佐世保に着いた時は本当に嬉しかった。
私は叔父さん(母の弟松XX之)とその娘陽子さんの家に行こうと思い、広島県にある八本松駅まで汽車で行くことにした。
川本のおばさんたちは、八本松駅の一つ後の駅で降りる。
私は八本松駅から竹仁という小さな街までバスに乗るつもりだった。
竹仁に叔父さんの家があったので、バス停から歩こうと思ったのだ。
私がバス停を探していた頃、一つ後の駅(志和駅と記憶している)で降りた川本のおばさんたちは私の父にばったり会った。
父はその志和駅から広島駅に行くところだったのだ。
広島駅に行き、私を探すための新聞広告を出すつもりだった。
NHKラジオの人探しコーナーでも、私を探していると毎日放送されていたようだ。
駅でバッタリ父に会った川本のおばさんは、父に私が八本松駅で降りた、と話した。
父は駅員さんに、自分の娘が今八本松駅にいる、そこに自分が行くまで動かず待つように伝えてください!と頼んだ。
八本松駅では駅員さんが私のバッグに書いてある名前を見て、「今お父さんが来るからここにいてください!ここから動かないで!」と言った。
しばらくすると父の乗った汽車がホームに入ってきた。
顔を真っ赤にしたお父ちゃんが、私に向かって走って来る。 「完」
これではこのドラマの感動はなかったかも
良かった!・・これで終わりですか!? お姑様がアメリカに行き、生きてきた姿も語っていただきたいです。
返信削除私には、アメリカで結婚されたみきみぃさんのお姑様が日本人で、というのがもう、びっくりで。フランスのアルザスで暮らしていると、結婚や仕事や留学で日本から来て、根付いている人は周りにいますけれど、自分の親の年代となると、ほとんどいません。アメリカとの違いを感じています。
kikiさん(ですよね?)
削除これで一旦終わりますが、姑が結婚して渡米した時の話を今まとめています。なかなかこれも今の時代からは考えられないことも多いので、また読んでみてくださいね。
フランスのアルザスとの違いは、アメリカには戦争花嫁と呼ばれる人たちも多く日本から移住されているところかな?この方たちのパワーはすごいです。というか結構怖い^^;
戦争花嫁。私、よく知らずにいました。お姑様のお話、続きを楽しみにしています。
返信削除kikiさん、
削除戦後、満州からの引き揚げ話はこれで終わりですが、70年近く前に渡米した時の話もなかなか興味深いです。楽しみにしてくださってありがとうございます^^
12〜3歳の女の子が、たった一人で無事引き上げ帰国されて叔父さんの家に行けば何とかなるとメモを握りしめた...想像しただけで胸が痛みます。父の友人で戦争孤児となって台湾からたった一人で引き上げた14歳の少年は北海道を目指しましたが身寄りがあったわけではなかったそうです。
返信削除焼け野原の本土を見て「これは北に行くしかない」と思ったそうです。台湾では裕福に暮らしていたそうですが空襲で家族を失い天涯孤独の浮浪児になってしまったのですが「育ちの良さ」を感じる人でした。父が下宿していた一人娘を紹介して、その後は家族を持ち平穏に暮らしていましたが「台湾」への思い入れは強く父に良く話をされていたそうで父の最後の海外旅行は「台湾」になりました。その時、一緒に行きましょう!と誘ったのですがお嫁さんが若くして脳梗塞になってしまい家族で面倒を見ておられて行く事が叶いませんでした。「戦争」のせいで青春を奪われ学ぶ事も諦めなければいけなかった方々が沢山おられて、その方々が日本の復興に貢献されて来たのですから頭が下がります。のほほんと暮らしている私ですが親世代から見聞きした話を出来るだけ伝えて行くのが使命かも知れません。
danmamaさん、
削除姑が引き揚げた時は、確か1947年頃として、1933年生まれだから14歳かな。中学3年生と言えばかなり色々なことができる頃だと思うけど、それでも家族が誰も一緒じゃない状態で朝鮮から日本に帰ってくるのは大変だったでしょうね。
お父様のご友人は賢い方ですね。焼け野原の本土を見ても、北に行くことはなかなか思いつかないと思います。裕福な家庭で庇護されて育った方が、天涯孤独の浮浪児とは環境が正反対になってしまったのですね。台湾にさぞかし帰りたいと日々思われたでしょう。
確かに台湾には温厚な方が多く、お父様もdanmamaさんも台湾に惹かれるのは、人々の温かさを感じられるからなのでしょうか。私の両親も戦争で青春を奪われてしまったのに、次の世代の私は毎日何も考えずに暮らしてきました。今からでも戦争の恐ろしさ、理不尽さを次の世代に伝えなければなりませんね。特に今後世界中に色々不確定要素が増えていくばかりでしょうしね。
次男さんの回復状況は如何ですか?日本は寒気団が居座った状況ですしオーバーツーリズムで
削除京都や東京、札幌はごった返していますから暖かくなった頃に来る方が結果として良かったかもです。日本が嫌いな日本人が増えている一方でのインバウンドブームってなんか皮肉ですよね(^^;)駐在員のトンデモ話、聞きたいです。我が家にホームスティする外国人(主にアジアの子)ですが70近い日本人のおっさんより余程マトモです(笑)
笑顔で感謝の気持ちを伝えてくるし(言語を超えて)おもてなししても疲れを感じないのに
ツレを含め日本の「おっさん」は、もう受け入れられないです。
日本の教育は何処かで狂ってしまったのかもと思う今日この頃です。
昔の日本人では無くなってしまった日本人は何処に向かっているのでしょうね...
ツレやその友達の態度に心底疲れ果てました。昭和世代の我らのハッピーワイフは何処にいるのかしら?(^^;)って我が家だけの話なのかしらね...
danmamaさん、
削除ありがとうございます。次男の回復状況はまあまあです。身体は回復していますが、不整脈も発見されて気分的には参っているようです。
日本は寒いようですねえ。私は再来週から日本に行く予定でしたが、春に延期しました。わざわざこの寒い時に行っても楽しくないかな、と思って。
駐在員は80%が素晴らしい方々、でも20%は、え?それ頼む?、え?それで泣く?、え?妻同士のヒエラルキー?、など変な人も多かったですねえ。私は駐妻に5000ドル近く貸してあげたこともあります。断れなくて。
danmamaさん、もうアジアからのお客さん以外におもてなし、してはいけませんよ。特に「おっさん」は^^ 若い子たちのことは色々言われますが、変なおっさんよりずっといいのかも。大方のおっさんはマトモだとは思いますが、変なおっさんの話はよく聞きますねえ。リタイアしたあとも、自分はxx企業の重役だった、と自慢したりとか、いわゆる負け犬が多いのはおばさんよりおじさんかも。私もあちこちで遭遇しました。新幹線の中で自分の荷物を網棚から下ろす時、大きな荷物で私の頭を直撃しても謝らないおっさん、とかいました。その点女性の方がマナーのいい人は多いかも。オバサンってよく悪口言われますが。
アメリカにも狂った男は多いですよ。権力を握らせるともっと狂う男たちも。その点日本の「おっさん」は平和なもんです。
そうなのです!その一言が出てこなかった「負け犬の遠吠え」何ともスッキリ、ありがとうございます!ツレと友達は、まさに「それ」です。鬱なのに凄い食欲でぶくぶくに太り良く眠れるそうですよ(苦笑)で「税金ちゅうちゅう」でアルバイト再雇用だそうですよ。
削除そうですか、日本人駐在員も色々いますよね。しかし借金を無心って信じられませんねぇ〜
今の日本には、もはや「義理人情」とか全くないかも。お人好しって馬鹿にされるし
友達に恵まれていないツレは自業自得です。碌な友達がいないのは本人のせいなのです。
ほんと、おばさんの方が何百倍も優れていますよ(笑)
danmamaさん、
削除負け犬の遠吠えですか、スッキリするお手伝いができて良かったです^^
danmamaさんがお料理上手だから、鬱だろうとなんだろうと食欲が湧いてくるんでしょう。そりゃ美味しいもの作っちゃいけません。また来るから^^
駐妻さんにお金を貸してあげたのは、彼らの借家の保証金でした。すぐ返してくれましたが、その後も家の修理、車を買うこと、などなどとことん頼られました。でも、殆どの駐在員ご家族はまともです。日本でもアメリカでも時々変な人はいますが、最近は深く関わらないようにうまく交わしています。というか、駐在員は以前に比べてかなり減ったようですよ。少なくとも家族帯同の駐在員は。
確かにおじさん、おじいさんはおばさん、おばあさんより孤独な人が多い?女は集まると楽しくおしゃべりが始まるけど、男は交流が下手な人が多いような・・・
もう、ツレにも美味しい物なんて、金輪際食べさせませんよ。私はこれから一人で美味しい物食べに行って世の中の経済を回そうと思っています。旅行も一人で行こう!と決めました。
削除足手纏いで我儘なツレは切り捨てですね(笑)
もう、ツレに印籠渡しましたから我が家に寄りつく事はないです。
danmamaさん、
削除旅行は一人が一番‼️現地で知り合いを作ったり、現地在住の友人と会う方が楽しい。
私は「ツレ」ともう20年は旅行していません。一昨年日本に行った時も、別々に行き別々に帰りました。現地で数人の友人たちと一緒に御飯食べただけ。家で一緒なのだから、外では一人か他の人と一緒がいいです。
はい、私達はもう他に欲もないのだから、美味しいもの食べに行って経済回しましょ^^/