2014年2月4日火曜日

デイジー

このところ古いアルバムを掘り起こしている。父が喜びそうな写真を集めてアルバムを作りたいからだ。長男が1歳の時父と一緒に行った瀬戸大橋の写真など、父が興味を示しそうなものを集めている。

我が家に来た頃300㌘
そのうちデイジーの写真が出て来た。デイジーは6年前まで飼っていた1400㌘のヨークシャー・テリアだ。

毎日近所の邸宅が並ぶ地域を散歩していたのだが、6年前の4月に、その一軒の邸宅に飼われていたチャウチャウ犬が裏庭から飛び出して来た。デイジーは私の目の前でかみ殺された。7歳だった。

最期までパピーのようだった
長男は当時大学生で家にいなかったが、次男は高校生だった。救急病院に駆けつけた次男は泣いたあと、飼い主に一言言わずにはいられないということだった。

邸宅に住んでいたのは弁護士の家族で、夜訪ねると玄関に小さな娘を連れて出て来た。次男は涙声でどうしても自分の気持ちを伝えたい、と彼らに言った。

デイジーは自分が小さい時うちに来て、自分にとってはとても大事な家族の一員だった、We grew up together.と訴えた。が、彼らから誠意のある返事はなかった。弁護士の娘の方は自分の犬が保健所に連れて行かれて処分される、と大泣きし続けている。静かな涙と騒がしい涙。

その後市役所から事情聴取に来たフィリピン人のオフィサーはリア・ディゾンの父親だった。リアの話や家族の写真を見せてくれたりして、話がはずんで一緒に記念写真まで撮った。このリア父に渡された書類を役所に提出したが、何故かその後フォローアップはなかった。悔しかったが泣き寝入りするしかない。邸宅のあった地域は私道だったので、訴えることもできないからだ。
一番のお気に入りだった椅子

正直なところデイジーが死んで悔しいという気持ちはあったが、悲しさは余りなかった。目の前でズタズタにされたトラウマの方が大きくて、悲しみの感情が湧かなかったのか、元々かわいくて仕方ないという気持ちも持っていなかったからなのか。

かわいそうだとは思ったが、このあと数年間は自分のトラウマと付き合う方がずっと大変だった。

いつも日向を探しては寝ていた


隣で宿題をする次男
生後6ヶ月のデイジーはマイペース
掃除機のホースに居心地いいスポットを見つけて寝るデイジー
ところが、今次々と出て来るデイジーの写真を見ると涙が止まらない。生きている者があんな死に方をするのは余りにもかわいそうだ。どんなに苦しかっただろう、と思うと涙があふれる。写真を見てはティッシュで涙を拭いている。それはアプと関わるようになったからだと思う。
アプは耳で感情表現をしている・・・ような

マイペースで大人しかったデイジーに比べて、アプは余りにもやんちゃで感情表現豊かだからだ。犬にも感情があるんだ、と教えてくれる。

遅れて来たペットロス症候群