に、今晩は来なくていいか、と聞いてみる。勿論いい、と明るく応える父に、明日の夜また来ると言いながら帰ることにした。スタッフの二人にも頼んでおく。毎晩来るという習慣を変えたいので、今日は夜来ません、何かあったら連絡ください、と。

スタッフは、明るい顔で大丈夫ですよ、頑張ります!と言ってくれた。が、十中八九無理だろうな、と思った。

案の定夜7時半にスタッフから電話があった。やはり少し興奮した父の声が背後から聞こえる。スタッフに、どうしても今日中に娘に伝えたいことがある、家族内のことなので娘が来ないと伝えられない、と言っているらしい。姉が行くことになった。

姉が着く頃には父は穏やかになっていたらしい。一日でもホームに家族が行かずにすむ、という日が作れるようになるのだろうか。それともこれから事態は悪化するばかりで、そんなことは望めないのだろうか。

ところで仁和寺って池あった?

2014年1月15日水曜日

冬眠

父の混乱はひどくなっていく一方だ。果たして補聴器がしばらくなかったことが原因なのか、それともアルツハイマーが進行していってるのか。

夕べいつも通り6時頃ホームに行くと、父は険しい顔をしてベットに座っていた。いつもならベットに座って寝ているか、食堂でうつむいて座っている頃だ。目を剥いて父が訴える。スタッフに夕食を部屋で食べたいと言ったが食べさせてくれない、と。

実は父の部屋に入る前にスタッフから報告があったのだ。お昼前に父が自分の部屋で排便をして、それをゴミ袋に入れてスタッフのもとに持って来たということ。それがボケによるものか、あるいは間に合わなかったのかはわからない。勿論日中はいつものように風邪をひいた、鼻が詰まる、と何度も訴えて看護師さんに看てもらったらしい。


昨日はわいわい広場がある日なので、朝9時半頃ホームに行って父を誘ったのだが、父は今日は絶対に行かないと言い張る。行くと具合が悪くなる、今日だけは行かないと絶対に譲らない。行って座って見るだけにしたら?と言っても頑として行かない。あきらめて一度家に帰ったのだ。その時も父はぼんやりした表情だった。

とにかく部屋に夕食を持って来て食べることにした。目には生気がなくただただ咀嚼している。排便のことは覚えていて、間に合わなかったので部屋でした、と言うのだが。父の好きな話をしても一瞬目が輝くが持続しない。話に乗って来ない。おやつを食べて着替えを手伝う。補聴器の交換がすんだところで帰ることにした。が、父はこのベットでこのまま寝ればいいのか、と何度も何度も確認する。もう5分一緒にいてほしい、と半泣きのような顔で言う。


が、もう私の中ではイライラが極限状態で1秒たりとも父のそばにいるのがむずかしい。もう遅いから帰ると言うと、父は「どうしてそういう冷たいことを言うんかなあ。」と険しい表情をする。その言葉にキレそうになる。明日は朝森先生の受診があるから、朝来ると言い残して帰った。



今朝は9時に家を出て森先生の病院に行って診察券を入れておくことにした。父が10時少し過ぎた頃ホームのスタッフと看護師に付き添われて来た。待合室で待ち始めた途端、時間がかかるなあ、何番目かちょっと調べてほしいと言い始める。この父のわがままにスタッフや看護師もよく付き合ってくれるなあ、と思う。他の患者が二人呼ばれたがまだ到着していないのだろう。その二人をとばして父が呼ばれた。待ち時間は10分もなかった。

森先生はまず父に首が痛くありませんか、と聞く。父は目を輝かせてちょっと痛いですが大丈夫です、と応える。この父の様子は昨日までのぼんやりした父とは別人だ。なじみのある人とコミュニケーションを取るのが嬉しいのだ。父は孤独なのだ。自分に関心を示してくれる人がいると嬉しいのだ。

スタッフから報告がある。鼻づまりや風邪の症状を訴えることが多い、それは看護師が対応しています、ということ。森先生はスタッフを見て「どうですか、首は以前より俯いていますか。」と聞く。スタッフがそうは思わない、毎夕ストレッチをしてもらっています、と応える。

「ストレッチは一日一回ではなく、頻繁にしてあげてください。それがコミュニケーションを取るということにもなります。」と先生が言う。さすがだ。父に必要なのはコミュニケーションだということが先生にはわかっている。鼻づまりや風邪の症状を頻繁に訴えるのも、他にすることがないからだ。だから自分の不調のことばかりを考える。そのことが先生にはわかっているのだ。

ここで先生に「ちょっといいですか?」と聞いて家族から見たこのところの父の症状を伝えた。ぼんやりしていることが多い。びっくりするようなことも起きた。自分に兄がいるような発言をスタッフにしたこと、昨日の排便事件、ベットや補聴器に関しての混乱。

そして最近起きた出来事。補聴器が壊れてしまったこと、松本先生の訪問リハビリがなくなったこと。


先生の診断。鼻づまりとか風邪を訴えるのは元々の性格である神経的脅迫的こだわり、敏感さで父の父らしさ。

認知機能が落ちたのは一時的なものなのか、認知症が進行しているのか、の見極めが必要。

そろばんを一緒にしてみようと
誘ったが、父は興味なし
去年は幻覚が焦点になって、薬の有効性と副作用が問題になった。もし認知機能が低下し始めると、今までしていたことができなくなる、生活しづらくなる、そこから来る混乱や困惑が問題になる。問題の質が去年とは変わって来るから対応も変わる。

認知機能の低下は薬で取り除くことはできないので、例えば補聴器の交換など自分でどこまでやってもらうか、こちらでどこまでするか、という生活の組み立て直しが必要になっていく。

寒くなったのでそういった環境の変化で一時的に認知機能が低下したのか。つまり寒い時冬眠するように意識の清明さ、活性度が下がっているので、認知機能も低下したのか。その場合は活動性がまた復帰すれば認知機能はまた上がる。

そうではなく認知症が進行して認知機能が低下がしたのであれば、生活を組み替えて行く必要がある。その見極めが今回の課題です。次回までみていただいて答えを出して行きましょう。

いつもながらの明快な診断だった。さて父は冬眠中なのかどうか。答えが出せるよう一層気をつけて観察しなければ。

待合室に貼ってあったポスター
お電話してもいいでしょうか